なぜ原敬は殺されたのか?

 齋藤 背骨勉強会のときに、素晴らしい質問をした人がいました。彼女は勉強会の予習として、朝早くに東京駅の丸の内南口を訪れたそうです。そのときちょうど岩手県出身の観光客の方がいらっしゃって、お話をしたのだと。その方は「なんでこんな立派な方が殺されちゃったんだろうね」とおっしゃったそうです。彼女は私にこう質問しました。「日本政治史上屈指のスーパーマンでありながら、なぜ原敬は暗殺されてしまったのか?」と。

 確かに政治家には業績やスター性も大事ですが、それ以前に大衆の支持が絶対的に必要不可欠なのではないかと彼女は言いました。原は大衆の心理を読み間違えたのではないかと。たとえば、当時の物価上昇に対する大衆の不安を軽視していたとか、普通選挙法や社会主義活動に反対していたとか。大衆に支えられてこその政治家だけど、原はその部分で何かを読み間違えたのではないか、というのが彼女の質問でした。

 清水 それはどなたですか。

 齋藤 茨城6区の国光あやのさんです。非常にいい質問をしますよね。でも、答えるのは難しい。

 おそらく原は普選そのものに反対だったのではなく、時期尚早だと考えていたように思います。国際関係が荒れている状況下で普通選挙制を施行しても、いたずらに政治が混乱するだけだろうという判断ですね。当時の元老である山縣有朋も、民主主義政治ではいけない、官僚がしっかりすべき、という立場で政党とたたかっていました。事実、当時の政党はまだまだ未熟でした。

 清水 原はある意味で山縣と民意の板挟みになっていたとも言えますよね。

 齋藤 選挙で当選することだけ考えれば、大衆に迎合したほうがいいことは明白です。当時、原の普選に対する見解は国民の理解を得られていませんでした。だから当時の野党はそこを徹底的に攻撃したわけです。

 原は国のためを思って愚直に仕事をしていたのに、世論からは少しずつ嫌厭されるようになっていきました。そして総理就任3年目に入ると、国民の不満が行き場のない怒りと化して原に牙を剥いた。だから原は死んだ、ということなのではないかと私は質問者に答えました。

 普選問題の他には、皇太子外遊(裕仁親王の欧州訪問)の件も世間に悪く捉えられてしまいましたよね。

 清水 その件に関しても見解が分かれていましたよね。外遊経験ができたことで、皇太子が広い視野を持つことができたことを評価する見方もある。

 齋藤 裕仁親王自身は外遊経験ができてよかったと言っているんですよね。

 原のやろうとしたことは日本にとって間違っていなかったけれど、ポピュリズム的な世論には受け入れられなかった。一方で、原をよく知っている者からは極めて高い評価を得ている。本当に難しいところですよね。

 原敬を暗殺した中岡艮一は、失恋や文学賞落選といったごく個人的な不満を抱えた、一介の若者に過ぎませんでした。しかし中岡の不満は少しずつ世間に漂う反原内閣の風潮と結びついていき、彼は原をしつこくつけ狙うようになりました。何度か暗殺に失敗したものの、最終的には成功したという点では、安倍さんのときと似ていますよね。また、日本が失ったものの大きさという点でも。

 今、我々国会議員にできることは何か。それは我々が原や安倍さんのような「失ったもの」とのギャップを埋める努力をし、少しでも彼らに近づこうと奮闘することではないでしょうか。

政治が取りこぼし続けてきた層

 清水 齋藤さんにお話を伺っていく中で、明治維新という言葉が思い浮かびました。「万機公論に決すべし」で知られる五箇条の誓文ですが、その第2項には「上下心を一にして盛んに経綸を行うべし」、第3項には「官武一途庶民に至るまでおのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」とあります。

 私はこれこそが明治維新の精神だと理解しています。人々に「夢を描いていいんだよ、あなたたちの夢を実現できるような社会をつくるから」という政府の決意表明ですよね。したがって、藩閥政府はたとえ自分たちに不利益であっても、さまざまな政策を推進しました。それが新政府としてのレゾンデートルだったからです。

 第一次世界大戦の後、人々が自己実現を果たしていく社会の中では、逆説的に自己実現ができてない人を極端に蔑んでしまう風潮がありました。したがって中岡のような、頑張ってはいるけれどうまくいかない人たちが、思い悩んでいくことはある意味では必然です。しかし原の持っていたネットワークの中では、彼らのような存在はなかなか見えなかったのではないかと思います。

 齋藤 先ほど歴史のうねりの話をしましたが、今の自民党もそういう重要な局面にさしかかりつつある。これだけ選挙に負けているし、中岡みたいな人が再び出てきてしまったわけですから。まあ、安倍さんのケースは宗教が絡んでいるから、少し違うんですけど。ただ、思うような生活ができ
ない、夢がない、という人が増えてきていることは事実です。

 清水 第一次トランプ政権の誕生をアメリカ政治研究者が予見できなかったのも、まさにそうした点が見えてなかったからだと、同僚の中山俊宏さんから伺ったことがあります。確かに、今回の参議院選で参政党に投票した人たちも、私たちからはあまりよく見えていない人たちでした。一人の視点からは見える人と見えない人がいるという事実を改めて突きつけられた気がします。

 齋藤 一方で、トランプ支持者と参政党支持者の類似性を強調しすぎるのもよくないと思いますけどね。

 清水 先ほど齋藤さんが挙げられたオランダの例のように、ポピュリズムとの適切な距離感の取り方こそが、これからのリーダーシップや政党政治のあり方において重要なファクターになるのでしょうね。

 齋藤 そういう意味では原敬の例から学ぶことは多い。55年体制の確立から70年間、自民党はほとんど政権を維持してきました。しかしポピュリズムを乗り越える力を身につけなければ、これからの時代は厳しい。

 清水 政権交代できる、しっかりした野党がいないという状況も、55年体制以降の自民党の大変なところですよね。少数与党のなかで、どのように責任政党としての役割を果たしていくか。少数与党が常態であった戦前の政党内閣や、そのリーダーシップから学ぶところは多いように思います。

 齋藤 何にせよ、自民党は新しい局面に入りそうです。高市政権がそこをうまく舵取りできるかどうか。野党はバラマキ的政策の実現を迫ってくる。少数与党としては応えざるを得ない。ポピュリズムとの戦いは、原の死後100年経っても政治の最も大きな試練なのではないでしょうか。(終)

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