『公研』2021年1月号「対話」
牧島 かれん・衆議院議員 自由民主党青年局長×小林 史明・衆議院議員 自由民主党デジタル社会推進本部事務総長
日本社会は高齢化が一層進んでいる。次世代の政治リーダーは次の時代の日本社会をどのように描くのか?
デジタル化・地方創生・男女同権などをテーマにビジョン、構想を聞いた。
ルールを変える側に回りたい!
小林 今日はデジタル化がテーマですが、私が2019年9月から約1年間、自民党青年局の50代目の青年局長を務め、かれんさんに昨年9月からは51代目を引き継ぎ、青年局組織のデジタル化を共に推進しています。かれんさんとは問題意識を共有できているのではないかと思っていますが、その前にまずは政治家としての原点についてお互い再確認できればと思います。かれんさんが政治家を志したきっかけは何だったのですか?
牧島 そう聞かれると、政治家同士で「なぜ政治を志したのか」を語り合うパターンはあまりなかったように思いますね。私のきっかけになったのは、2001年9月11日の米同時多発テロでした。私は当時ワシントンD.C.にあるジョージ・ワシントン大学の大学院で、2000年の米大統領選挙の研究をメインテーマに政治学を学んでいました。
9・11当日はアパートにいましたが、攻撃されたペンタゴン(米国防総省)も近くにありましたから、サイレンが鳴り響いて救急車が行き来する様子を見ているんです。「何か起きたな」ということはすぐにわかりましたが、繰り返し放送されたニューヨークのツインタワーに航空機が追突する映像を観て本当に衝撃を受けました。次第にテロの全貌がわかってきましたが、あんなことが起きるとはまったく想像していませんでした。想像を超えた攻撃をアメリカが受けたという衝撃が、私が政治を志す出発点になりました。
あって欲しくはないけれども、日本はあらゆる危機に備えることができている国なのだろうかと考えるようになったんですね。そして、世界における日本の役割も考えなければならないと痛感しました。だから地方議会ではなくて、国政の場でその役割を担いたいと思ったんです。
小林 それは強烈な体験ですね。9・11をきっかけにして、安全保障や外交に問題意識を持たれたと。かれんさんは衆議院議員になられてからは、地方創生や社会起業家の支援に取り組まれていた印象がありますね。最近では、LGBT(性的マイノリティ)の課題にもご関心が高い。
牧島 もちろん外交・安保は今でも私のなかでは主要テーマであり続けています。実はLGBTに関心を持ったきっかけも9・11でした。テロに見舞われた人たちのなかには、同性カップルの人たちも当然いました。パートナーをテロリストの手によって失うことになっても、結婚というかたちを取っていないがために、二人で築いてきた思い出は残っても家は残らないといったケースが出てきたんです。
悲しみの最中に、制度や法律が整っていないためにさらに苦しむことになる人たちの姿を目の当たりにして、一番困っている人たちの声を聞きたいという思いを持つようになりました。苦しんでいる人たちの心の平安を取り戻せるようになるには、どうしたらいいのか。これはいつも考えている私のテーマでもあって、そこを何とかするのが政治の最終的な責任だと思っています。
小林 ルールによって、不公平な状況に置かれてしまっている人が目の前にいたわけですね。私も法律がかえって不公平な状況をつくっているということを幾度となく経験し、政治を志しました。大学を卒業して就職したNTTドコモでは、最初の3年間群馬県で法人営業をしていたんです。けれども、結局ドコモでは提供できないサービスがあり、他社であればそれが可能だったりすることがありました。それではお客さんの思いにまったく応えられないことが何度かあったんですね。
よくよく調べていくと、同じような時代遅れのルールが日本には多く残っていることがわかったんです。どんなに一生懸命頑張っても、誰がつくったのかもわからないルールのなかで頭を打つことがこれからも起こるのか、と考えたときにルールを変える側に回りたいと強烈に思いました。それが政治を志した一番強いきっかけになったんです。
扉を開く
牧島 ルールを変えたいという気持ちはよくわかります。そういう思いから私もいくつかの議員立法に参画させてもらってきました。とは言え、法案成立という形で産み出せたものはそんなに多くはない。ただ「扉を開く」役割をして、その後に皆さんに認識してもらっていくことでルールは変わっていくのかなとは思っています。だから、そう簡単に短い時間で成し遂げられるものでもないなと感じているのだけど、どうかしら?
小林 確かにそう簡単に変えられるものではないけど、ゼロから100全部を自分で運ぶものもあれば、途中でリレーされていくものもある。それも含めると、意外と多くのことができますよね?
牧島 確かにリレーされていく面はありますね。私は自民党政務調査会のデジタル社会推進特別委員会で事務局をやらせてもらいましたが、本当は議員立法でデジタル推進法案を成立させかったんです。けれども、与野党の壁に阻まれてそれは達成できなかった。だけどデジタル推進法案のエッセンスから、デジタル手続法が閣法(内閣提出法律案)になりました。このコロナ禍の最中でも、緊急時給付迅速化法案を議員立法で通そうとしましたが、これもまたちょっと難しかった。ただし、今度の通常国会に引き継がれて議論されることになった。
そういう意味では提示した政策のアイデアが、閣法になったり、提言として取りまとめられて政策になったりすることでリレーされている。
小林 今「扉を開く」と言っていたけど、確かに扉が開かないとどんなに正しい政策も入っていかないし、実現には至らないものですよね。私は政策が実現されるまでには三つのステップがあると思っているんです。一つ目のステップは、国民の多くが「この問題は何とかしないといけないな」と共通の課題として認識することです。コロナ禍で言えば、医療現場における対面診療にはリスクが伴うことが広く知られるようになって、オンライン診療の扉がパッと開いた。それまでもオンライン診療については、議論はされていましたが、一気に話が進もうとしています。二つ目のステップは、その課題を解決するための具体的な手段を提示することです。この二つのステップをクリアして初めて、三つ目のステップである意思決定者の決断を促すことができて、政策が実現することになる。
この三つのステップすべてを議員立法で進めていくことができれば理想的だけど、一つでも二つでもステップを進めることができれば、十分に意義がある。議員立法を示すことで共通の問題認識がある人を広げて仲間をつくっていけば、具体的な解決策も見えてくるし、提案している過程のなかで急に「扉が開く」こともありますよね。ここは、やっているうちに我々も気付いた一つのノウハウです。そういう意味では、政治家は年数とはあまり関係なく成果を出せるのだなと実感した8年間でもありました。
牧島 あまり意識してこなかったけれども、史明さんがそうおっしゃっているのを聞くと確かにそうかもしれないと思いますね。国民の皆さんに問題を提示してまずは関心を持ってもらう努力をすることは大事ですね。そこには私も手応えを感じるようになっています。
その一方で課題だと思っているのが、政策や情報を地方も含めて隅々まで行き渡らせることにはまだまだ時間が掛かっているし、きちんと伝わっていないことですね。政策を実践するにしても、仮に国が法律やガイドラインに関するわかりやすい資料を役所のホームページにアップしても、それがなかなか地方議会には伝わっていなかったりする。青年局長を引き継がせていただいたときにも、ここは共通の課題として認識されていたと思うんです。これから意識して改善しなきゃいけないなと思っています。
小林 今の政府の仕事の仕方は、政策をつくって「それで終わり」という印象がありますね。メーカーに喩えるなら、いい製品ができてカタログに載せたら、「それで終了!」みたいな感じです。せっかくの製品も十分に宣伝されていない。
日本の組織は多重構造になり過ぎている?
牧島 もちろん役所の広報も大事だけど、私たちが広報の役割を果たして全国に普及させることも必要なんだろうね。
小林 地方議会に伝わっていかないのは、政策の流通経路がうまく整理されていないからだと思うんです。国会議員や地方議会議員を通してもっと地域に浸透させていく場合もあるだろうし、役所発の広報やメディアを通じて知っていただくことも必要でしょう。よく政治や行政の世界は民間企業に対して、「産業構造を変えなければいけない」とか言うけれども、政治や行政こそが顧客目線を意識して働かなきゃならないはずで、そこは我々が変えないといけないなと強く感じています。かれんさんはどう見ていますか?
牧島 たぶんいろいろな業界においても、地方に行くまでの間に情報伝達に時間の差があると感じているんじゃないかな。例えば、自民党本部で業界団体の代表者たちとコロナ対応や貿易政策の対話を進めていても、そこで行われている内容や現在の状態について地方では共有されていないことが多い印象はありますね。政策だからどこかで折り合いを付けてバランスをとることになりますが、そのあたりまでは地元の支部の方や各協会には伝わっていなかったりする。それで改めて「今はこういうふうになっているんですよ」と行政側や立法府側が説明をすることがあったりします。けれども各業界や団体の皆さんのなかでも広く情報共有してもらうことは、政策のスピードを上げるためにも大事なのでは、と思うことはよくありました。
小林 それこそ本来デジタル化で解消できることですよね。今の日本の組織は、多重構造になり過ぎてしまっているのではないかな。政治の世界でも自民党で言えば、国会議員がいて県連があって地方議会議員がいて、さらには後援会があり、そして一般の人がいらっしゃる。行政や場合によっては民間の業界団体も同じようにピラミッド型になっていることがあるから、これを圧縮してフラットにできれば、もっと速く情報のやりとりができる。
青年局長として一昨年の9月から組織のデジタル化を進めましたが、情報が広く地方にまで素早く伝達されるようになりました。ここはやって本当に良かったと思っています。地方議員さんや民間の方の声をオンライン会議で直接聞けるようになったし、集計なんかもソフトを使うことでズバッと上がってくるようになった。私はこの改革を通じて何かが大きく変わったように感じているんです。地方に出張しても「政策が届くようになって嬉しい」という声を聞きましたし、「自分が組織に参画している意識が高まった」という声があったことは印象的でしたね。ここは大きな成果だろうと思います。
牧島 確かに、今までは1年に1回党本部で幹事長会議や青年局長会が開催されていて、そこには会議に選ばれた代表者しか来られなかった。そこから伝達があったとしても、何人かの解釈が入るとリアルな声じゃなくなってしまうかもしれない。それがリアルタイムで、生声でお互いに交換できるようになったことは大きいですね。
小林 今までは中間にいる県連が連絡網役を担っていたけれど、別にやらなくてもよかったのかもしれない。それは仕事が奪われることを意味するのではなくて、本来の役割が別にあることに気づいたことの意味は大きかった。別の組織でも同じことが言えるのだと思う。
デジタル化で新しい役割をつくる
牧島 それは働き方改革や生産性の向上を考えるうえでは大事なポイントかもしれない。今までは丁寧にいろいろな方が関わっていたのだと思うけど、それによって最終的な付加価値が上がっていないのなら、労力を他の分野に振りわけるべきなんだろうね。それがデジタル・テクノロジーで効率化できるのなら、どんどんやったらいいのだと思う。
デジタル社会推進本部で韓国の事例を聞いたときに、「高齢者が機器を使いこなせていないことはどうします?」という質問がありました。それに対して「若者がデジタルをどんどんやってくれたら役所の人員がその分浮くから、その方たちが対面で高齢者の対応をやればいい」と答えられていました。合理的でわかりやすいなと私は思いましたね。
小林 得意な分野を活かすことでお互いに支え合っていけるし、本来の機能をさらに発揮できるということですね。デジタル化を進めることで、新しい役割をつくっていくことは、高齢化の進む日本社会に合っていると思うんですよ。日本ではなぜデジタル化が進まなかったのかと振り返ってみることがあるんだけど、それは目的と手段を取り違えているケースが多かったからだと思うんです。とにかく紙をPDFにすれば、それを「デジタル化」と言ってきたところがありましたが、そうではなくて仕事の役割や意味のすべてを見直す発想があれば「そもそもその紙は要らないよね」という話になる。けれどもデジタル化はそこから始めなかったので、とにかく手段が電子化されたに過ぎなかった。
今までの日本は、どちらかと言えば手段ばかりに注目が集まっていたけど、これからは本来の目的をきちんと設定をして役割をすべて見直す発想を持つことが必要でしょう。そうすると「この仕事に必要な能力は何なのか?」という本質に向き合うようになる。その答えはデジタル化だけが正解ではなく、むしろ人的ネットワークで誰かに話をつけて「これよろしく!」と一言お願いするほうが重要だったりする場合もありますよね。
牧島 確かにそうですね。電話1本で物事を動かすことができる役割を持っている方たちもおられる。それは実際にはありがたい存在だと思う。
小林 その役割は、いろいろなネットワークを築いてきたシニアのほうができたりする。電話1本でできることで、仕事が5段階くらい進むような局面がありますよね。自民党デジタル社会推進本部では、今はそういう役割を甘利明さん(現・自民党税制調査会長)が担われている。「難しい調整はオレが話をつけてきてやるから、具体的なところはわかるお前らがドンドンやれ!」という感じで、我々若手中堅は仕事がすごくやりやすい。年々、自分自身でもそう思うようになっているんですよ。
牧島 甘利さんはそういう役割を担われていますね。私たちも年数を重ねてきていますから、そこは意識していかないといけないですね。
小林 それは年々ついてくるなという感じはありますね。一緒に仕事をすればするほど、人的ネットワークができてくる。地元の支援者からは「世代間闘争を頑張って、早く重鎮たちを追い払え!」と期待されることも結構あるけど(笑)、実際にはそれぞれに役割や向き不向きがある。それを活かし合うのが本来の理想のかたちではないか。自民党がうまくいっているときは、その役割分担ができているときだと思う。
牧島 そうかもしれないね。お互いの役割を認識した上で持ち味をお互いに発揮できれば、組織としては理想的な姿です。
世代をまぜるとおもしろいことが起きる
小林 以前、2020構想会議でも2030年や2050年の将来ビジョンを提示しようと取り組んできたけど、我々の世代は将来に何とも言えない不安を持っていますよね。年金をはじめとした社会保障の問題や少子高齢化が進んでいること、それらが織りまざって将来を楽観視できないところがある。かれんさん自身も不安に思っていることはありますか?
牧島 今のままで大丈夫なんだろうかという気持ちはいつもありますね。私は神奈川17区を選挙区にしています。ここは神奈川県では一番の地方部で、いわゆる郡部もあるし過疎認定されている町もあります。まさに進行する高齢化社会にどのように関わっていくのか悩んでいる最中です。でも、悩み続けているだけではまずくて、「ぼちぼち動かなきゃね」という段階にきていて、それぞれの地域の特徴を生かした地方創生をどの方向に持っていくのか、より具体的に決めていかなければならないと思っている。
小林 かれんさんは、狩猟の免許を持っているんですよね?
牧島 「わな狩猟免許」です。猟銃を撃つことはできないけど、イノシシやシカを捕まえる罠を仕掛けることができるんです。地域のことを知る機会を増やすことはとても大事だと思っていて、地元では鳥獣被害が深刻だからその対策をライフワークとしてやるようになったのね。でも私が免許を取っただけでは意味がなくて、私よりも若い女性も巻き込んで、免許を取得してもらって山にも一緒に入ってもらっている。
やっているうちに仲間が増えてきました。私たちよりもっと若い世代、それからおじいちゃん、おばあちゃんたちの世代も一緒に活動しています。場合によっては親世代より、おじいちゃん、おばあちゃんからのほうが、お互いに大事なことがすんなり継承されることもあるなと感じています。
小林 それってどうしてでしょう?
牧島 なんでなんだろうね。「おじいちゃん、おばあちゃんたちが言っているな」って素直な気持ちで聞けるのかな。親世代だと反発が出るのかなぁ。世代による感覚の違いもあるかもしれない。私は大学を卒業したのが2000年だから就職氷河期世代で、ちょっと上のバブル世代の人たちのことは「全然苦労しないですぐに就職決まったらしいね」っていう感じでちょっと斜に見てしまうところがある。
小林 羨ましい存在でもあった。
牧島 そうかもしれない。私たちのほうがよっぽど苦労しながら、20代を過ごしたという気持ちがあるから、バブリーだった世代の人たちの話より、苦労した世代の人たちの話のほうがすんなりと入ってくるのかも。
小林 なるほど。しかしバブル世代は、常に競争が激しかったとも聞きますよね。受験も倍率が高かったり。でも、そこはあまり共有されていない印象はありますね。現役で働いている人たちは仕事に一生懸命だから、地域のことに関わっている余裕がない。そうすると、地域に目が向いているのは、仕事を終えた世代が多くなって、彼ら同士が接続することになりがちです。けれども私は、そこに現役世代が混ざるとうまくいくことが多いなと感じているんです。
私の地元は瀬戸内の福山市で、バラの町として打ち出しています。田尻という地域の空き地にバラ園をつくろうと私の後援会長が尽力されてきました。すでに一線は退かれていますが、もともと経営者だった方ですからネットワークも広いし、行政との会話もとてもうまいんです。ただそこがそのまま観光地になるかと言われれば、ちょっともの足らない感じだったんですね。ところがそこに東京で広告系の仕事をしてきて地元に帰ってきた方が一緒に働いてくれるようになったら、いきなり大ブレークしたんです。オープンエアーのヨガスペースになったり映画の上映会をやったりして、お洒落な場所になってたくさん人が来場するようになった。
牧島 へー、すごいですね。
小林 今はイタリア野菜を育てて、地元の洋食屋に捌いたりしています。このケースの場合は、地域の面倒くさいことは先輩たちが担ってくれて、面白そうなことは「若いお前らがやっていいぞ」みたいな役割分担ができているんです。こんなふうにうまく世代が混ざると、地方もめちゃくちゃおもしろいことができる。これからの政治家は、この「混ざること」をうまくつくっていくことも求められるようになるのだと思っているんです。
牧島 防災や災害対応の観点から見ても、高齢者と若い世代がうまく協力できることが大事になると思うんです。私は2016年の熊本地震のときには防災担当の政務官として現地に入りましたが、この時にタブレットの使用が始まったんです。本部に必要なものをすぐに情報として上げることができるんですが、実際に使われる様子を見ていて、高齢者がタブレットをパパッと使いこなすことは難しいなと感じました。
私の地元の自治会長さんなんかは、80代だからタブレットを使いこなせないでしょうから、そこは消防団や各種団体に所属している若手に担ってもらうことが必要だと感じました。実際に災害が起きたときには、世代を超えて助け合うことができるかどうかで大きな差が出てくるのだと思っています。避難所の運営にしても、お互いが顔見知りだと、万が一災害が起きたときに「助け合おうね」とみんなの気持ちを一つにすることができる。そういう備えは、常日頃からやっておくべきことだろうと思うんです。
「仕事も頑張る」「遊びも全力」「地域の役割を〝担う〟ことを楽しむ」
小林 広島でも大きな災害が起きましたが、ああいう時には消防団の存在は頼りになるし、会社とはまた別の組織にも片足を突っ込んでおくことってなかなかいいなと思いますね。もう一つの拠点を持つと新しい繋がりができるし、別の視点を持つこともできる。地域の組織に関わると、やっているうちに自分の得意分野に気付くみたいですね。「オレはここなんだな」と。そうやって各々が役割分担を意識するようになると、今までいた上の先輩たちも「ここの木を切るのはオレの仕事だ」という感じで、生き生きし出すんですよね。腕をまくって待っているようになる。
牧島 「仕事も頑張る」「遊びも全力」プラス「地域の役割を〝担う〟ことを楽しむ」──これが根付くといいなと思っているんです。「担う」と言っても別に重い荷物を背負うみたいな感覚ではなくて、自分の得意分野で関わってくれたらいい。木を切るのが得意ならそれでもいいし、電話番でもいい。担い方は「それぞれの持ち味がいっぱいあるよね」と軽やかに言えると、地域は面白くなるかもしれないと思っています。
小林 最近私がよく考えるのが、個々人がやってきた経験や資格などをお互いにパッと見合うことができればいいんじゃないかということなんです。それがわかれば、役割分担がスムーズに進みます。デジタル化社会では、そんなコミュニケーションがフラットになっていくと思っていて、それと共にフレキシブルにいろいろな仕事や役割の分担を果たせるようになる。それができると、思わぬ可能性が拓ける気がするんです。それが我々のめざしている「人間中心のデジタル」につながると思っています。
普通に接していれば、罠の免許を持っていることなんてまずわからないですよね(笑)。だから名刺を交換するように、それぞれの強みや特性がパッとわかる仕組みがあればいいなと思っています。
牧島 お互いの得意分野を引き出し合えるのであれば、とてもいいことですね。
小林 そうすると何か別に世代で闘争するよりも、年齢も性別も関係なく「得意な分野で力を貸して欲しい」という発想になれると思うんです。
牧島 それはきっと女性の活躍と文脈が一緒かもしれない。女性の場合は「ミセス○○」とか「○×ちゃんのお母さん」という肩書きになった瞬間に、その個人の資質なり経験なりがわからなくなってしまう。大学で成績がたいへん優秀だったことや、高校の部活でものすごく活躍したこともまったくわからなくなってしまっている。だからきっと、すごく勿体ないことが起きているんですよ。そうしたバックグラウンドがお互いにわかるようなシステムは、女性の可能性を広げることにもつながるかもしれない。
小林 ○△会社の会長だったとか、そういう肩書きではなくて、能力や経験こそが大事だと思うんです。
牧島 そういう意味では、それぞれがいろいろな経験をしていって、場合によっては学び直さなければ「人生100年」はとても保たない。
小林 それを楽しくできるといいですよね。「学ばなきゃ」とか「学ぶべき」ではなくて「学びたい」が大事です。そして学んだことがタイトルとして残るといっそういい。それで人から評価を得たり場合によっては何らかの仕事のオファーが来たりするのであれば、モチベーションも上がりますよね。
今は自治体も看護師や教員の資格を持った人をやっぱり一生懸命探していて、オファーはしたいが可視化されていないからできずにいます。本当の意味での女性が活躍することも含めて、ダイバーシティーを実現する上でも、その人の実力、能力、経験を可視化することはすごく重要ではないか。
地方にこそ新たな活躍の場がある
牧島 人口は減少していくけど、一人で複数の役割を担ってもらえれば、それで回っていくことはあるのだと思う。兼業や副業、あるいはボランティアも含めてそういう働き方がこれからは一般的になっていくのかもしれない。むしろ、そういうやり方しかないのかもしれない。日本人の一人ひとりのポテンシャルは高いから、十分に可能だと思っています。
それとやはり、根本的には次世代の子どもたちが社会の課題を解決することに積極的に関わってくれるかどうかが一番重要になってくると考えています。今は学校現場もだいぶ変わってきていて、プロジェクトベースの「課題解決型の学び」を実践してもらうような教育が展開されているんですね。だから割と次世代は早めに社会の課題解決を意識するようになって、社会的事業に加わってくれるかなと期待はしています。
小林 デジタルの活用という点でも教育現場のほうが先に変わりつつあるんです。「アダプティブ・ラーニング」と呼ばれていますが、どの問題が解けたのかあるいは解けなかったのかといった一人ひとりの学習履歴をきちんと残しておいて、そのデータをもとに生徒に合った指導をする試みがなされています。子どもたちの世界では、そうしたことが進んでいますが、大人の世界では未だにそうした履歴は可視化されていません。
牧島 なるほど、子どものほうが先に進むのかもしれないですね。
小林 この先2030年、2050年さらにはその先を見据えると、どう頑張っても人口は2000万人から3000万人は減ることになります。昨年はコロナ禍に見舞われましたから雇用環境は特殊な状況にありましたが、その直前には人手不足が叫ばれていました。けれども実際は力を持て余している人たちがまだたくさんいることを実感していませんか?
牧島 アクティブ・シニアと言われる人たちの存在も含めてそれは実感しますね。
小林 それから就職氷河期にあたる団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーのなかには就職に恵まれずに力を発揮できないでいる人たちが多くいらっしゃる。アクティブ・シニアや氷河期世代の人たちも何か得意分野を持っていれば、地方の企業で活躍できる余地があると思っています。地方の中堅・中小企業を見ていると、海外との取引のノウハウや財務の知識を持っている人材が足りていないんですね。
だからそうした分野に強みのある人は、東京ではなくとも地方で大いに輝き得ると思っています。自分の故郷でもいいし、全然縁のないところでもいい。そういうポジションを担うようになれば、ものすごく活躍ができるチャンスがあるはずです。我々はそのマッチングをデジタルでやれると思っています。地元の福山市は47万人の街ですが、JFEスチールという製鉄会社の日本一大きい工場があってその協力会社があります。それからシャープ、三菱電機のそれぞれ関連企業があって優秀な中小企業がたくさんあります。そうした中小企業に三菱重工業で工場長を務めた経験のある人に役員できていただいたら、その工場の生産性がグッと上がった事例がありました。やはり、全然ノウハウが違うわけです。成果が上がって「いいですね」と感謝されると、「ここだとノウハウが活きる」と本人もやる気になります。さらには自分の後輩たちも呼んでくるようなケースもありました。
それから別の会社では元大手商社マンがやって来た。やはり海外での販路開拓のノウハウが半端じゃないわけです。福山の会社では大いに重宝されて、業績を伸ばすことにも貢献されたそうです。
牧島 自分の経験や能力が必要とされると、本人もやりがいがある。理想的なマッチングですね。
小林 そういうキャリアの具体的なモデルが見えてくると、今の40代、50代も早めに「2拠点目をどうしようかな?」と当たり前に考えるようになってくる。スムーズに新しい活躍の場が見つけられるように整備できたらいいと思っています。
牧島 私の地元では「週末農家」というかたちで就農をサポートしているんです。60歳や65歳になって地元に帰ってきて、新規でフルの就農は大変だから、55歳ぐらいだから週末農家さんをやりながら、65歳以降に次のステージで就農してもらうことをサポートしている事業があるんです。60歳、65歳、70歳の自分の世界があるわけだから、その少し手前からほんわりとウォーミングアップすることはあってもいい。それって大事かもしれないね。
複数のプレイヤーが知恵を出し合う
小林 我々だって不安じゃないですか。自分が年をとったことを考えると、正直やっぱり不安ですよ。なので、いろいろな人とのネットワークをつくりながら将来のことを早い段階から考えることは意義があります。高齢者になってからの選択肢をまったくイメージできないようだと、誰しもが不安になってしまうと思う。だから情報を整理して、次の選択肢に簡単にアクセスできるような仕組みがあったほうがいい。こうした社会をデジタル化に取り組みながら実現させたいですね。
牧島 今回のコロナ禍で観光地の箱根は大打撃を受けました。一時期はだいぶお客さんが減りましたが、その後は次第に戻ってきています。今はコロナ対応のために旅館やホテルも従来とはサービスのあり方も変えていて、朝食はいわゆるバイキングができなくなって、それだけ手間が掛かるようになっているんです。お部屋出しのお料理にしたり、洋食も和食も対応したりしなきゃいけなかったりする。もちろん清掃にも時間を掛けている。そうしたら、急に人手不足になっちゃった。現場は「もうどうしよう」という状態になりましたが、その一方で人的には余裕ができた産業もあるんですね。例えば、CAさんなんかコロナの影響で仕事が激減しました。いま箱根の旅館とCAさんとのマッチングをパイロット的にスタートさせたところです。
状況の変化によっては、今までは想定できなかった産業間でも人の流動化が起こり得るのだと思います。これからはそうせざるを得なくなる場面が増えてくるのかもしれません。そういう意味では、業界の区切りや境界線も変わってくる気もしている。
小林 そうした流動化は必要なのだと思います。今はどうしても東京に人材と情報が偏在してしまっていますよね。けれども、地方の企業や行政は人材を必要としていますから、その情報をフェアに流していくと、人もフレキシブルに流れていくんじゃないか。だから、もっと地方側からこうしたオファーができたらいいと考えています。「こういう仕事ができる人を求めている」ということを可視化して伝えることができる仕組みがあれば、人材の流動化はグッと進むのだと思うんです。昨年から地域金融機関が人材紹介を後押しできるように規制緩和をしたんですよ。
牧島 プロフェッショナル人材マッチングのような制度ですね。
小林 そうです。あの制度には私はとても期待をしているんですよ。地方の金融機関こそ地元の経営者の課題を理解しているし、この会社にこういう人材がいたらいいのに、ということをよくわかっているんです。きちんとマッチングされれば、地方の企業もまったく生まれ変わる可能性があります。
牧島 行政の現場にもそういう余地はあるかもしれませんね。新しく市長に就任した街でスマートシティをやろうとしてもどこから手を付けてよいのかわからなかったりします。例えば、交通系のDX(デジタルトランスフォーメーション)がわかる人材が欲しいと漠然と思っていても、具体的にどういう課題があって、どういった専門性を持った人物を必要としているのか、そこがわからなかったりするんですね。
だから、適切な人材をマッチングする前の段階からアドバイザーになってくださる方がいるととても助かると思うんです。IT系の企業である程度のキャリアを積んだ人材がそのあたりを助言してもらえれば、課題や必要とされる人材も見えてくる。実は、そういう段階にある地域はまだまだあるのだと思うんです。
小林 私の地元の福山市では、兼業・副業として専門分野のお手伝いをしてもらえる人材を応募したんですね。このモデルの第1号になったんですが、1名の定員に対して600人もの方にご応募いただきました。面接をしたら、あまりに素晴らしい人材がたくさんいたので5名採用されることになりました。その人たちに2週間に1回来てもらっているんですが、彼らがハブになって行政マンとその人の出身母体の企業、それから別の地域が一緒になって、福山市の政策をつくっているんです。
そこから今はワーケーション(「ワーク(労働)」と「バケーション(休暇)」を組み合わせた造語)事業も始まって、そのまま社団法人ができました。兼業として応募して来た方が代表になっているんです。これは相当おもしろいと思っています。
牧島 行政も政治もオープンにしていく時代だと思うんだよね。特に役所の中だけですべての課題を解決しようなんて考えるのはよくないし、多分それはムリなんです。地方創生も第二期に入ってきてからは、役所だけで考えているともうカラカラの状態になります。
小林 空っぽという意味ですね(笑)。
牧島 そう。アイデアを全部出し切っていました。新しいクリエイティビティを求められても、「もうムリです」という状況でした。そういう自治体が多いと思う。だけど、そこを開き直って、「一緒に考えて欲しいです」と言ってしまった者勝ちなのかなと思っている。
小林 今は課題の解決策がすぐには見つからない時代に入ったと思っています。戦後のモノがなかった時代は、地域住民の方々が「ここに橋ができたら絶対に街がよくなる」という具合に答えを知っていたわけです。つまり課題と解決策の両方を知っている時代でした。そうすると、政治家を通して役所が話を聞くと、そこに橋を通すことで課題が解決していました。けれども、そうしたわかりやすい課題はすでに解決済みですよね。
今は「村の人口減少をどうするのだ」といった本質的な課題を突きつけられているけど、誰もこの問題の実質的な解決策はわからないわけです。困難な課題ばかりですから、それを単一組織で解決しようとしても限界がありますよね。だから、複数のプレイヤーが知恵を出し合うことで、答えを探るしかない。実はそこをコーディネートするのが、これから政治家に求められる大事な仕事だと思っています。地元にいて実感するのは、政治に関わりたいとか、街作りに関わりたいという人はとても多くて、自発的に増えてくるんです。正直に言えば、「選挙に行こう」と有権者にお願いするよりも、そうやって関わってくれる方を増やすことのほうがずっと大事なのだと思っています。関わったことのある人間のほうが「劇的に熱いこと」は間違いないですよね。
牧島 なるほど、そうかもね。プラットフォームさえきちんと用意して、我々が繋ぐ役割を果たすことができれば、後はもう自動的に動き始めるものもたくさんある。
小林 こらちがあまりコントロールする必要はなくて、むしろしないほうが自由にアイデアが出てくることがわかりました。これがフラットな組織とダイバーシティーの必要性なのかなと思っています。単一のチームで考えていては思いつかなかったような解決策が、多様なメンバーが集まった瞬間に出てくることがあります。もちろんアクターが多いと議論をまとめることもたいへんだけど、すごくいいものが生まれていく可能性があると感じたんですよね。
そう考えると、政治の世界に女性がどんどん進出することが正しいのはわかりきっています。けれども、女性議員の比率は低すぎるのが現状ですね。
女性が新しいことに挑戦するときに何が必要なのか
牧島 目標を掲げてはみたものの、まったく実現できていない状態ですよね。一つの区切りにしていた2020年はやって来てしまったし、次の時代に向けて目標を新たに設定するしかない。私自身は、次世代を担う女子高生や大学生たちと話す機会はかなり増えてきました。すごくしっかりしているし自分の意見も持っている。具体的な政策提言をしてくれることもある。彼女たちに会う度に「ルールメイキングの世界に入ることを心の片隅にでも置いといてくれると嬉しいな」とは伝えてはいるんです。けれども、そういうことを言われて来なかったからなのかな? やっぱり候補者として自分が立つという大きな一歩を踏み出すことをためらってしまっている。そういう女性が多いことは間違いない。
小林 自民党の青年局長は私が務めた50代目までずっと男性がやってきましたが、51代目は牧島さんにやってもらいたいと考えていました。ここには私自身の強い思い入れがあったんです。青年局は、党内では常にファーストペンギン(最初に海に飛び込む勇気あるペンギン)の立場でもありますよね。我々が切り拓いていって、それが良いと評価されると自民党全体でも当たり前になっていくわけです。私はかれんさんだったらファーストペンギンとして出て行ったときに、周囲から「なんであいつなんだ!」と言われないと思ったんです。この信頼関係であれば、必要なサポートが絶対できるなって。
牧島 ありがとうございます。ありがたい、先代(笑)。先代がありがたい存在で、感謝の気持ちでいっぱいです。
小林 プレッシャーはありました? 大きな期待を背負っていると思いますが。
牧島 男性の世界も同じかもしれないけど、先代がしっかりしていて、必要なときには後見人的な役割を果たしてくれるかどうかは、次世代を育てる上では大事なエッセンスだと思う。しかも、今までやったことないものをやるときにはなおさらそうですよね。
女性が新しいことに挑戦するときは、1日2日では結論を出さないことが多くて、男性よりもより長く考える傾向があると社会学的には言われてきました。もちろん、これから変わってくるかもしれないけどそういう傾向はあると思う。史明さんは、それを知ってか知らずかわからないけれども急には言わないで、「青年局に深くコミットするといいよ」みたいなところから、じわじわと心の準備をさせていくところがありましたよね。女性のリーダーを生み出すときに特性を掴んだアプローチだったのかな、と客観的に思ったんです。
小林 そうだったんですか。確かに予見性があるほうがいいかなとは思っていました。予想だにしないものをいきなり振られて、「準備ができていない」となってはいけない。なので、早めにそういう意思があることを伝えておいたことには、意味があったということですね。
牧島 すごく意味があったと思います。元々はまったく想定していなかったですしね。それは女性議員として反省しているんだけど、青年局長は男性が務めるものだという思い込みがありました。女性局長は、参議院議員がやるものだろうとも。だから遊説局長をやらせてもらって、それで満足していた自分がいたのかもしれない。だから、事前の準備期間があったことは重要だったと思いますね。いきなりだと踏ん切りがつかなかったり、自信がなかったりということにもなりかねなかった。
小林 そうであればよかったです。これから牧島さんが青年局長として活躍されている姿を見せると、「自分もやってみたい」と政治をめざす女性は増える。やっぱり政治って面白いじゃないすか。
牧島 うん。面白い。
小林 僕らが面白いと思って働いている姿を見せることは、何か「政治とはこういうもんだ」と説くよりも大事だと思う。私は地元でみんなと一緒に河川敷を整備して、スケボーパークをつくって、そこでみんなでバーベキューをしたりしているんです。楽しそうにやっている私を見て、選挙に出たいと思う人がどんどん現れたんです。それで市議も県議も新人がどんどん出て来ていて、今は競争倍率が厳しくなっています。だからロールモデルがいることの影響力が大きいですよ。牧島さんは肩肘を張らないところが魅力ですから、これから議員をめざそうという女性にもいい影響を与えると思います。
牧島 もともとあまり張れないんです(笑)。私の地元は神奈川県で保守的な地盤って言われていたところでしたが、女性の衆議院議員が誕生したことが影響したのか、県会議員も市会議員も女性がすごく増えた。もちろん、すべては私の影響だと言うつもりもありませんが、一定のインパクトはたぶんあって、「自分でもできるんだと思えるようになった」と言ってもらったこともありました。
青年局長就任後にもTwitterやメールなんかでもメッセージをいただいたけど、女子大生から結構きたんです。「一生懸命応援します。私も頑張っていつかは政治家をめざしたいです」と言ってくれたのはうれしかったですね。
日本はグローバルな貢献が一層求められる
──今日のテーマから少し外れますが、最後に「世界のなかの日本」という観点からお二人の考え方をお聞かせいただけますか。
牧島 これからも日本が世界の中で大きな役割をきちんと果たしていかなければならないことは、間違いありません。日本は、例えば中東においても独自の役割を担い得ると思っているんですよ。キリスト教国家でもユダヤ教国家でもイスラム教国家でもない日本は、世界のどこであってもその存在がプラスに働き得るはずで、そういう日本ならではのやり方を模索して、いろいろなところで発信をしていきたいですね。
国際機関における事務局長などのポストを獲得することも含めて、日本の人材は国際的にも常に多くの人の目にも触れて、大事な役割を担うべきだと思う。それこそロールモデルになり得る人材も輩出していきたいですね。国際的に活躍する日本人が増えていけば、当然アジアにおける日本の存在感も増して行くし、諸外国からも認められるようになる。グローバルな貢献がより一層求められていて、そこへの注目度はさらに上がっていくんじゃないかな。
小林 日本は、世界からどう見られているのかをとても気にするけど、「日本は信用できる」「約束を守る」と思われているところは間違いなくありますよね。これはどうあっても、ものすごく重要な価値です。一朝一夕では絶対に生み出せませんから、長い年月をかけて先輩たちが築き上げてきたものです。日本にはそういう信頼感があるから、国際機関にもおいても重要なポジションを取れると思うんです。他の国から「日本人を事務局長にしておけば、公平だ。おかしなことをやらない」という認識を持ってもらえることは、やはり大きな強みです。それではこれからも日本が世界から信用され続けるためにはどうしたらいいのか? 一つはやはりフェアであることだと思います。さらにはデジタルによってそのことをきちんと情報公開してオープンにすることがより重要になってくる。日本の経済活動や外交活動が信頼できるものであることを、世界に向けて発信し続けることを継続することだと思います。
もう一つは、アジア諸国の人々を日本のなかでうまく受け入れる爼上のある、ダイバーシティーのある社会を実現することです。私はここには強い問題意識があって、きちんとやっておくべきだと考えています。いま技能実習生制度などによって、たくさんのアジアの人たちに日本に来ていただいています。福山市には約1万人の方がいて、とても馴染んでいます。本当に良かったと思っています。けれどもその一方で、技能実習生制度については、そのすべてがうまくいっているとは言えないですよね。いろいろな問題や疑問が指摘されています。
この違いがどこにあるのか。それを一言で言えば、福山の企業はとても頑張っているんですね。外国人材を対象にして、この地域に馴染んでもらうための研修を開催しています。今ここは民間任せになっていますが、本当はもうちょっと官民一体でやらなきゃいけないと私は思っています。新しく入ってくれた外国人材に対して、日本社会で暮らすためにはどういうルールがあるのかを教えるようなマニュアルを行政が提供することも必要だろうし、場合によっては、デジタルを用いて複数の言語でアクセスできるような窓口があってもいい。
こうして日本に関わってくれた人たちに「日本はいい国だ」という印象を持ってもらうことは、これからますます大事になってきます。結局ダイバーシティーを実現することは、いわゆるソフトパワー的な外交・安全保障にもつながってくると思うんです。(終)