多様なバックグラウンドを持つ女性たち

 大庭 私も史実至上主義ではないので、批判ではないのですが、戦前の日本において実際には存在した階層間の大きな格差が、ドラマではあまり明確には描かれていなかった点が少し気になりました。というのも、寅子の家は明らかに普通のご家庭ではありませんよね。戦前のサラリーマン家庭の中でも恵まれている家庭のお嬢さんという描かれ方はされていますが、それがあの時代に置いては相当な特権階級である、という点がドラマではぼかされています。また、寅子の同級生で物語の重要人物である山田よねさんは百姓の出で、貧しさから父親に売られそうになり家から逃げ、東京でカフェーで働きながら明律大学女子部に入学するという設定があります。ただ、実際の彼女の境遇だと、当時大学に通うことはほぼ不可能ですよね。令和の時代にあの時代の階層間の格差の現実を上手く表現するのは、難しいだろうとな思います。

 神野 そうでしょうね。

 大庭 あの当時は実家の財力や考え方など、かなりの条件がそろわないと、女性が大学で学びの機会を得るのは難しかった、ということをこのドラマはうまくオブラードに包んでいますね。ただ、この物語は、そうしたことよりもむしろ他のことを描きたいのだからこれでいいのかな、とも思います。寅子自身が、「学びへの門戸を閉ざされている女性が大勢いる」と明言していますし、それで十分かなと。

 神野 どこに焦点を当てるのか、バランスは難しいですよね。ドラマでは、明律大学の同級生として、いま名前の挙がったよねさんの他にも、家庭を持っている大庭梅子さん、華族の桜川涼子さん、韓国からの留学生の崔香淑さんという、多様なバックグラウンドを持ったキャラクターが登場します。明治大学専門部女子部にも、主婦や留学生がいたそうですが、とはいえここまでバラバラな出自の5人が友情で結ばれて一緒に学ぶということは、現実ではありえなかったと思います。でもドラマでは、あえてこの多様性を描いていて、そのことに意味があるのだと思います。少なくともこの5人には、バックグラウンドが異なることで存在する社会的な「壁」を、一緒に飛び越えていこうとする意志があったわけですから。このドラマのテーマを表す象徴的な描き方だと思います。

 大庭 5人で過ごした海辺のシーンはとても印象的でしたよね。

 

「はて?」が嫌いな人たち

 大庭 先ほど神野先生から、「虎に翼が嫌いな人はメッセージ性が明確にある点が嫌なのでは」とのお話がありました。どのドラマでも肯定的な意見と否定的な意見はありますが、「虎に翼」についてはどんな批判を目にしましたか?

 神野 第51話で、寅子の同窓生である花岡さんが栄養失調で亡くなったこと受けて(モデルは山口良忠、食糧管理法を遵守して闇米を食べず亡くなる)、絶望している轟さんに、よねさんが「惚れていたんだろ、花岡に」と迫るシーンがありました。花岡さんも轟さんも男性として描かれる登場人物ですが、これについて、同性の恋愛感情という要素をこのドラマに突然持ちこまなくてもいい、という批判を見かけました。

 大庭 私もその批判は目にしました。大変厳しく批判している方もいましたよね。

 LGBTQにふれることそのものが、そもそも嫌だというのもあれば、LGBTQは現代的な概念なのにそれを昭和の物語に持ち込んだとして違和感を表明している方、いろいろでした。

 また、このドラマを嫌いとおっしゃった方の一人は、「男女が協力して家庭をつくっていこうとしている令和の時代に、女性に結婚の危機感を植え付けるのはいかがなものか」という意見を述べていました。ちょうどこの頃、寅子が、当時の民法では結婚すると女性が「無能力者」になることを知り、「はて?」と結婚そのものに疑問を膨らませていく姿を描いていた回が放映されていました。しかし、戦前の法制度はまさにそうだったわけで、歴史的事実ですよね。なぜそれを批判するのかよくわからなかったです。寅子が「はて?」と発することそのものが、女性はこうあるべきという固定観念に反しているのかな……

 神野 これは私が個人的に推測しているだけですが、「虎に翼」が「嫌い」な人は、先生がおっしゃる固定観念の手前に、「自分は社会のありようを批判するけど、他の人が批判するのは嫌い」という気持ちが少しあるのではないでしょうか。ドラマでは、寅子が社会の様々な違和感に気がついて、「はて?」を連発していますが、もうそれが気になってしまう。厳しい言い方で言い換えれば、主人公にはいい子でいてほしいという願望がある。

 大庭 「はて?」が嫌となったら、それはもうあのドラマ見られませんよね(笑)。

 神野 このいい子でいるべきだという意識は、学生たちと話していても感じるときがあります。若い人でも、とにかく社会規範やその場の雰囲気に従うほうがいいと考える人が多いように思いますね。

 大庭 これは問題ですね。全然違う例ですが、イスラエルに対する抗議デモが全米の大学で起こっていて、その影響で卒業式が中止になる大学も出てきましたが、このような抗議デモをする必要性がよくわからないと言う学生がいました。彼らからすると、抗議デモは社会を乱す行為に映るわけです。卒業式が中止になって、警察が出動する。そこまでのことをする必要があるのかと。神野先生がおっしゃっているようなタイプの学生に近いですね。

 神野 まさしくそういう傾向がありますよね。法学は、権力(国家)を疑い、それを憲法でどう縛るかというところから始まる学問です。国家はいつでも権力を濫用する可能性があり、それを見張る役割が市民にはあります。しかし、今の日本の学生たちは国家を信用して、むしろ周りの人を信用しない傾向があるように感じています。市民に対する不信感が強くて、市民に対して国家が注意してほしい、わからせてやってほしいという願望が強い気がします。

 大庭 これは困った話ですね。確かに思い当たる気がします。若い方々の中に、社会を乱すことへの嫌悪感があるのかもしれません。今ある社会の現実を超えた普遍的な価値や理想が存在し得るのだ、ということが伝わりにくい。

 例えば、その一つが人権という概念です。実際、現実社会は様々な不平等が蔓延っているけれども、自然法の観点から見ればこうした現実を超えた「こうあるべき」という範が存在する、という考え方を前提として、人権概念は成立しますよね。このような抽象的な話が伝わりにくいような印象がありますね。

 神野 要するに、自然法というフィクションを共有できていないということですね。現実は一旦横に置いておいて、世の中はこういう前提で考えるという部分が共有できていない。

 大庭 今のお話と通じる点があると思うのが、よねさんを嫌いという人たちです。よねさんを嫌う人は、彼女が寅子を攻撃したり、何かとキツイ口調で言ったり、喧嘩で手を出すところが嫌いだと言います。

 神野 そういうふうに思われる方は、物事は円満で平和に進むほうがよくて、周囲を乱しているように見えるよねさんに、好意を持てないのかもしれません。ドラマの中のその時代の社会規範というものを超えたところでよねさんが戦っているとは思えないというか。

 大庭 そうですよね。明律大学女子部の5人の中では、よねさんへの批判が多い印象です。服装もそうですし、円満さを欠くような行動をするキャラクターだから、やはり目立って見えるのでしょう。

 神野 お話を伺って少し不思議だなと思うのが、よねさんのようなキャラクターを受け入れていくほうが円満になりますよね。よねさんのとげとげしくも悲しみを抱えているところはもちろん、多様な人たちを受け入れ、受け止めることが寛容であり、それが結果として社会的な円満さを生むと思います。しかし、円満になるようには振る舞わないよねさんを批判して、結果として社会的な円満さが生まれなくなっている。

 大庭 そうですよね。むしろ、よねさんの正しいことをズバッというところに魅力を感じる熱烈なファンもいますね。

 

日本国憲法による社会の大転換はドラマで描かれているか?

 大庭 「虎に翼」では、1946年に制定された日本国憲法が象徴的に扱われていました。この憲法の制定に合わせて、法律や民法、裁判所や司法に関する制度、検察、警察など、世の中のありとあらゆるものが変化しました。とてつもない社会の大転換点です。「虎に翼」では日本国憲法制定を受けた社会の変化が十分に描かれているのでしょうか?

 神野 まず、今放送中のドラマの内容(第11週、12週)としては家庭裁判所の設立に内容がかなり寄っているので、ドラマを見ているだけだと、社会の背景が少しわかりづらいかなと思っています。

 大庭 そうですね。戦災孤児の存在にフォーカスして、当時の社会的な背景を描いてはいるようですが。

 神野 その上で、ドラマが社会の変化を描けているかということを考えたとき、一つ重要なのは、そもそも法律の変化に伴う社会の変化は、かなり遅れてやって来るものだということです。憲法が変わって、民法が変わっても、家の中には家制度的な要素はかなり色濃く残り続けますし、平等なるものがどういうものなのかは社会にはまだ浸透はしてないですよね。

 ただ、日本国憲法による小さな世の中の変化の例を挙げると、1950年代の石川県のある小学校のPTA新聞を史料として読む機会があったのですが、その新聞にはPTAの母親たちの「新聞を作る喜び」が込められていました。地方の、おそらく当時あまり高い教育を受けたわけではない母親たちだと思われるのですが、自分の思ったことを文章として書いて人に伝えられることが嬉しいという、複数の母親の声が書かれていました。女性が自分の意見を言う、ということについて、状況が少しずつ変化し始めていたことの表れですね。

 構造そのものが劇的に変わっていくのはもう少し後ですが、PTA新聞のように女性の社会進出がほんの少しですが進み、それを喜ぶ女性たちの声があったことは事実です。ドラマでも、もう少し日本国憲法の公布・施行に伴う社会の変化が見えると良いですよね。

 大庭 確かに、いま「虎に翼」で放送している時代は、女性の権利拡大に対する期待と高揚感が高まった時期でもありましたね。戦後まもなくの1946年には、1期生として39人もの女性国会議員が誕生しました。この数字は当時の国会議員全体における9・7%を占め、盛り上がりを見せます。

 しかし、その盛り上がりは維持されず、残念なことに時代が進むにつれて、政治における女性の存在感がどんどんと減っていってしまいます。そして現在、国会議員における女性の割合は1034%です。初の女性国会議員の誕生から78年経ったにもかかわらず、大して増えていません。むしろタレント寄りの女性議員が増加し、政治における存在感が、78年前より圧倒的に薄くなっています。

 神野 おっしゃる通りですね。先生がおっしゃるような前向きな時代が一度あって、その後にまた停滞の時代を迎える。

 大庭 そうですね。停滞を迎えて、外圧によって少しずつですが前進し、現在に至るということですね。男女雇用機会均等法の成立も、1985年に女性差別解消条約へ締結したことがきっかけでした。たとえ外圧が直接的契機であっても、女性へ雇用の門戸が開かれたという意味で、非常に素晴らしいことではありますが。

 

「困っている方を救い続けます。男女関係なく」

 大庭 三淵嘉子さんは、女性初の弁護士の一人であり、女性初の判事、家庭裁判所所長であるがゆえに「女性初」という部分が強調されることが多くあります。しかし、先生のご著書には、嘉子さんの「女性であるという自覚より人間であるという自覚の下に生きて来たと思う」という言葉が紹介されていました。

 嘉子さんが、女性に限らず市民の権利の保障や拡大を志向されていたという点は、ドラマの中でも意識的に描かれていると感じます。例えば、高等試験合格の祝賀会でのスピーチで、寅子は「困っている方を救い続けます。男女関係なく」と力強く自身の思いを述べています。ただ、この時代に男女の格差が明確に存在したのは事実です。そんな、まだ男女平等から遠い時代の中で、男女関係なく人間としての平等や権利の保障を説いた嘉子さんへの評価を、どのようにご覧になっていますか?

 神野 そこに関して言うと、嘉子さんと現代の私たちの感覚との間に、やや隔たりもあるかなと思います。嘉子さんは弱い女性を助けるというより、女性の地位を上げることにご関心があったのだと思いますし、彼女は「男女関係なく」という思いをもちろん持っていましたが、ただ、人間としてと考えるためには、女性の地位を男性と同等にまで上げていく必要があり、そのためには、まず自身が頑張らなくてはいけないと思っていたのでしょう。

 ただ、嘉子さんがここでイメージしていた自分自身(女性の地位を上げるために頑張る女性)というのは、客観的に見ると、女性の絶対的な地位を上げるというより、男性の世界に女性が入っていくというところからは抜け出せていません。つまり、男女というものを取り払った人間というより、女性が男性の世界に入ることで、「人間として」考えることができるというイメージだったのではないでしょうか。

 大庭 それは興味深い指摘ですね。

 私も「男女関係なく人間としての平等や権利の保障」という姿勢は非常に大事だと思っています。ただ、嘉子さんが生きた時代はもちろんですが、今の時代も結局様々な場面で負荷が女性に掛かっていることは確かです。例えば、根強い賃金格差や待遇格差、出産によるキャリアの中断、働きながら子育てする上での女性に掛かる負荷など、いろいろな格差が残っています。この格差が残る状況の中で、「男女関係なく」と強調することが少し引っかかってしまいました。

 というのも、非常に極端な例ですが、これって男女格差解消のためにクオータ制に関する議論をする時に、導入に反対する人々の主張と重なってしまうのです。「いま格差はすでに存在せず平等である。女性も十分恵まれている、男女というくくりではなく人間として平等に評価すべき。だからクオータ制は必要ない」と。嘉子さんがこれと同じ文脈で「男女関係なく」を主張されていたとは思いませんが、彼女のアプローチだと目の前に格差を解消することには繋がらない部分もあるのかなと感じました。神野先生の話を伺う限り、嘉子さんは男女問わず世界全体を底上げしていくという発想が強かったのかもしれませんね。

 神野 そうですね。それで言うと、嘉子さんは後輩の女性のために自分が頑張っているという自負が強くあったと思います。だからこそ判事補、判事、家庭裁判所所長と明確なキャリアのステップを上がり、女性が男性に並んでいくことを意識したと。

 大庭 なるほど。職位が明確だと、女性にとってはやりやすいかもしれません。

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