新型うつ病は社会が生んだ現象?
北中 それは確かにそうかもしれません。ただ、それができると思えるのは、私たちのような昭和世代だからこそかなとも思います。特に今の若者は先が見えない厳しい社会で生きているので。
精神科医の神田橋條治先生も指摘されている点ですが、高度経済成長時代にも同じような長時間労働・過労状況があったかもしれないが、当時は、現在のような過労うつ病に陥る人は少なかった。この違いの背景には何もかもが右肩あがりな当時の社会状況が関係しているのではないか、と。つまり、自分だけではなく皆が大変で、皆が苦労している。だけど、それを乗り越えるときっと報われると思える時代にはうつ病は少ないということです。希望があるからですよね。
一方で、2000年代のように、経済格差がどんどんと開き、上手くいく人はどんどん稼いで、しかし大部分の人は取り残される。どれだけ頑張っても報われず、将来はきっと上手くいかないと感じてしまう。そういう時代には徒労感ばかり募りますし、そういった社会はうつ病を大量に生み出します。
さらに、会社自体に余裕がなくなってしまっていて、就職しても充分な新人教育も受けられない状況で、若者はどうしていいかわからなくなっている状況があると思うんです。精神科医の神庭重信先生もおっしゃっているのですが、昔の新人は丁稚奉公のように先輩に面倒を見てもらえた。厳しく怒られもするが、何かあると守ってもらえる安心感があった。職場にそういった、新人のミスを許し、育てていこうという雰囲気がなくなり、新人なのに失敗が許されなくなる中で、いわゆる新型うつ病みたいな状況に追い込まれていく人が増えているのかもしれないです。要するに新型うつ病という現象は、社会の構造変化によって生み出された病とも言えるのではないでしょうか。
ただ、現在では認知行動療法やマインドフルネスのように精神療法にも様々な種類がありますし、確かに(完璧主義といった)自らが鬱になりやすいような構造をつくり出してしまっている場合は、それに気づいて自分を守れるようになったほうが絶対いい。どのようなタイプの人に、どのようなタイプの病に、どのような治療の可能性があるのか、といった情報がより広く伝わるといいですね。
また、ストレスチェックが企業でも施行されていますが、これを個人のストレスを測るだけでなく、部署や組織全体の健康度を測るために用いられたりしています。こういった方法が、個人を追いつめない方向で、環境改善のために使われるといいですよね。
林 うつ病と言われているものにもいろいろあって、各々に対して特異的な方法があるので、そこが広く周知されないと社会の色々なところで混乱が起きてしまいます。
私の専門である脳科学側にも混乱の原因はあると思います。現状として、内因性うつ病と、新型うつ病のようなそれ以外のものを区別する客観的バイオマーカー(疾患の有無などの指標となる項目や生体内の物質)は発見できていません。それゆえに、両者がごちゃ混ぜにされてしまう。ここは基礎科学が取り組むべき課題だと感じています。
脳への電気刺激でうつ症状が軽減?
北中 実際、脳の研究分野からうつ病はどこまで解明されているのでしょうか?
精神疾患と脳科学の関係で言うと、私が精神医学の道に入った2001年頃はゲノムや分子で何もかも解明できると信じられていた熱狂的な時代がありました。最近だと2010年以降に、自閉スペクトラム症やADHDを筆頭とする発達障害の分野で、ニューロダイバーシティという言葉をよく聞くようになりました。そもそもの脳構造自体が異なるのだから、それを互いに尊重し合おうという考えです。このように徐々に脳と神経疾患の距離は縮まっていると思うのです。
林 まず前提として、環境因子がうつ病のトリガーになる得ることには、強いエビデンスがあるとされています。その上で、脳で何が起きているかと言うと、気分に関係する神経伝達物質の一種である、モノアミンやセロトニンの増減が、うつ症状を引き起こしているのだろうと言われています。しかし、増減が起こる原因はわかっていません。結局、うつ病患者の脳の中で起きていることは少しずつ解明されてきてはいるのですが、何が、どうして疾患を起こすかという因果関係はわかっていないのです。
ただ、最新の脳研究から言えることは、幸せな気持ちや抑うつ的な気持ちなどの情動を制御しているのは、やはり脳活動であるらしいということです。脳の深部に電気刺激を行う治療法である、DBS(Deep Brain Stimulation:脳深部刺激療法)を活用したうつ病の研究を例にあげましょう。まず、DBSを行う前に、電極を刺して脳活動という客観的なデータを取りながら、今は幸せか、憂鬱か、イライラしているかという患者さんの主観的データを記録、比較します。そして、その大量のデータを機械学習にかけることで、脳活動というビッグデータから、どの脳活動の時は幸せなのか、そうでないのかという解析が可能になります。その分析を基にDBSを使って、幸せな気分に対応する脳活動になるようなオーダーメイドの刺激を送ります。刺激を送る部分もピンポイントかつタイミングも細かく決まっています。これをオーダーメイドDBSと呼び、実際に刺激を送ることでうつ病の症状が軽減するというものです。
北中 対象となったのはいわゆる内因性うつ病と呼ばれるような、バイオロジカルな原因が強い方でしょうか?
林 そうです。最低2種類の抗うつ薬を十分な期間服薬しても回復しないという条件を満たした、かなり重篤な内因性うつ病の方を対象とした実験です。
この実験の凄いところが、二重盲検試験と言って、対被験者も試験実施および評価にあたる医師も、どのような刺激が行われているか、わからない状態で行われた点です。二重盲検試験によって、有効性・安全性評価に対する偏りの介入を避ける目的があり、信頼性が高いと言われている方法です。このような条件下の実験だと、いま脳に流している電流が幸せな気分になる刺激かそうではないかは、患者と医者の両者に伏せて行われます。DBSの機械を扱う裏方の技官だけがそれを知っていて、さらに言うと、偽の刺激を与えたら、うつ病の症状が戻ってしまったのです。刺激によってうつ症状が良くなることは、決して思い込みではないということですね。明確に脳活動が私たちの気分を左右しているわけです。これは新しい時代になったなと感じましたね。
ただ、探索的な研究としては素晴らしいと思いますが、良い面ばかりではありません。この症例に関して言えば、脳に電極を16本も刺し、脳刺激の最適化には6カ月が必要でした。WHOによると2030年には、すべての疾患の中でうつ病が最も健康面での負担を強いる病になると言われています。非常に素晴らしい研究結果ですが、今後、うつ病の増加が予想される中で、費用や期間という問題を現実的に考えて、このオーダーメイドDBSが誰でも使える治療法になるとは思えません。何と言っても、なぜうつ病になるのかという最後の、そして最大の生物学的問いはまだ解明できていないままです。
目に見える脳画像で目に見えない病への共感を
北中 脳神経科学の分野に期待しているのが、脳画像やデータを活用することで精神疾患を周りの人によりリアルに感じてもらうことができるのではないかという点です。いま認知症の調査をしているのですが、症例を見ていると明らかに脳が原因だよねと感じることが多いです。症状を中々受け入れることができなかった家族が、脳画像で脳の萎縮を示されることで、急に共感的になるということが多々あります。なので、もっと脳の分野からも言ってくれたらいいなと思っています。
林 そうですね。認知症は脳画像で神経細胞死が確認できますよね。統合失調症や双極性障害にも、脳萎縮があります。
脳画像で言うと、統合失調症の幻聴も脳画像で確認できています。ファンクショナルMRI(静止画だけでなく脳活動まで見ることができるMRI)に、患者さんに入ってもらい、幻聴の始まりと終わりにブザーを鳴らしてもらうという実験があるのですが、MRIの中で、普通の会話、複数の会話を混ぜた意味をなさない会話、機械音を聞いているときの脳活動と、何も音が流れていないときの脳活動を記録します。すると、幻聴を聞いている時も、人の声が聞こえている時と似たような脳活動を示したのです。幻聴時には、脳では本当の音が聞こえている時と類似の活動が起こっているということですね。
北中 それ本当に重要ですよね。幻聴は気のせいではないと脳画像が示しているわけですから。精神疾患の症状は、異常な状況に対して正常な反応をしているにすぎません。ここへの理解が広がれば、疾患への共感に繋がるかもしれません。
シナプスから解く統合失調症の幻聴
林 統合失調症が脳の病気であることのエビデンスですね。さらに、統合失調症の幻聴についてここまでわかると、次の問いは、なぜ本当は音が聞こえていないのに聴覚野が活動してしまっているのかです。ヒトの脳は実験には使えないので、統合失調症のモデルマウスの脳を調べます。脳は神経細胞が繋がりあってできていて、電気信号によって脳内での様々な情報のやり取りが行われています。中でも、シナプスとは神経細胞同士が連結する接点を指すものです。シナプス前部神経から放出される神経伝達物質が、シナプス後部神経の受容体に結合し、電気的な信号が伝達されることによって、脳内でさまざまな機能が実現され、私たちの感覚・思考・行動が生じるという仕組みになっています。
ところが、統合失調症のモデルマウスはこのシナプスの伝達が通常のマウスと異なるために、神経発火(神経細胞が電気信号を発生し、それを他の神経細胞へと伝達する現象)が非常にしやすくなっていることがわかったのです。このような活動しやすい神経細胞があると、少しの神経細胞の活動のゆらぎで聴覚野の活動が促されて幻聴が聞こえるのではないかという仮説を持っています。
通常のシナプスは、最低でも約10~20個のシナプス入力が神経細胞に同時に到達しないと神経発火はしません。シナプスが同時期に協調的に入力されることが神経発火には重要であることから、これを「シナプス民主主義」と呼びます。しかし、統合失調症のマウスでは非常に強いシナプスができてしまい、2~3個のシナプス入力で神経発火が起こってしまうことが確認できました。シナプス民主主義の破綻ですね。マウスレベルではここまでわかってきています。
さらに、そのマウスのデータを計算脳神経回路モデルに代入すると、幻聴のような脳活動が見られたのです。先ほど出てきた、幻聴時の脳をファンクショナルMRIで記録したものと同じようなものです。ここからわかることは、すべての統合失調症に当てはまるわけではありませんが、一部患者さんの病態は、シナプスと神経発火の不具合、つまりシナプス病であるということです。
そもそも、統合失調症ではゲノムによる素因が認められています。加えて、モデルマウスでわかったようなシナプス機能の計測、シミュレーション、患者さまの死後脳、患者さまからのiPS細胞などの様々な研究を組み合わせることで、統合失調症の方の脳で何が起こっているのかが解明されつつあるのです。次の段階としては、原因に立脚した治療法の確立ですね。
北中 やはり脳科学のようなコアの部分から精神疾患にアプローチすることは大切ですよね。前半でお話ししたように原因がコアの内因性なものと、外側の環境要因によって大きく症状が変わってしまうものの両方があると。
ただ、人類学者として強調しておきたいのは、脳科学からのアプローチが大切なことは大前提として、環境要因によって症状が大きく変わってくるということです。認知症の方の嫉妬妄想や物盗られ妄想の例を見ていても、お薬がなくとも(もしくは極めて少量でも)、社会的サポートを入れて、家族関係を良くするだけでも、数カ月ほどで驚くほどに症状が改善されます。
また、これは統合失調症の当事者で心理学者でもある方がおっしゃっていたのですが、幻聴が聴こえ初めてきた時に、周りの友人がそれを「気持ち悪い」「怖い」という風に扱い、医師が好奇心に溢れた反応を見せたことで、どんどん脅威的な声に変わっていったそうです。やはり、周りが病をどう眼差し、ご本人をどう扱うかによって、症状も劇的に変わります。これは希望でもあると思うのです。
林 おっしゃる通りです。それこそ北中先生がおっしゃるように環境調整、そして医療的介入の二つがあるべきだと私は思います。今回、北中先生と対談したいと思った理由は、各々の専門性は違いますが根本的には同じような問題意識を持っていると感じていたからです。私のような神経科学者は何が起こっているのかをシナプス、分子、細胞のレベルで解析を進めて、生物学的エビデンスをつくる。一方で、先生のような社会学的な見地から当事者にとって何が最適かを分析していく。この両輪が必要だと思うのです。どちらか一方が欠けてしまったら前には進めませんよね。分野をまたいで行ったり来たりしながら、両方の知見も深めていくことが最適ではないでしょうか。
自閉スペクトラム症の事例で、両輪の大切さを実感しました。私のラボは統合失調症がメインのラボなのですが、最近は自閉スペクトラム症の研究も進めています。自閉スペクトラム症は遺伝的素因も多いと言われている疾患です。そして関連遺伝子多型を模したモデルマウスを見てみると特徴的な脳活動が見られ、この活動と疾患関連行動との相関があることもわかりました。脳活動が自閉スペクトラム症の特徴と深く関係しているということです。脳活動は感覚と強く関係しているので、感覚過敏を特性として持つことが多い自閉スペクトラム症の方の脳活動研究はとても重要です。
嗅覚以外のあらゆる感覚はすべて脳の視床に入り、大脳皮質や前頭葉へ送られていくのですが、自閉スペクトラム症のモデルマウスだと視床のフィルター機能に少し不具合があり、それが原因で症状が引き起こされるということもわかってきたのです。つまり、脳の中で感覚が過剰に表現されているわけで、だからこそ感覚過敏には環境調整が奏功するかもしれないという仮説を支持する発見です。このようなエビデンスを蓄積することは、論拠のある効果的な環境調整にも繋がるのではないでしょうか。そういう意味でも様々な分野の知見を結集させて疾患研究を進めていくことの意義は大きいと思います。
北中 1970年頃まで自閉スペクトラム症は、母親の子どもへの冷淡な態度が原因であるという、精神分析的な理論が根強く残っていましたよね。そういう意味でも、自閉スペクトラム症にとって、林先生がおっしゃるような脳科学からの提言はとても大事ですね。
林 「冷蔵庫マザー理論」と呼ばれていましたね。当事者やその家族を追い詰めるひどい誤謬です。
北中 この理論に反するように、アメリカでは、自閉スペクトラム症の親たちが自分たちで基金を起こし、当事者家族の膨大なゲノム情報を寄付し、助成金を若い研究者に出しながら遺伝子研究を進めたという歴史があります。だから、脳科学の発見や脳科学の言葉が当事者にとっても救いとなりますし、自分を語る手段にもなり得るのです。バイオロジーの研究が、以前は遺伝として語られていたような「呪い」ではなくて「救い」として当事者に受け容れられつつあるというのが重要な変化だと思うのです。
ただ、一つ先生にお聞きしたかったのが、脳科学の知見が見せてくれるものは「脳とはダイナミックかつ可塑性なものである」ということであって、それは当事者にも希望を与え得るものであるはずですよね? にもかかわらず、一般には、脳の病というと「自分ではコントロールできないもの」という偏見が根強く残っているように思います。このよくわからないもの、どこかおどろおどろしいものという脳のイメージを、科学的解明が可能なものに変えることはできるのでしょうか。
林 それは分子、シナプス、細胞、回路のレベルでの全解明しかないですかね。
北中 林先生は先ほど出てきた「シナプスの民主主義」のようなお話をされたりしていますよね。そういうイメージを流布することが、一般の人の脳の複雑さと可塑性への理解に繋がるのではないかと考えています。
林 そうだと思います。やはり神経生物学の言葉で説明する。これは私のライフワークだと思っています。生物学的エビデンスに立脚した治療法を精神疾患で確立できたら、それはいわゆる癌のような病と同じと言えます。そうすればもうスティグマはなくなります。一時的にそういう状態に陥っても適切な治療で治る可能性が出てきたわけですから。少し先になってしまうかもしれませんが、そこをめざして研究は続けていきたいですね。
当事者・脳科学・臨床医の連係を
北中 最後に林先生にお願いしたい点として、無論、バイオロジカルな視点からどんどん精神疾患を解明していただきたいなと思っているのですが、他方で、基礎研究側と当事者研究側が、もっと連携し架橋される状況が生まれると理想的だなと感じています。実際、イギリス等でも、精神障害に対してまだ根本的な原因が解明されていないのなら、従来の精神医学で語られてきた領域を超えて心や脳の病には何が効くのかを、いろいろな可能性を含めて洗い直してみようという動きが広まっています。
例えば、友人との会話や森林浴などの精神疾患への効果です。それを試みているのが、当事者自身で実験的な方法を用いて解明を試みる当事者研究だと思います。当事者研究では、「友達との会話が治療的である」というような単なる印象、語り、ナラティヴとされてきたものを超えて、そこにエビデンスを見つけ出そうとしているのです。そういった動きに林先生のような脳科学者としての知見が加わるような場があり、当事者、脳科学、臨床医の三つ巴でやっていけたらいいなと感じています。
林 おっしゃる通りです。それはPPI(Patient and Public Involvement:研究への患者・市民参画)と言うのでしょうかね。PPIは最近注目を集めていますよね。アメリカではPPIの要素がないと助成金の獲得が難しくなっているそうです。当事者研究に、精神科・神経科学・統計学・機械学習などの情報系の人が入ることで、精神疾患が新しい時代に突入することを期待しています。
北中 そうですね。医療人類学も、臨床家と当事者が漠然と感じている言葉に耳を傾けて、両者を架橋できる翻訳家のような役割で精神医学に貢献していけたらいいなと思っています。
(終)