「東京はおもしろくない」

猪木 今日ぜひ阿川さんの意見を聞きたいなと思っていたことがあるんです。娘の一人が東京で働いていたのですが、「東京はおもしろくない」と言うんです。

阿川 同感。その通りです。

猪木 関西の人はよくおもしろいことを言おうとしますよね。

阿川 確かにそうですね。大阪に「インデアンカレー」──大阪の人はインディアンって言えないみたいですね──というチェーンのカレー屋さんがあって、いろいろな人に「辛いけど美味しい」と聞いていました。初めてお店に行ったときにおばちゃんに「かなり辛いらしいですねえ、私でも食べられるかな?」と、半分独り言のように訊ねました。京都だったら、「そうですねえ、そんなには辛くはないんですけど、お人によっては辛いと思われる方が。」というような、曖昧な返事があると思います。けれども大阪のおばちゃんは、私の顔を見つめて、「あんた男やろう。食べてみい」って(笑)。あれはすごいなと。

猪木 井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)から聞いたのですが、厚かましくてよくしゃべるという大阪のおばちゃんは、つくられたイメージらしいですよ。

阿川 でも本当にいますよね。大阪駅のホームでスキップしているおばちゃんを見たことがあります。

猪木 大阪のお笑いタレントの人気が全国に定着したのは戦後のことらしい。大阪で民放のテレビ放送が始まった頃、予算が潤沢でなかったテレビ局は吉本興業などのギャラの低い芸人たちを出演させた。知名度は低いけれども、そこから実力のある芸人がたくさん出てきた。それが大阪の戦後のお笑いの基礎をつくったとも聞きました。テレビの影響で、普通のおばちゃんたちも日常的におもしろいことを言うようになったと。なるほどと思いました。

阿川 タクシーの運転手さんも話がうまいですね。お客さんが乗っているあいだに、何か一つはおもしろいことを言おうとする。

猪木 サービス精神が旺盛ですよね。

阿川 京都は大阪と違いますね。

猪木 違いますね。僕は、大阪は合理的で率直でおもしろいと感じています。アメリカ人より大阪人のほうがもっとユーモアのセンスが高いと思う。自己卑下ではないんだけど、自分自身を笑ってもいるし、他者も笑っている。かなり高度なお笑い文化だと思いますね。

阿川 京都の人たちの話には、複雑なユーモアと作法があるように感じます。本当にユーモアなのか嫌味なんだか、わからないこともある。でも「京都のイケズ」と言いますが、東京と比べたら、礼儀正しくて親切な人が多いと感じます。言葉をもっと丁寧に使っている。

 昨日も、よく訪れる北大路の蕎麦屋で京都らしいやり取りがありました。数カ月前、妻が一人でこの店へ行って食事を済ませ店を出ようとしたら、雨が降っている。そうしたら仲良しの店の奥さんが傘を貸してくれて、「要らんから、返さんでええよ、どこかにほかしといて」とのこと。

 実は借りたのは、けっこうしっかりした黒い折りたたみ傘だったので、私は一度雨の日に使わせてもらいました。昨日はたまたま持参していたのですが、店に入るなりおばさんが妻の顔を見て曰く、「持ってきた? あんな傘をお渡しして、迷惑だったんとちゃう。失礼しました。ほかしといてくれはったら、よかったのに」と、謝っている。

 それでもとにかく「先日はかなり降っていたので助かりました。改めてありがとうございます」と伝えて傘を差し出すと、案の定、「そんなん、返さんでええよ」と一度拒否。その押し問答が二度ほど続いたあと「そうかあ」って言って受け取られたんです。ちょっと予想外でした。

 このやり取りに何分かかけている。傘を返すか返さないかだけの問題だったら、そんな必要ないですよね。アメリカ人だったら返事は「I don’t need it」か「Oh, good.Thanks」の一言で片付きます。でもこのやり取りが大切なんだと思います。型通り、プロセスを踏むことができるかどうかで、判断されるのでしょうね。

猪木 それがやっぱり文化なんじゃないですか。合理的な判断だったらおっしゃるように、アメリカ方式が合理的ですよね、けどそういうやり取りのなかでいろいろと感じたり想像したりして楽しんでいる。

阿川 妻はあとで、「きちんと返してよかったわね」と言っていました。傘を返したことで信用度がちょっと上がったかもしれない。

猪木 おそらくおばあちゃんが話していることは、嘘ではなくて本当にそう思っているのでしょうね。

阿川 嘘じゃない。でもステップを踏んでいる。こういうところも京都はいいなあって感心しちゃって。

猪木 なるほどね。僕は東京で地下鉄に乗ったり、道路を歩いたりしているときにちょっと抵抗があるのは、若い女性がものすごい勢いで自信を持ってカツカツカツと歩いていることです。すれ違うときにはこちらがよけないといけない。あの自信はどこからくるのかなと思います(笑)。

阿川 わかりますね。大手町なんかを歩いていると、そういう女性が多い。

猪木 でも男性にはそういう勢いはないですね。

阿川 自信がないから。ただIT企業の人たちなどは、男性もラフな格好をして自信満々で歩いています。だけどムリしていますね。電車のなかでは、みんな疲れた顔をしていて、会話もないし、笑っていません。

 

大阪は東京に対抗意識を持ち過ぎている

猪木 大阪は会話もおもしろいしユーモアもあるのだけど、よく「衰退の危機」が論じられますね。かつては天下の台所であった大阪は、その昔のイメージにとらわれて東京に対抗意識を持ち過ぎているところがある。東京への対抗意識は捨てたほうがいい。札幌、仙台、広島、福岡などに行くと、新しい日本は多極化していることを実感します。東京だけを意識するのは古い感覚です。

 企業人もジャーナリストも関西に赴任して来た人たちは数年すると東京に戻りますが、関西にいるあいだも東京に関心が向かっているように感じます。

 明治以降、日本では「中央は高く、地方は低い」という考え方が強くなりましたが、あれは妙ですね。地方にはお金を配ればいいとか、交付税で誘導すればいいなんていう発想が根強くあって、現代まで地方軽視が続いてしまっている。

阿川 地方創生と言っても、主導するのは東京の中央官庁で、地方自治体もそれに乗っています。それを後押ししているのは学者ですから、大学の責任も重い。

猪木 「地霊人傑」という言葉があります。その土地その土地に優れた人材が出ているという意味です。明治の日本は、大久保利通が強い指導力を発揮して「殖産興業」を達成したと教科書で教えますが、重要な経済活動は地方の企業家から生まれたものが多く、立派な人材が地方に輩出したということを『地霊を訪ねる』では強調しました。

阿川 『地霊を訪ねる』では、官が主導してもうまくいかなかった例がずいぶん紹介されていますね。

猪木 鉄鋼もその例ですね。官が主導して成功したものは少ないですね。戦後、乗用車の生産制限が解除されたとき、「これからもう日本はアメリカから車を輸入すればいい。生産する必要はない」という意見が一部の識者から出たこともあったが、当時の通産省が頑張って「そんなことを言っちゃダメです」と説得して回ったようです。その後、アメリカが脅威に感じるくらいに、日本の自動車産業が成長し輸出を拡大させたのは、結局はトヨタや日産などが、戦前の日本の軍用機やアメリカ企業の技術をうまく使いながら、自分たちの技術力を高める努力をしたからですよね。それが実態であって、官が主導したわけではない。

阿川 外から見ていても今の電力業界などはたいへんだろうなと思いますね。経済産業省はアイディア官庁になって、いろいろなことをやりたがっていますが、うまくいくんですかねえ。

 戦後の産業政策をずっと見ていると、結果として斜陽産業を守ることはできるのだけど、ベンチャー企業のような新しい産業を生み出して育てるのはできない。元気が足りない民を官が主導したって、うまくいかないでしょう。だから本気でやりたい人は、官庁をやめて事業を自分で始めるけれど、どこかでまだ出身官庁を頼っている。

猪木 その点アメリカの民間の自発性や野性味は強いですね。

阿川 荒っぽいし嫌なやつもいっぱいいますけれど、確かにそうですね。

猪木 「国に何とかしてくれ」っていう姿勢は、なんでも国のせいにし、社会的自発性を衰弱させる。

阿川 そうなると個人が夢を見る力がなくなってしまう。政府は夢を実現するのではなくて、政策を実現するところです。

猪木 近年の少子化対策にしても弥縫策の感は拭えませんね。

阿川 そうですよ。政府の有識者会議「全世代型社会保障構築会議」のメンバーの一人に「お金を払えば子どもが増えるんですか? そんなの信じられない」と聞いたら、「僕もそう思うけどね。だけど政治家はお金をバラまくのが好きですからねー。ハハハ」なんて笑っていました。

出会いと縁の不思議さ

阿川 猪木さんは子どものときは、何をめざして勉強をなさっていましたか。今日のお話にもありましたが、知のためでしたか? 

猪木 大学や大学院進学、就職にしても、人との出会いをはじめとして偶然が作用したことが多かったですね。私は子どものときから、自分はこういうことをやりたくて、この職業に就きたいといった強い夢はなかったように思います。

阿川 私もそうでした。

猪木 どうしても「説明しろ」と言われたら、それらしいことを言うことはできます。ある友人と出会ったことがきっかけでもあるし、あるいはある先生に憧れてとかね。それぞれの場面はあったけど、結局のところはよくわかりませんね。今日この対談の場に来たのも。

阿川 よくわからないですよね。僕を相手になんでこんな話しているのかも(笑)。

猪木 物事を自分で決めて進んでいるということも一部はありました。選択を迫られて、どちらかを選ばなければならないということが人生にはときどきあります。そういう意識的な選択も皆無じゃないんだけど、あとは何かそうじゃないことのほうが多かったようです。不思議なことなんだけどね。人に打ち解けて聞くと、同じようなことを言う人が多いですね。誰かに導かれるとか、引っ張られるという感覚ですね。一言で言えば、運命というか。人に会うということは不思議ですね。出会っても縁の続く人と何となく消えちゃう人がいる。

阿川 こいつと付き合っていても利益がないとわかった途端に、すっと消えちゃう。得になるなら付き合う、そうでなければ、付き合ってもムダ。すべてそれで考える人もいます。

猪木 また偉そうに古典を引用しますけど、アリストテレスは人と人の結びつきには三つの力があると言っています。第一が、有用さ、つまり利益です。この場合は利益がなくなった途端にプチっと切れてしまう。三番目が徳で結びつく関係です。お互いにリスペクトを持っていると友人関係は長く続くわけです。それがなければ続かない。真ん中の二番目はなんだっけ? ちょっと思い出せない(笑)。そうそう、快楽です。一緒にいると楽しいということ。

阿川 二つ目がなんだったか、と似たような話を聞いたことがあります。レーガン大統領は二期目に入った頃、ホワイトハウスの医者のところにやってきた。「先生に相談したいことが三つあります。一つはモノ忘れがひどくなったように思う。どうしたらいいでしょうか? ところで、二番目と三番目が何だったか思い出せません」って(笑)。

 それはともかく、出会いって何なのでしょう。そしてなぜ縁が続くのか。本当に不思議ですね。僕はこの歳になるまで、大病をしたし、いろいろなことがありました。ただ、そのときどきで、予想もしなかった新しい人との出会いがあって、その出会いがきっかけで人生の方向が変わった。それが何度もありました。地霊のおかげなのかなあ。感謝しています。

(終)

 

猪木 武徳・大阪大学名誉教授
いのき たけのり:1945年生まれ。経済学者。京都大学経済学部卒業。米国マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部長を経て、大阪大学名誉教授。2002年より国際日本文化研究センター教授。2008年、同所長。2007年から2008年まで日本経済学会会長。2012年4月から16年3月まで青山学院大学特任教授。主な著書に、『経済思想』(岩波書店、サントリー学芸賞・日経・経済図書文化賞)、『自由と秩序』(中公叢書、読売・吉野作造賞)、『文芸にあらわれた日本の近代』(有斐閣、桑原武夫学芸賞)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『地霊を訪ねる』(筑摩書房)など。

 

阿川 尚之・慶應義塾大学名誉教授

あがわ なおゆき:1951年生まれ。エッセイスト。慶應義塾大学法学部中退、ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィスおよびロースクール卒。ソニー、米国法律事務所勤務等を経て、1999年慶應義塾大学総合政策学部教授。2002年─05年在米日本国大使館公使を務める。05年慶應義塾大学復職、05─08年東京大学先端科学技術研究センター特任教授、07─09年慶應義塾大学総合政策学部長、09─12年慶應義塾常任理事、16─21年同志社大学特別客員教授を歴任。主な著書に『憲法で読むアメリカ史』(PHP新書、読売・吉野作造賞)、『どのアメリカ?矛盾と均衡の大国』(ミネルヴァ書房)など。

 

 

 

 

 

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