『公研』2023年1月号「めいん・すとりいと」

 

 音楽は極めて政治的な芸術である。抽象的だから一見、政治とは無関係に見える。だから怖い。「音楽に政治をもちこむのはやめましょう」といいながら、いくらでも政治利用できる。なにせ音楽は人を集団熱狂させることができるのだ。絵や文学や芝居ではこうはいくまい。ある音楽をふだんから好んで聴くということは、特定の思考や感性の回路を知らないうちに刷り込まれるということなのかもしれない。ヒトラーがワーグナーを大好きだったことは有名だが(ちなみにロシアの傭兵会社も、社長がワーグナー好きらしく、「ワグネル」である)、もしワーグナーのあの勇壮な音楽が存在していなかったとして、ナチスの国民動員はあそこまで成功しただろうか? この血塗られた過去のゆえに、イスラエルではいまだにワーグナーの演奏は自粛されている。

 ひるがえって21世紀。ウクライナ戦争がきっかけとなって、音楽界でもまたぞろ目をそむけたくなるむき出しの政治性が露わになってきた。例えば戦争勃発の当初、日本のいくつかのオーケストラが、予定していたチャイコフスキーの序曲『1812年』の演奏をとりやめた。これは1812年のナポレオン軍に対するロシアの勝利を記念する作品で、フィナーレではロシア帝国国歌が高らかに奏でられ、ロシア文化のシンボルとも言える鐘が鳴り響き、そしてなんと大砲まで轟く。ド派手で演奏効果抜群の作品である。音楽には何の罪もないが、しかしロシアの大勝利を祝うこの曲を、毎日のようにマリウポリからの映像が流れる状況で演奏することはできなかっただろう。

 ヨーロッパの事情はさらに生々しい。まずロシアの世界的な指揮者ゲルギエフ。彼は以前からプーチンに極めて近いことで知られていたが、戦争勃発とともにドイツなど旧西側のオーケストラとの契約をすべて打ち切られた。コロナが始まって外来音楽家の来日がストップしていた2020年の秋、特例と言ってよいかたちで来日公演を行ったウィーン・フィルに同行したのが、このゲルギエフだった。あれから2年。彼はもはやいつ日本で再び聴くことがかなうかもわからぬ、幻の指揮者になってしまった。

 当代随一のカリスマ指揮者テオドール・クルレンツィスも、政治バイアスに翻弄されている。彼はギリシャ人なのだが、活動の本拠地をロシアに定め、あからさまに反西側=反グローバリズム的な発言を繰り返してきた。そして彼の超攻撃的な音楽、そして「音楽は娯楽商品ではない」という主張は、世界中のクラシック・ファンを熱狂させていた。しかし戦争がはじまると同時に、彼とそのオーケストラがオリガルヒ系の銀行から大規模支援を受けていたことが明らかになり、西側のエージェントは彼に旗幟鮮明にするよう迫った。しかし、彼はいまだにはっきりした答えを出していない。かくしてプレ・コロナ時代のクラシック界最大の寵児だったクルレンツィスは、ヨーロッパ音楽界で完全な「ヒール役」にされてしまったようである。彼とその手兵であるオーケストラ(ムジカ・エテルナ)は、ドイツなどに演奏ツアーをしているようではあるが、ロシア擁護の発言をした数名の団員が、ステージに上がることを主催者側に拒否されたなどというニュースも出ていた。

 いやおうなしに政治に巻き込まれ、いいように政治に翻弄され、そして人々を無意識のうちに洗脳していく音楽という芸術。その怖さを絶対に甘くみてはいけない──これが私の得た2022年の最大の教訓である。

京都大学教授

 

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