国会対策委員長の役割とは

──大島さんは国会対策委員長の要職を長く務められました。国民からするとわかりにくい立場であるとも感じます。

大島 国会対策委員長は、国会法で定められた役割ではありません。政党のなかの一つの組織です。国会はパブリックな場における権力闘争の場です。選挙でお互い激しい戦いをして、国民の代表として各議員は国会に上がってきます。それはまた政党間の激しい戦いなのです。

 与党は自分たちの考え方を通そうとするし、野党が反対の意見を持っていたとするならば、それを阻止し、自分たちの意思を少しでも通そうとする。ここには様々な戦いがあって、その結果として議論が紛糾してしまい、国会全体の機能を果たし得ない状況も生まれるかもしれない。国会での審議が停滞してしまっては政策が動きませんから、そういう事態が延々と続くことはあってはならない。

──野党との協議はやはり必要なのでしょうか? 妥協が生じて骨抜きになったり審議に時間がかかりすぎたりするデメリットもあるように思います。

大島 国会に提出される法案はどれも重要なものですが、実際は素早く審議がなされて採決を取って終わっていくものもたくさんあるんです。ただし、それぞれの政党が、これは国の骨幹の重要な案件であると位置付けている法案については、総力を挙げた戦いになる時がある。この場合、与党が過半数を占めているからと言って一気呵成に採決を強行すると、野党は審議を拒否するなど国会運営全体に影響してしまう。

 ですから、場面場面で全体を見ながら一つの案件をこなし、一つの案件をこなしながら全体を見なければならない。時にはプライオリティをつけながら解決しなければならない問題もあるわけです。もちろん、その判断については総理や幹事長とも協議をしながら決めることになります。けれども、国会の状況は刻一刻と変化する時があります。その場面で政党を代表して国会のなかで判断と決断をする役回りの人が必要になってくる。その役割が国会対策委員長の仕事だと思います。

 かつて細川護熙さんが連立政権を組んでいた時は、国対政治はやめようということになったんです。ただ民主党が政権を奪っていた時期は、やっぱり必要だと判断された経緯もあるんですね。チャーチルは「民主主義は欠点が多い。しかしそれ以上の制度は今はない」と言われました。政治を効率と合理だけで判断することは危険だと思います。なぜか生身の人間関係の運用なのです。多様な意見をまとめあげていかねばならないのです。

 

寛而栗かんにしてりつ」な姿勢

──野党にも広く人脈がなければ務まらない役割ですね。

大島 そのためには公式の交渉と同時に、非公式の交渉もしなければなりません。ここはちょっと我慢するが、ここは我慢できないといったポイントを押さえていなければ、ネゴシエーションは成立しません。それは政治の世界、すなわち人間社会に必然なプロセスです。私はそういう仕事を結構任されてきましたから、野党とも話をする努力をしてきました。

 けれども、それは国対委員長や政治家だからではなくて、人間として信頼を得られるように努力することが大事だと思っています。議員は選挙がありますから、激しい戦いのなかに身を置いていますが、だからこそ国民からの信頼、議員同士の信頼を得られるよう努力しなければならない。どうすれば信頼を得られるようになるのか、それはそれぞれの政治家が考えるべきことですが、やはり最終的には言葉に責任を持つことだろうと私は思っています。そして「寛而栗(かんにしてりつ)」な姿勢だと思います。

 

党首討論は開催すべき

──大島さんはイギリスの議会のように党首討論を定期的に開催することを提案されました。最近の国会答弁は、重箱の隅をつつくような議論が多すぎる印象です。枝葉にこだわらない党首討論によって日本の論点を明確にすることは有意義だと思います。

大島 同感です。37年間国会にいた者としていま思うのは、やはり日本人はディベートが苦手だということです。そういう教育をしてこなかったのだから仕方がない。演説はするかもしれないが、人の意見をきちんと受け止めて聞くことが不得手ですよね。相手の言い分を理解したうえで反論するような、冷静かつ率直な議論は難しいのかなと思う時がありました。

 けれども国民は、国会の議論の象徴たる党首討論を望んでいるのではないでしょうか。今は情報にあふれていますから、逆に国民の皆様からすると、何を選択すべきなのか判断に迷ってしまうところがある。やはり政党のトップが、国のあり方や思いを正々堂々とぶつけ合う場は必要ではないか。春に行われた統一地方選挙にしても、投票率が非常に低かった。主権者が一票を投じる際の判断材料としても、党首討論は行われたほうがいいと私は考えています。

 

他を生かす責任を負っている

──安倍元総理が亡くなってから1年が経ちました。衆議院議長時代に異例とも言える所感を述べられたこともありました。安倍長期政権については、どう見ていらっしゃいましたか?

大島 私もささやかですが、官邸で仕事をさせていただいたことがあります。総理大臣は毎日、己の全責任でもって重大な決断をして、それに耐えていかなければなりません。7年8カ月という長期間にわたって、その重責を担われ続けたことに深く敬意を表します。国際社会においては、日本の存在感を高めることにも尽力されました。それから、安倍政治は実際にはリベラルな政策を行った政権だったと思います。そこは周囲の受け止め方はだいぶ違うのではないか。そして「日本とは」と問いました。すなわち憲法改正問題を提起し続けました。

 安倍先生には「民主主義とは何だろうか」「国会をどう考えたらいいのか」といったテーマについて一度ご意見を聞いてみたかったという思いがございます。その機会が失われたことは残念でなりません。心から哀悼の意を表したいと思います。

 

 

──最後に後輩の政治家や働く読者に一言頂戴できますでしょうか。

大島 私は、人間も国も生かされて生きているとあらためて思っています。ですから、他を生かす責任を負っている。そのことを忘れずに、それぞれの職分に、全力を尽くしてほしい。己だけですべてができているのではないということですね。今の若い議員の皆さんはみんな優秀ですから、しっかり頑張ってほしい。

 それから、戦後の日本は戦争をせずに平和であったことの大きな意味を考えてほしいと思いますね。私は今、なぜ日本は太平洋戦争に突入したのか、という歴史を一生懸命に勉強しているんです。ロシアがウクライナに侵攻するような戦争がいま現実に起きているわけです。戦後生まれだからこそ、日本がたどった歴史を学ぶことは大事だと考えています。

──ありがとうございました。

聞き手:本誌 橋本淳一

 

おおしま ただもり:1946年青森県八戸市尻内町生まれ。70年慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、毎日新聞社に入社。75年青森県議会議員選挙に出馬し当選、県議を2期務める。83年衆議院議員総選挙で初当選し、以後11期連続で当選。農林水産大臣、科学技術庁長官、原子力委員会委員長、環境庁長官などを歴任し、第7677代衆議院議長。自由民主党の役職としては副総裁、幹事長、国会対策委員長などを務める。

 

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