2025年、オランダ・アムステルダム市は創設750周年という記念すべき年を迎え、数々の祝賀行事が行われた。そのハイライトの一つが、8月に行われたSAIL Amsterdamである(上写真参照)。この行事は、アムステルダムの港に帆船など世界の船が集結する華やかなお祭りであり、5年ごとに開催されているが、今年は市創設750周年記念と重なり、空前の盛り上がりを見せた。歓声のなか、次々と入港する船。17世紀、新興オランダ共和国の首都、世界経済の中心として繁栄を誇ったアムステルダムの記憶を、現代に再現するまたとない機会だった。
ところで世界には、かつて「ニューアムステルダム」と呼ばれた有力都市が二つある。一つは世界最大の経済・金融都市ニューヨーク、もう一つがバルト海に面したロシア経済の中心都市、サンクトペテルブルク。アムステルダムを加えたこの三都市の間には、いまも隠れた水脈が流れている。
まずニューヨークは、北米オランダ植民都市として出発し、アムステルダム商人が多数来航し、17世紀にニューアムステルダムと呼ばれた。「ウォール街」のウォールは、オランダ支配拠点の防衛壁に由来する。
そしてサンクトペテルブルクのモデルも、ア ムステルダムにあった。17世紀末、のちの大帝 ピョートルは西欧視察でアムステルダムに長期 滞在し、自ら造船作業に従事したほか、先進的な技術・文化を存分に摂取し、帰国後にサンクトペテルブルクを建設した。しかも彼は多数のオランダ人を連れ帰り、新首都の発展に投入した。街中でオランダ語が話されたこの町は、ニューアムステルダム Новый Амстердамとも呼ばれたのである。
興味深いことに、この三都市には重要な共通点がいくつもある。
第一は、いずれも港湾都市として発展し、各国の中心的な経済都市として繁栄する一方、政治の中心地(ハーグ、ワシントン、モスクワ)と距離を置き、国家権力から一定の自立性をもつ都市発展を遂げてきたことである。
第二は、この国際貿易都市たる三都市が、多様な民族・宗教が共存するコスモポリタン・シティとして発展したことである。この三都市では、都市当局による宗教的・民族的な迫害はきわめて少ない。いわばコスモポリタン的「寛容」のもと、ユダヤ人が多く住む町ともなった。各地で迫害される宗教的・民族的少数派の「アジール」でもあった。
第三は、この三都市が政治社会的なイノベーションの発信源として、文化芸術、政治経済の各分野にわたり、世界史にインパクトを与えてきたことである。絵画史に輝く17世紀オランダ絵画の舞台は圧倒的にアムステルダムであり、20世紀現代美術の中心はニューヨークだった。サンクトペテルブルクはロシア革命の揺籃の地であり、ニューヨークはニューディール政策で知られるローズベルト大統領を生み出した。ロシア革命とニューディールという、20世紀前半の世界史的な「事件」は、いずれもニューアムステルダムが発祥の地だったのである。
最後に、現代の世界政治を理解するうえでも、この視点は有用だろう。米国・ロシアの大統領、トランプとプーチンは、それぞれニューヨーク、サンクトペテルブルク出身だ。重大紛争の鍵を握る二国の元首がともに、ニューアムステルダムにルーツを持つ。しかも二人は、両都市のビジネスや政治行政上のネットワークを最大限活用して頭角を現し、最高政治指導者にのぼりつめた。新時代を(強引に)切り開くエネルギーの出処もまた、多様性の宝庫、ニューアムステルダムなのかもしれない。
千葉大学教授

