『公研』2024年8月号「めいん・すとりいと」

 

 アメリカ大統領選挙が異例の展開を見せている。いずれも過去に例がないわけではないが、本選挙で一度落選した元職が同じ政党から三度目の候補者指名を得ることも、再選をめざした現職が党内での候補者指名過程の途中で辞退に追い込まれることも稀である。

 このような例外的な動きの末に、トランプ前大統領の返り咲きの可能性が高まっているともされ、それに対する世界的な懸念も目立つようになった。

 近年のアメリカでは二大政党のイデオロギー的対立が深刻化しており、政権交代が大きな政策転換につながるという警戒はわからないでもない。トランプ氏や副大統領候補のヴァンス氏は「アメリカ第一」を掲げ、外交については孤立主義志向が目立つだけに、なおさらであろう。

 しかし、より大きな構図から見れば、外交と内政の両面で、アメリカの政治は長期にわたり超党派的に関与の縮小を続けている。いわば、延々と撤退戦を行っているのである。ごく簡単にではあるが素描しておこう。

 現在のアメリカ政治の姿は、19世紀末から20世紀の前半までに基本型が確立された。

 内政面では、1865年に南北戦争が終結した後、産業革命の時代を迎える。大陸横断鉄道の開通、鉄鋼業などの工業の隆盛、大都市の形成、そしてフロンティアの消滅など、社会経済活動は大きく姿を変え、それに伴って政策課題も複雑化、全国化した。

 本来は州政府が担っていた社会経済活動が生み出す課題への対応は、次第に首都ワシントンの連邦政府が取って代わるようになり、その中でも大統領と行政官僚制の役割が増大していった。1930年代のニューディール政策は、その総仕上げであった。

 外交についても、19世紀末の米西戦争を皮切りに太平洋地域への関与を、第一次世界大戦を契機に大西洋地域への関与を強めた。ときに揺り戻しもあったものの、第二次世界大戦を経て国際政治経済秩序を支える超大国としてのアメリカは完成する。

 これらが逆転し始めるのは、1970年代以降のことである。ニクソンショック、主要国首脳会議の開始、日本を含む同盟国への防衛力増大要求などは遠い過去のように思われるが、国際政治経済秩序をアメリカ単独では担わないという動きの端緒であり、基本的には今日まで継続している。

 その間、いわゆるネオコンが主導した対テロ戦争のような出来事もあったが、アメリカはもはや「世界の警察官」ではないという立場は、オバマ、トランプ、バイデンの各政権に共通する。同盟へのただ乗りは許さないというヴァンス氏の発言は、急進的ではあるが、近年のアメリカ外交の基本的方向性の延長線上にあるともいえる。

 内政についても、いわゆる「小さな政府」論が唱えられ、社会経済活動への政府の関与が低下するとともに、近年の人工妊娠中絶をめぐる最高裁判例のように、関与するとしても連邦政府ではなく州政府が判断すべきという立場も復権しつつある。それに反対する考え方も依然根強いが、1960年代までのような連邦政府万能論はほぼ消滅した。

 このように考えてくれば、政権交代の可能性に関心を寄せすぎることの危うさも明らかになる。トランプ氏の再登場さえ避けられれば世界は安心、というわけではない。もちろん、ここで述べたような構図からの理解に頼りすぎてはならないにしても、アメリカ政治を考える際には、短期的な動きだけではなく、長期に及ぶ底流にも目配りしたほうが良いであろう。

京都大学教授

 

 

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