徳川家康像は現在、厨子の中に入っているので後ろの様子までは見ることができない。「無精髭を表現したほうがリアルになるんですけど、特別な記念像としてあえてそこは表現してません」

 

大本山増上寺に徳川家康像を安置する

──たくさんの佛像や作品を世に送り出してきていらっしゃいますが、その中でも印象的なのは?

松本 たくさんありますが、その一つとして、2024年に東京芝公園の大本山増上寺さまに納めた徳川家康像です。これはどちらかというと肖像彫刻のジャンルです。時々、お寺の発展に寄与された先代の遷せんされた住職を開山さんとしてお祀りしたい、と像を依頼されることもあります。そういうときは住職さんの写真を見ながらそっくりにつくります。肖像彫刻の場合は手とかもちょっとリアルなシワをつけて細かい部分まで再現します。佛像彫刻はそういったエイジングはやりませんけどね。

──徳川家康像はどういった経緯で製作することになったのでしょうか。

松本 全国に徳川家康像っていっぱいあるんですけど、唯一家康公自らが、60歳の還暦のときに見分したんじゃないかって言われる像が以前、増上寺の安国殿にありました。真っ黒になるまで家康公が手元に置いてた黒本尊さまと並んで祀られてあったんです。でも明治の廃佛毀釈のときに神佛分離令で芝東照宮に移設されてしまって、それ以来もうお戻りにならなくなったんです。増上寺さまは家康公の葬式もあげられている所縁あるお寺さまなのにも関わらず、明治から今日まで150年もの間、家康公の居場所だけぽっかり空いていたんですね。そこで、浄土宗の開宗850年記念事業として、家康像を元の場所につくりたいと発願されました。僕の尊敬する方が増上寺さまとご縁があり、家康像を寄付されることになってお声がかかりました。

 早速、僕は芝東照宮さまにいらっしゃる御像と同じものをつくるために、芝東照宮さまに取材させてもらおうと思いました。実物を見たことないもんですから。当然、歓迎されるだろうと思って行ったんですけど「御神体の写真を撮りたいとか、寸法を測りたいとか何を考えているんだ」くらいにお叱りを受けました。取材させてもらえなかったら、同じものをつくれないんで困りましたね。

 なんとか見せてもらえることになりましたが、見せる条件として「芝東照宮は御神体として100年以上お祀りしてるのに、それとそっくりにつくられたんじゃ、偽物がいるみたいになる。だから松本先生は、ご覧になって御霊写しをして、先生なりに家康をつくってください」と言われました。でも、元々増上寺さまからは、芝東照宮に祀られているものと同じものが欲しいという依頼やったんですよね。だから増上寺さまと芝東照宮さまの要望の間に挟まれてしまったんです。

 でも、芝東照宮さまにある家康像を見せてもらった時、僕はもっとリアルな家康像をつくりたいと感じたんです。だから見たままそっくりにつくろうとは思いませんでした。増上寺さまにもその意向を説明して着手することになりました。

 

天下泰平を済ました家康公をとことん再現

──どのようにリアルにしたのでしょうか。

松本 よく目にする家康公の肖像画でも省略されてたり、再現されてないところのリアリティをもっと追求したいと思って、装束屋さんに取材に行きました。石帯の表現や下襲、襟の留めなどを見せてもらって、腑に落ちるまでとことん取材しましたね。

 ただ、家康公がこだわったところなのでは、と思う部分は芝東照宮さまの家康像を踏襲しました。例えば口を開けてはるところとか、ポージングなどです。

 普通、武士はすぐに刀を抜けるように必ず自分の手前に置いておくんですよ。腰に刀を差したまま座ったら抜けないですよね。でも芝東照宮さまにある家康像は腰に差したまま、刀を使う右手も隠して座っていたんです。これは「もう刀は抜かないよ」という天下泰平を済ましておられる家康公の平和のポーズなんですね。

 だから僕の家康像では、天下泰平を済ましておられることを意識して、白髪混じりにしました。戦国時代は武将に白髪があると敵から舐められるんで、炭で塗って白髪を隠してたんです。けど、もう髪を染める必要はないわけです。60歳の人を想定した量の白髪で表現しました。

 他にも襪しとうず(足袋の一種)も漂白剤が無い時代の真っ白ではない江戸時代の白を出したり、とにかく装束の縫い方一つから隅々までこだわりました。それから雛形の段階で顔だけは何個もつくり、試行錯誤しました。誰よりも家康のことを考えて、全身全霊で製作にあたったんです。だからこの家康像はタイムマシンに乗って本人に会いに行っても相当似てるはずです(笑)。

 製作中にご子孫の徳川家広さま(徳川宗家19代当主)に初めてお会いしました。僕が家康像をつくっていることを知ってぜひとも見に行きたいと、京都までわざわざ来られたんです。

 感想を聞いたら、おじいちゃんと対面するお孫さんみたいにニコっと笑って、じっと向き合っておられました。ようやく口を開かれたのは「令和の家康さんですね。当時だったらもっと厳しい一面が表情の中の奥底にあったかもわかりません。ただ、今は令和ですから。穏やかな顔をされてて、令和の家康像としてふさわしいんじゃないでしょうか」って言っていただきました。徳川家康像は僕の代表作になりましたね。

──ありがとうございました。

聞き手 本誌:並木 悠

 

 

松本明慶工房親子孫3代 (右から松本明観氏・明慶氏・宗観氏)

 

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