『公研』2022年11月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

昨今大きく変容している飲酒とコミュニケーションの文化。コロナ禍で飲食店への自粛要請、メディアの発信が飲食店にどのような影響をもたらし、人々にどのようなコミュニケーションの変化を与えたのか。夜のまちを研究している先生方に、とあるスナックでお話しいただいた。

 

コロナ禍で変化する人の動き

飯田 オミクロン株の大流行が終息しました。これまでにない大規模な感染拡大になったため家族や自分自身、またはごく身近なところで感染事例が多かった。それが人々の行動自体に変容をもたらしました。今次の感染拡大を経て、未知の恐怖であるコロナに対しての相場観が形成されつつあるように感じています。その一方で、一部の活動はなぜか元に戻っていない。

谷口 2020年のコロナ禍初期は出張もほとんどなく、たまに羽田空港に行くとまるでゾンビ映画でも見ているかのような光景にゾッとしたものです。空港ターミナルの自動販売機は誰も使わないから半数は電気を落としているし、多くの店も閉まっていて羽田には人影がなかった。しかし、オミクロン株を経た後、最近の公共交通機関の混み具合を見ると、修学旅行のように数十人から百人規模で動くような旅行も復活し、お店にもお客さんが戻ってきているようにも思います。「全国旅行支援」施策もそれを大きく後押ししているのでしょう。

 その一方で、やはり今でも「マスク着用」などが非常に強い社会規範として残っている。これは多くの人が指摘していることですが、屋外では外す人もちらほら出て来てはいるものの「飲食店に入る瞬間だけは必ずマスクをする(食事中はマスクを外し盛んに会話する)」という不可解な「儀式」みたいなものが残るかたちになってしまっている。マスク着用そのものは、感染予防の観点で非常に良い面もあったと思いますが、それが社会規範としてあまりにも強く硬直化(形骸化)したかたちで残存してしまった。ある種のナッジ(強制ではないかたちで望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチ)が効きすぎてしまったために、それをどう解除したらいいのかわからなくなっているのが現状だと思います。

 地方へ出張していて感じたのは、街によって雰囲気が全然違うということでした。ちょうど今年の7月ぐらいがそのコントラストが一番激しいときだったかもしれません。祇園祭の直前に京都に行ったときは、そこらじゅう旅行者だらけでした。ご飯を食べに行こうと思ってもどこも一時間待ちですし、夜の祇園に出ても大賑わいで、完全に夜の街は復活した雰囲気にさえなっていました。

 他方で、まさにその前日、人口80万超の政令指定都市である静岡県浜松市を訪れた際は、地元の人たちの夜の街に対する忌避感をいまだに強く感じました。ここはホンダ、スズキやヤマハなどを擁する工業都市ですから「万が一感染して工場のラインが止まったら大変なことになってしまう」という雰囲気があるわけです。これは浜松だけではなく、大規模な工業コンビナートがあるような街は、地域経済が完全に工場に依存しているので「飲みに出るなんてとんでもない。工場のラインが止まったら、どうするんだ」という雰囲気が重く漂う。だからそういう街で、地元経営者などが飲みに出ている姿を見られて、もし何かあったときには、てきめんに後ろ指を指されることになる。

 私の故郷の大分県でも、自分の責任で飲みに出られる自営業者の人が多い別府市はコロナ前とさほど変わらず営業が再開できている一方で、日本製鉄をはじめとする大規模な工業エリアを抱える県都・大分市の歓楽街・都町は、いまだに非常に厳しい状況下にあるようです。

 

コロナが飲食店に与えた影響と人権侵害

 飯田 浜松は2020年に、静岡で一番大きいクラスターを、あるラウンジが出してしまったのですよね。

谷口 私も知っているお店ですが、大規模クラスターが発生したことが新聞など全国で報道され、一気に情報が拡散されてしまいました。報道はどんどんエスカレートしていき、お店の関係者はとても悲惨な目に遭っていました。仕事で浜松に行ったついでにそのお店を訪れ、経営者の女性などから詳しく話を聞いたりもしました。話してみると非常に立派な方だったのですが、クラスターを出してしまった当時、自分や従業員、そしてその家族の写真をSNSで回覧されたり、一時は浜松の中で村八分のような状態だったそうです。「地獄のような状況だった」と。彼女は「自分は水商売以外も複数の店を営んでいたので、経営的にも気持ちの上でも何とか持ちこたえることができたけれど、自分じゃなかったら自殺していたんじゃないか」と話していました。彼女の経営上の片腕的な女性に聞いても「もう自分は浜松に住めなくなるんじゃないかと思った」と話していて、当時の関係者たちが、どれだけ追い詰められていたかを思い知らされました。

 青森県弘前市でも2020年に大規模なクラスターを出したお店がありました。1973年創業の非常に古いスナックとクラブを経営しているところで、志村けんさんも飲みにきたこともある有名なお店です。ママは街の名士で立派な経営者なのですが、「東京のホストクラブでコロナをうつされて弘前でクラスターを発生させた」などとデマを流されたりして、筆舌に尽くしがたいくらいつらい目に遭ったそうです。これらの話は新聞沙汰にもなった割と代表的な事例ですが、こういう話は実のところ全国各地で他にもいくらでもあって、信じられないような大規模な人権侵害が感染予防の名のもとに横行していたのです。

 飯田 地域の有名店・大規模なお店は元々来る客が多い。さらに、検査を受ける機会が多いある程度エスタブリッシュされた人が顧客に多い。感染した場合の行動調査が多いのでクラスターとして認定されやすいわけです。元々夜の世界は社会全体に対するバッファ機能があるので、そのルールを全部杓子定規に当てはめていいのか絶妙なラインにある職種です。もともと行政とはやや異なる行動規範で動いていた業界に過剰な規制が適用されることになった。どこのスナックやクラブラウンジに飲みに行っているのか、など感染症対策を理由にプライバシーにまで立ち入ってくる。感染症対策なら何でもしていいという空気感はどこから出てきたのでしょう。

 

メディアの影響・飲食業への偏見

 飯田 私がメディアに出演した際、浜松のクラスターの件で「法律的には何も違反をしていない」と私一人が擁護していました。しかし、自身でも接客を伴う飲食店に習慣的に行く人でも、なぜか、メディアでは水商売を擁護することを躊躇する傾向が強かったですね。視聴者側に水商売への偏見がある、またはあると制作側が思っているから弁護するのも胆力が必要になる。

 谷口 私もその頃「営業の自由を侵している」、といった話を書いたりメディアで喋ったりしていましたが、そういうことを言う人は、当時はほとんどいませんでしたね。法律学者は、このことについて、もっと反応すべきだったと思います。

 飯田 これがまた日本的なところかもしれません。みんなの空気感と異なることを言うことのハードルがすごく高い。まさに飲食店の規制も、コロナがまだまだ流行っていた段階から「少人数で外食するのに何か問題があるのか」疑問を発信する論者もいました。緊急事態宣言時を除くと少人数で仕事したり会議したりもしていたわけです。コロナ禍初期は誰も何もわからないので不安がる、警戒するのはわからなくもない。しかし、少なくとも去年の段階で小規模な会食を規制したり、営業時間を短縮することには合理的な根拠を見出せません。その一方で、「念のために」、と言われてしまうと抗うのが難しいんですよね。会食によって感染する可能性がゼロなわけではないので。このような過度の「念のため」「万が一」という他者の目線がコロナからの日本の消費回復が遅くて鈍い理由だと思います。

 谷口 コロナ禍最初の頃は、小学校を休校にするなど、わりと思い切ったことをやっていたけど、それでは、やはりもたないわけです。2021年ぐらいになると、もう飲食店に対する時短規制や営業規制しか「手持ちの札」がなくなってしまい、結局「やっている感」を出していただけというのが実態だったのではないかと。

 ここでの問題の根底にあるのは「飲食・水商売を下に見ている」ということなんじゃないでしょうか。職業蔑視的なこともあるだろうし、いくらイジメてもやり返してこないと思っていたんでしょうね。他の業界に対してそんなことをしたら、政治的圧力を使った反発とかを喰らいかねないわけですから。例えば美容師さんだったら全国の連合があって国会議員を通じて何か言えたりもする。けれども、飲食は横の繋がりがない──水商売はもっとないから、イジメ放題です。

 ただでさえ隠微に存在している偏見にもたれかかって、世間は「不要不急の時に水商売をやるなんてとんでもない」などと簡単に言い始める。そういった、人々の厭らしい「俗情」と結託し、なおかつ反撃してこないのをいいことに「やっている感」を見せるためだけに、とにかく何でもいいから形だけでもと規制をかけてみたというのが正味のところだったんじゃないでしょうか。だから、実際まん延防止策なんてメチャクチャでした。駅の向こう側では飲めないけどこちら側では飲めるとか、沿線の駅ごとに「まん防」「まん防じゃない」とか、何の効果があったのかと。

 そしてもう一つの大きな問題は科学的な合理性をきちんとした言葉で語ることができなかったことです。飲食・水商売の関係者がよく言っていたのは「どうしても感染予防のために規制が必要なのであれば自分たちは我慢する。しかし、なぜそれが必要なのか科学的根拠をきちんと説明してくれない」ということでした。政府は「科学なき判断をしてきた」、そう見られても仕方ないのではないでしょうか。

 

命の値段

 飯田 東京大学の仲田泰祐准教授らの研究で「コロナ死者を1人減らすために許容できる経済的犠牲」(図1)で各国比較していましたが、やはり日本の数値が先進国の中で突出している。「人の命は地球より重い」と言ったところで、結局のところお値段の相場感はあるわけです。各国の数字を見ると、完全に他責の場合の交通事故死亡への補償金と、コロナによるGDP減少が近い値になっている。つまりは、死因にかかわらず死についてある程度近い経済的評価をしているわけです。一方で日本の場合は、コロナの死亡者1人減らすのに20数億の経済成長を犠牲にしている。これは交通事故死の十倍以上の評価額です。これだけの評価差を正当化する論理は考えづらいでしょう。死と経済を結びつけると、優生主義であるとか、人の命に軽重をつけているなどと言われることがありますが、この不均衡を疑問視しないほうがよほど命に軽重をつけているのではないでしょうか。

 「コロナ抑制のための金銭的損失が過剰だ」と言うと、「非倫理的な発言だ」と批判されます。その結果、コロナと経済のつながりについて沈黙する人が多い。しかしこれは、目を背けてはいけない問題です。「念のため」、と言って全部規制するという話にすると、確かに責任回避はできるかもしれないけれども、新しい物事を何も生み出せなくなる。

 谷口 これは世代間の公平性にも関わってくる問題で、スッパリ言ってしまうと「高齢者をどれぐらい守るのか」という話だったのではないか。先ほど飯田さんがおっしゃっていた仲田泰祐准教授の研究は(図1)高齢者の医療・介護などとリンクしている話で、どのようなかたちで世代間の財(負担)の分配をするのかという話でもあるわけです。結局、今回の日本は「高齢者への配慮」のほうにカジを振り切ったのですが。

 

ゼロコロナは高齢者対策

 谷口 もう一つ重大な問題はゼロリスク信仰です。これは感染症予防だけではなくテロ対策などあらゆる問題に関わってくる非常に大きな問題です。「ゼロリスクでやろう」というのは「予防原則」と呼ばれるもので、絶対に達成不能であるということは理論的にもわかっていることですから、きちんとリスクに対処するためには「費用便益計算」によって対応していくべきです。そのときの判断基準としてやはり科学的な合理性をもとにして対処していくのが本来だと思うのですが、それが一切なく結局、正面きって言っていたのは「ゼロリスク・ゼロコロナでいきましょう」ということだけでした。

 今後も感染症などパンデミックが起きる可能性はあるわけですから、政府にはこの点については、本当にきちんと検証・反省し次にこの経験を活かしてもらわなければ、これだけ我慢させられてきた人びとも浮かばれないというものです。

飯田 ゼロコロナなんて不可能だとわかっているのに「ゼロ」だということが、ポリティカルに正しいという信仰のような不思議なものが政府対策、そしてメディアの扇情に色濃く反映されました。

谷口 繰り返しになりますが、要するに高齢者対策だったのです。

 2021年の年初に『朝まで生テレビ!』に出演した際、「80歳の人を一年守るために、中学生や高校生、大学生など人生の中で一番いい時間を過ごすべき人たちをずっと家に閉じ込めて、修学旅行も部活も行かせないのは果たして計算として合っているのでしょうか」と話しました。そうしたら番組終了後、「老人は死ねということか!」とか「大学教授が優生思想を語るとは許せん!」などとジャンジャン脅迫のメールなどがきましたが、その倍以上「よく言ってくれた」という意見もきました。やはり当事者の若者たちや、子供がいる親御さんは、みんなそのような思いを秘めていたのだなと。

 こういうかたちでの費用対効果の疑わしい規制を頑なに続けたり、行き過ぎたナッジや自粛で経済をシュリンクさせたりしてしまうと、社会保障を支えるエコシステムそのものが破壊されてしまうことが強く懸念されます。「卵を生む鶏を殺すようなこと」をしていると政府はもっと自覚したほうがいいと思います。今の高齢者は現今の社会保障の庇護の下で逃げ切れるかもしれませんが、我々団塊ジュニア世代以降はどうするのかという大きな問題があるはずです。それは今回の政府のコロナ対応で明らかになったことではないでしょうか。若い世代はもっと怒っていいと思います。

 今回は飲食・水商売などという切り口からの対談ではありますが、この話は今後の我が国にとって大きな課題である超高齢化や人口減少と社会保障の問題を考える切実なきっかけを改めて我々に提供しているとも思うのです。

飯田 そう言った意味では、私は団塊の世代は説得可能だと思っています。なぜなら今の多くの高齢者は家族形成されているので、「あなたの孫子の世代です」といったストーリーで何とか説得ができます。しかし、団塊ジュニア世代の生涯未婚率が男性で3割ぐらいになる。そうすると、自分が死んだ後の子々孫々がいない人が23割出ることになる。そうすると団塊ジュニア世代が本当の高齢者になったとき、絶望的な状況になると思うのです。団塊ジュニア世代がまだ現役のうちに、社会保障や日本のいく末についてしっかり定めておかないといけないと思います。

 

解けなくなってしまった魔法

 飯田 日本におけるコロナ関連の行動規制は要請、つまりは行政からのお願いや社会全体の空気感によって行われました。ハードな規制を設けることなく、なんとなく行動変容が生じたわけです。このソフトな行動誘導は行動経済学におけるリバタリアン・パターナリズムやナッジといった近年評価が高かった規制様式に近い。しかし、このソフトな誘導について、ナッジの解除方法がわからないという問題点が今回明らかになったわけです。

谷口 ナッジの魔法を解くための呪文がわからないんですよね。これはまるで『魔術師の弟子』(バーバラ・ヘイズン作・トミー・ウンゲラー絵)という絵本のストーリーそのものです。私自身子どもの頃から読んでいる、とても好きな絵本なのですが、その中で魔術師の弟子が、師匠から命じられた水汲みにあきあきして、勝手に師の魔術書を盗み読みし、そこに書いてあった魔法の呪文を使って箒に水汲みをさせます。しかし、魔法の解き方がわからなくて城が水浸しになってしまう。慌てた弟子が杖を壊すと破片がさらに新たな箒へと増えかえって水が溢れかえり、洪水のようになって絶望するというお話です。最後には師匠が帰ってきて魔法を解き、弟子は罰として自分で水汲みをさせられるのですが、解除方法がわからない魔法というのは本当に恐ろしい。日本は過去の歴史の中でも、同じようなことを繰り返してきているのではないでしょうか。そして、その都度、絵本の中で描かれた弟子へのキチンとした罰(更生の機会)はなかったのではないか。

飯田 陸軍関係者は「海軍がやめるって言わないから」、海軍関係者に聞くと「陸軍が無理だって言ってくれるはずだと思っていた」という証言が出てくるという話がありますね。コロナ禍の行動規制からの正常化についても同じかもしれません。少なからぬ人が「自分以外の誰か止めてくれ」と思っている。

 

メディアの罪

 飯田 ここでしっかりとしたフェーズ変化を明示できないのは、日本人の意識がお客様だからではないでしょうか。政治や行政、さらには日々の仕事についても自分のことではない──あくまでサービスを受ける側であって、サービスを提供する側の視点が極めて薄いのです。この状況は年々悪化しています。昔、農家を含めた自営業者の割合が非常に高かった時代は、みなお客様であると同時に、お客様を相手する立場でもあった。ところが、どこの国でもそうですが大きな組織が増えてどんどんサラリーマン社会になっている。例えば「経済を犠牲にしてでも感染症対策を」と言われたら、小さなお店を自分で経営している家は、ダイレクトに自分の懐が痛んで跳ね返ってくるので、他人ごとになりようがない。しかし、サービスの受け手側になっている人口が増えているので「パンとサーカス」ではないですが、何か施しをしてくれたり、自分以外の人や自分に何かを提供してもらうというマインドセットが年々強くなっているのです。

 また、今回のメディアの罪はかなり重いと思っています。一方方向に偏っている空気をさらに一生懸命焚きつけたわけですから。確かにそのほうが注目が集まるし、視聴者はその空気に染まっているときに思い通りのことを言ってくれる心地よさに乗ってしまう。度がすぎてさすがにまずいんじゃないかと思っている人が増えても、もう止まらない。とりあえず何でもかんでも「感染症対策に気をつけて」と繰り返すことになる。テレビの街頭録画などでも、広大な場所にたった一人でレポートするのになぜマスクをする必要があるのか。このようなパフォーマンス的な感染症対策を少しずつ変えていこうという気運をつくっていかなければいけないと思います。

谷口 「営業の自由」に対して政府はこれだけ簡単に介入を許しておいて、報道の自由をはじめとする「表現の自由」だけが無傷でい続けられると思ったら大間違いだと思ったほうが良いのではないでしょうか。憲法にまつわる所謂「二重の基準論」に従うなら、経済的自由に関しては公共の福祉に服して緩やかな審査基準で制限してもいいことになっていますが、報道を含む表現の自由・精神的自由に関しては「民主的な回路を支える根源的なもの」だから簡単には規制することはできないとして、報道の自由は非常に厚く保護されています。しかし、その結果として今回のような状況が生まれている。

 だから私は、あえて言いますが、いっそ規制されてしまったほうがいいのではないか。テレビ(特にワイドショー)など停波されるなりして一度痛い目にあって、自覚すればいいのではないかとさえ思ってしまうのです。現実にそうなってはならないわけですが、しかし、飲食店をこれだけひどい目に遭わせておいて、自分たちだけがなぜ無傷でいられると思っているのかと、私は声を大にして言っておきたいのです。

 飯田先生も別のところでおっしゃっていた通り、テレビ制作の現場や新聞などのメディアは経営的にも厳しい限られた予算の中で制作をしなければいけないから、初めからストーリーありきで番組づくりをせざるを得ないというオトナの現実はわかるのですが、しかし、今回は度を超しています。

飯田 マスコミもここまで圧倒的に人手も予算もない状況だと、全く同じテンプレ全く同じ話を繰り返しするような楽なほうに流れざるを得ない。

 なぜマスメディアのインタビューは結論ありき、内容ありきでのインタビューになるのか。それは全部の仕事が同時並行的に進んでいるので1個ピースをはめ違うと完成しないからです。きっちり設計図通りの話をしてくれないと成り立たないから、報道なのか演劇なのかよくわからないものができ上がってしまうことがある。

 時間と予算に余裕があればインタビューをして出てきた話をもとにVTRをどうつくるか、といった番組づくりができますが。そのようなゆとりのある制作ができる番組はどんどん希少になっているのでしょう。

 

過剰な規制が残したもの

 飯田 過剰な報道や過剰な自己規制の余波はいまだに尾を引いています。確かに直近では、飲食店に客が戻ってきているし、旅行にも行く。ところが、いまだに大規模な宴会は少ないですし、学校でも合宿は推奨していないところが多い。または合宿は許可していても宴会飲酒が駄目なので合宿の醍醐味もない。そういった建前上の行動制約がまだたくさん残っているのです。ホテルの経営者からは、「バンケットルームが会議室貸しみたいになってしまい、結婚式等も追い討ちをかけて減っているから収益が激減している」との声を聞きます。そもそも宴会は飲食業とホテルにとって「ミルク補給」です。これが皆無だと業界が息をついてしまうわけです。

谷口 よく飲みに行く私でさえまだ、4人以上で飲み会をするのは少し抵抗があります。物事の善悪ではなく「何となくの違和感」を拭えなくなってしまったわけですが、他の人はもっとそう感じているのではないかと思います。だから、こういった規制から解放されても元の感覚を取り戻すのはなかなか難しいと思います。元々コロナ前から大きな飲み会は少なくなってきていることもありますし、「ソーバーキュリアス」という言葉があるように、ホワイトカラー若年層でお酒を飲まない人が増えてきていることも追い討ちをかけています。

 地方で飲食店などを支えているのは、地銀や県庁、市役所の職員です。そのような人たちが現状、最も強力な行動制限を受けていて、どうかしたらスマホのアプリで場所もチェックされているから夜の街には行かないわけです。さらに地方だと一般企業の規範は市役所、県庁、地銀に右に倣えとなってしまう。飲食店経営者も大事な納税者、有権者でもあるわけですから、需要を取り戻すためには、それこそ自治体の首長などが率先して宴会などを復活させるようにしていかないと、飲食業界は文字通り破滅してしまいます。

 今年に入ってから「ゼロゼロ融資」などをはじめとする借入金の返済も始まり、資金のショートも発生し始めている。今年の年末から来春にかけて相当な数の飲食店が潰れるのではないかとも危惧されています。

 最近かんなみ新地(兵庫県尼崎市)が浄化された結果、地域で急激に犯罪が増えたといった記事もありましたが、夜の街の灯りが消えることで治安にダイレクトに与える影響は無視し得ないと思います。飲み屋などがなくなることで回り回って、治安が悪化したり地価が下がったり、どこかで自分に繋がってくることです。だから「たかが夜の街、潰れても自分には関係ない」などと他人事のように考えないでもらいたいのです。

 

強烈な地域偏差

 谷口 今後、都市部と地方との格差もかなり強烈なかたちで進展すると感じています。コロナ禍で報道対象になるのは大都市圏が多いので、あまり知られていないこともありますが、実は地方のほうがダメージは非常に大きく、そして深い。たとえば、先ほど飯田先生がおっしゃった「コロナ死者を1人減らすために許容できる経済的犠牲」の都道府県別の図表を見ると、島根や鳥取は突出して高い(図1)

 鳥取県の第二都市である米子市には、朝日町という人口14万程のわりには巨大な歓楽街があるのですが、今年6月、米子へ出張に行った時に朝日町を歩いてみたら、町中のスナックのドアに「県外客、一見客お断り」の張り紙が貼ってありました。他では見たことのない異様な光景で非常に驚きました。なんとか店に入れてもらえたラウンジのママに話を聞いてみると「もう、とてもじゃないけれどやっていけない」と言っていました。米子は酒販の営業も中国地方では最悪の状態だという話も聞きました。

 これは米子だけの問題ではなく、政令指定都市ではないような町は、大企業の支社の人たちが飲みにきたりする支店経済で回っているところも少なくない。しかし、Zoomで会議をするから出張もなくなり、下手したら支社を撤退する企業もある。ただでさえ人口が減って経営が悪化しているところに追い打ちがかかっている。先日、出張で帯広のホテルに宿泊した際もホテル代が妙に高いので地元の人に何故か聞いてみたら、会社の支社をなくしてホテルに駐在させて事務所のようにしている企業が増えたのだと教えられました。

 飲食は出店する場所が非常に重要で、これまではみんな虎視眈眈と良い場所を狙っていたので、空けばすぐに次が埋まるというのがセオリーだったわけですが、今地方に行って目につくのはコロナ前なら空いたことのないような良い場所が空き店舗のままになっているという光景です。

 夜のお店(スナック、パブ、キャバレー、バー)の廃業は全国で満遍なく見られる現象で、おおむね4割5割程度減っているというデータが取れていますが、地域によってはそんなものではなく、「うちの地域は実感としては8割9割潰れてますよ」と言われることさえあります。知り合いの飲食店の店主が自殺したことがSNSで流れてくることも少なくないという話さえ聞こえてきます。地方はこれから来年ぐらいにかけて、いよいよ本当に酷いことになっていくと思います。(詳細なデータは、荒井紀一郎「データで見る「夜の街」の縮減」『Voice2022年3月号)。

 

地方はこれからどうすれば良いか

 飯田 今、世界的にもサプライチェーンの組み換えが模索されています。そのなかで、製造拠点の国内回帰先としては九州が選ばれる傾向がある。これは単純に電力事業の安定性が高いと考えられているからですが、今後の電力供給次第では全国的に製造拠点の立地が進むことが予想されます。この時、電力の次の課題となるのが労働力、つまりは働き手の確保です。そのためには地域に魅力ある街が存在しているかが課題となる。人を引きつけることができないと働き手を確保できませんから、工場立地も進まないわけです。かつて、地方の工業開発は雇用の確保が中心課題でした。工業団地さえつくれば、働く場所があるから人口流出を防ぐことができると考えていたわけです。ところが今だと遊びに行くところもない、街に魅力がなければ若者がそこに住み着かない。工場労働のみの街よりも遊ぶ場所が豊富な街、要するに東京などの大都市に人口が流出して戻らない。

 実は東京は現時点ですでに豊かな地域ではない、むしろ貧しいと言っても良いかもしれません。実感可処分所得(所得住居費など生活費を抜いて手元に残った所得)を見ると、東京より低いのは数府県しかない。そのような東京で経済的には苦しい生活が待っているにも関わらず、何もない地方は楽しくないから住み続けるわけです。

 これから進む製造業の国内回帰動向の中で、地元にそれなりの楽しさがあって雇用の場があれば、当の若者だけではなく、日本の所得分配にとっても好影響があるでしょう。

谷口 若年人口はこれからどんどん先細ることははっきりしているから、どうやって人を集めるかは重要な問題ですね。

飯田 例えば東北で2番目に大きい規模の街いわき市は典型かもしれません。まさに製造業拠点があり、それにぶら下がる歓楽街がある。その結果3. 11の震災後も多くの人がUIターンをして街が形成されていっている。もちろん、いわき市も苦しい状況にあることは間違いありませんが、このような生産拠点と中心市街地の相互依存的な発展にむけた潮流が少しでも動いていかないと街の未来像を描けないわけです。

 

夜の街・飲食業の存在意義

 飯田 他にも、飲む文化がない街──例えばバブル期にできた郊外型ニュータウンは、団塊ジュニア世代が大人になった途端に音を立てて崩れていったという事例があります。なぜなら、家が建っているだけで何もない地元に住む意味がないのです。例えば飲み屋街があって周りに工場があるような街だと、その中心市街地に思い出があったり、知り合いが店をやっていたりと地元にとっての繋がりが維持されている。そうすると土着の愛着心が育って人口が維持できるんです。

 夜の街もない、商店街もシャッター街という状態になっていると、街自体を維持しようと思う人自体がいなくなる。そこでも今、都心回帰が起きているのです。

谷口 飯田先生がおっしゃった話の興味深い実例を関西の或るニュータウンの区長さんから聞いたことがあります。ニュータウンは山を切り崩して平らにしたところに団地を建てる、そこに同年代の人たちが一斉に入ってきて、子供を産み、そして親世代は一斉に年老いていく。その子供たちはニュータウンには残らず、どんどん人口は減っていく。人口が減ると役所の支所などもなくなって不便になり、ますます人がいなくなるという悪循環が起き、買い物難民が発生するところまで行き着く。山を切り崩して車歩分離していたりするので、生鮮食品など日々の買い物に行くのは大変なことです。だからニュータウンの区長さんの公約が「生鮮食品店をこの団地の中に持ってくるのが最大の悲願!」とかになったりするわけです。

 でも、面白いのが人口減少の歯止めが効かないニュータウンエリアでも、切り崩した山と山の間にある「谷筋の旧集落」だけはあまり人口が減らないと。なぜかと聞くと「スナックがあるからかな」と区長さんが言うのです。どういうことかというと、大阪南部のほうなので、谷筋の旧集落のほうでは今でもそれなりの規模のお祭りがあって、街から出ていた若い人なども戻ってくる。住民みんなでお祭りの準備をしたり、お囃子の稽古をしたりして、夜になるとスナックに集まってワイワイと飲んで、スナックがまさに「夜の公民館」になっている。他方、ニュータウンは計画的に夜の盛り場をつくったりは出来なかったので、そういうコミュニティの場所がないということになるわけです。だから、街の皆がスナックに集まるような、有機的なコミュニティのあるところと、そうでないところには差が出て来る、と。

 高齢者が亡くなっているのをスナックのママが発見することもありますね。「最近○○さんこないね」と自宅に行ってみると亡くなっていたり、風呂で滑って倒れているのを見つけたり、意外に思うかもしれませんが割とよくある話です。地方ではスナックが案外重要な社会的インフラの機能を果たしています。東京の人はあまりスナックに行く文化がないと思うので理解しにくいかもしれませんが、地方ではスナックは生活の一部なのです。

飯田 ニュータウンはそういった猥雑な場所を排除することによって、ファミリー層に希求していきました。開発当時の現代的なライフスタイルとは相いれないものと考えられた結果、スナックや個人経営の飲食店を排除するように都市が設計されたのです。その結果、あると言えばニュータウン開発を進めたディベロッパー系列のスーパーが一つあるだけ、あとはロードサイドのチェーン店ということになる。そういう街から自生的なものは生み出せないし、単純に人間が寝に帰るためのスペースを建築しただけで街とは言えないと思います。

谷口 街づくりをするとき、行政が主体的にスナックを含む盛り場を計画的につくるなんてことが認められるはずがないですからね。やはり水商売に対する偏見がある。でも水商売がグレーだから生き延びることができる反面もあるから理屈ではなかなか難しいところではあります。

飯田 飲食業は経営者家系や高学歴層以外にとっての一つのサクセスストーリーであったり、ロールモデルを提供している業種でもあるのです。若者にとって地元で自分のお店を持つのは一つの成功モデルでしょう。そのようなお店を増やすきっかけをつくってあげれば良いのですが──

 

飲食業は開かれた可能性を秘めた業種

 谷口 いい大学を出てホワイトカラーに就くだけが人生じゃないという当たり前の事実、これは地方に行けば、すぐにわかることです。水商売・飲食業はそういう意味ではバッファになっている部分があって、学歴競争に打ち勝つという選択以外で、己の才覚だけで成功者になれる可能性が残されている。地方はそのような人たちも結構豊かに暮らしていて、みんなから慕われて地元の中心になっている人たちがいくらでもいます。コロナがらみの規制などで、それらをいとも簡単に潰してしまうことになると、地方で幸せに生きていく大切なロールモデルの一つが決定的に失われてしまうのではないかと思います。コロナ禍の下では「不要不急だ」などと言って、そういう営みを簡単に潰してしまおうとしているわけですが、後で大きく後悔することになるのではないか。地方で、一代で大きな飲食店を築き上げた人が、多くの従業員を雇って「雇用創出」をしているケースもたくさんある。それを大事にしないと地方経済システムが回らなくなっていくのです。

飯田 先ほどの実感可処分所得で見ると、北関東や三重県は所得が高い。これらの地域は中堅の高校出て、高卒で大きい工場にコア従業員として就職する人が多くいるエリアです。むしろ大学に進学するよりも、高卒段階で大手の工場で働いたほうが生涯賃金が上になることも少なくない。

 奨学金問題について、有識者と話したとき「全員が大学に行きたいと思っている」「大学に行ったほうが所得が高い」という前提で話す人が多かった。しかし、これは大きな誤解です。金銭的な問題ではなく、家が漁師だったりして元々大学に行くカルチャーがなく「自分は高校を出たら漁師なる」とか、「近くにあるセメント工場に勤める」といったマインドセットが主流で、かつ生涯所得の面でも決して非整合的な判断ではない。

 ここまで繰り返してきた水商売を低く見ている感と繋がりますが、インテリゲンチャは日本に大卒ではない人が半分ぐらいいることを忘れているし、大学に行かなかった人のことを行きたくても行けなかった人だと誤謬している。この考え方自体疑わないといけないと思います。

谷口 飯田先生がおっしゃるように、いろいろな議論をするときに大学を出てホワイトカラーになることが前提で話す人が多いですよね。私は、家族の関係でよく下北半島に行くのですが、原発関連施設の多いこの地域では、高専や工業系の大学を出て日本原燃などの原発関連企業で働く知り合いもいますが、彼らは地元ではまごう事なきエリートですよ。しっかりと地元に根をおろして生活している。そういうリアルな地方の相場観というのが、東京の人はわからないんだろうと思います。

 

──スナックは地方のイメージが強いですが、都内のスナックは今?

谷口 都内と地方はやはり違いますよね。都内でも23区内と都下だと雰囲気が違います。私の住んでいる多摩地域(23区外)のほうだとお客さんに自営業者や地主も多く、青年会議所、商工会、消防団などの地域の繋がりがまだスナックの中にあります。私もそこで街のことをいろいろ教えてもらいます。スナックに行くと地元のことがわかるし、ママは地元情報のハブになっているからいろいろな情報がまわる場所でもある。こちらに越してくる前は長らく世田谷に住んでいましたが、その時はそういったスナックでの交流というのは無かったですね。なぜかと言うと都心は人口流動性が高すぎて、ある一時期だけそこに住んでいるような人が多いからです。だから地元の人と交流できるのは、子供が小学校に上がった際PTAに参加したときぐらい。子供がいなかったら地元と繋がることは難しいだろうと思います。

 田舎や地方だと若い人がスナック経営をしていて、「地元の中高の先輩、後輩が経営しているから遊びに行く」と飲みに行くことで街の人ともコミュニケーションがとれる。ここが地方と、スナック離れをしている都心部の大きな違いだと思います。

飯田 私の出身地である埼玉県西部はベッドタウンエリアですが、1980年代や90年代初頭はまだ自営業者が多かったこともあり、大きな駅の周りにはスナック街がありました。今は寂れてしまい、残っている数少ないお店はちょっと知り合いでないと入りづらい感じがあります。

 都内でも大森あたりだと自営業主や工場労働者も多くスナック文化があります。スナック離れは山手線で閉じている文化圏の捉え方になっているのかもしれません。山手線沿線だといわゆる伝統的なスナックがそれなりに残っているのは大塚から上野にかけてのエリアくらいでしょう。

谷口 そうですね。先日、荒川線沿線の西尾久のほうに行ったのですが、スナックに若い人もたくさんきて大繁盛していて驚きました。西尾久には「街中スナック」という面白い店もあります。昼間は「街中キッサ」として営業していて、全面ガラス張りのおしゃれな建物でお茶も出す。夜になるとスナックのかたちになるのですが、店員はお揃いのTシャツが制服だからカジュアルな雰囲気で、老若男女が飲めるような店になっているのです。この店では、2杯セットの内1杯は横の人に廉価でご馳走できるというメニューがあったり、お店にいる人は誰でも飲んで良いシェアボトルなどもあったりするので、お店側がシステムとして見知らぬ隣客に自然に話しかけるきっかけをつくってくれているのです。お店はいつも満員で、経営者の方は、このシステムを全国に広げていきたいと話していました。

飯田 独身割合が増加している昨今、コミュニケーションをとれるような場所を若い人も求めています。スナック居抜きなのだけれど、少し雰囲気を変えてコミュニティカフェ風にしているお店も出てきている。女性にもきて欲しいということで水商売の「水」が抜けているけど、店のかたちと入り口は100%スナックになっている。そう言ったかたちで常連客の流れが切り替わり、今スナックに参入しやすい状況になっているんです。

谷口 そういう意味でもコミュニケーションに飢えていることがわかります。フラッと行って知らない人と話す、みたいなのがコロナ禍になってから、もう何年間も失われて来ている。だからこそ、日常が少しずつ戻ってくると、改めて「飲酒飲食のコミュニケーションは良いものだな」と感じるのではないかと思うのです。コロナがあって、人とコミュニケーションをとることにハードルが高くなっている人もいると思いますが、スナックだけではなくコミュニケーションをとれる新しい場所などに行ってコロナ後の「対人コミュニケーションのリハビリ」をするといいんじゃないかなとも思います。

 先日、ある自治体の市長さんに聞いた話ですが「最近の30─40代のやり手の政治家はお酒を飲まない人が多く自分もそうなのだが、酒席には必ず行く。それは、酒席でないととれないコミュニケーションがあるからだ」という話をされていた。それだけ直に会って飲み食いすることは大事なことなのです。酒を飲む飲まない以前にやはり人が集まって宴をすることには意味がある。だから飲食店の営業制限をしたり、過剰な感染対策の空気をつくってしまったりすると本当の意味でのコミュニケーションをする場所自体がこの日本から失われてしまうことになります。このことをもっと深刻に受け取ったほうが良いと思うのです。我々くらいの世代は年齢を重ねた上での関係資本の蓄積があるからやっていける面もあるけれど、若い人はそういう意味での関係資本の蓄積は圧倒的に乏しいわけで、世代間での格差が今後、様々な場面で顕著になってくるのではないかと危惧してしまいます。

 

ムダこそが文明

 飯田 不要不急という言葉に表れていると思いますが、結局楽しいことや、新しいアイディアが生まれる場所というのは大体不要不急の場所だと思うのです。必要に迫られてすることは大抵楽しくなかったり、クリエイティブではないことが多い。無駄を徹底的に排除することは、非常に大きな損失で非効率的なことです。局所最適化という言い方をしたりしますが、確かに局所的には最適だけれど、近視眼的にこの範囲だけの中で最適を追い求めたところで面白いことや新しいことは生まれない。スナックのような飲食店は、あってもなくてもいいものと思われがちですが、このようなものが必要という視点は非常に重要だと思います。

 リダンダンシー(冗長性)があるからこそ、レジリエンスがある。だから、無駄がないと何か起こったときに本当に対処することは難しいと思います。政策における効率性も、選択と集中という言葉に象徴されるように、どこか当たりくじ以外は買ってはいけないような雰囲気が日本にはあります。事前に当たりがわかる宝くじなんて存在しません。例えば大学でも、効率的に学習や何かのスキルを身につけようとするあまり、結局何も身につかないし、人と同じことしかできなくなっていく学生もいます。明確な正解は何かという問いの立て方をして、答えが見えている卒論や修論を書きたがるのです。なぜなら、失敗したくないし、コスパがいいからです。しかしそれでは何も面白いことなど起きません。ムダが大事であることを理解していないのです。

谷口 コロナ禍になってから一挙に普及したZoomなどのリモートコミュニケーションに関しても、ものすごく機能的で合理的だけれど、そこで話されるのは本当に必要な「用件」のみで、ムダなお喋りみたいなのは割と発生する余地が無いですよね。対して、飲み屋に来てやることの本来的な意味は「どうでもいいことを話すこと」にあるわけです。目的なく行く場所がなくなって、全てが目的ありきの場所へ行くことだけになってしまうなら、もう文明としては終わりでしょう。だからムダな話をする場所を、これからも守っていかないといけないと思うのです。

(終)

 

谷口功一・東京都立大学法学部教授
たにぐち こういち:1973年大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。夜のまち研究会(旧スナック研究会)代表。著書に『ショッピングモールの法哲学』、編著に『日本の夜の公共圏 Xナック研究序説』などがある。
飯田泰之・明治大学政治経済学部教授
いいだ やすゆき:1975年生まれ。東京大学経済学部卒。同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学専任講師・同准教授、明治大学准教授を経て 2022年より現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、総務省自治体戦略2040構想研究会委員などの公職を歴任。著書に『経済学講義』『マクロ経済学の 核心』などがある。

 

 

 

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