公研2025年11月号「issues of the day」
中国軍の高官人事の「異変」
2025年10月、中国共産党第20期中央委員会第四回全体会議(20期四中全会)が開催された。四中全会では、経済政策よりも人事の動きに注目が集まった。会議は中央委員10名、同候補委員4名の党籍剥奪処分を決定し、うち9名は軍の元高官であった。
会議の直前、中国国防部は巨額の不正に関与したとの理由から、軍の制服組ナンバー2の何衛東(中央軍事委員会副主席)や苗華(中央軍事委員会委員)らの党籍・軍籍の剝奪を発表した。何や苗は、習近平の福建時代以来の腹心の部下として知られる。
何の後任の副主席には軍委委員であった張昇民(軍紀律検査委員会書記)が昇格したが、空席となった委員の補充はなかった。2022年に習近平を含む七名体制で発足した中央軍事委員会は、現在では習のほかに3名しかいない(主席:習近平、副主席:張又俠、張昇民、その他委員:劉振立)。委員は、劉振立(聯合参謀部参謀長)ただ一人である。
こうした状況について、四中全会の開催前後にはSNSを中心に、習近平と制服組トップの張又俠との対立、習近平の権力低下、さらには習の失脚さえ予想する声もあった。しかし結論からいえば、それらは動画配信などを通じたアテンションエコノミーの利益獲得や、特定の政治的意図に基づくデマにすぎない。中国政治の分析に定評のある研究者やメディア、外交官らの分析によれば、習近平は依然として確固たる権力基盤と強力な権力を有している。
筆者も同様の見方である。筆者の理解では、長年連れ添った軍の側近を切り捨てるほどの習近平の個人的動機について、看過すべきでないのは、軍の腐敗が戦闘力の低下をもたらし、ひいては、今後起こりうる戦争に敗北するかもしれないという習近平の深い憂慮である。
腐敗を契機とする軍内派閥の組織化、人事権の空洞化の恐れ
習近平にとって、汚職は金額の多寡が本質的な問題ではない。腐敗の政治的機能、すなわち、腐敗が分派形成のきっかけにして派閥ボスへの忠誠の証しとして作用し、ひいては、中央軍事委員会主席である自分への抗命や不服従を引き起こすことが問題なのだ 。
第一期政権期の郭伯雄・徐才厚グループの粛清の意義は、反腐敗を通じた軍内派閥の解消により、派閥のボスが握っていた軍高官の人事の任免権を、習近平が個人として回収に成功したことにあった。軍内派閥をめぐる習近平の容赦ない批判をみれば、たとえ腹心の部下であっても、習は自分以外の者が軍内派閥を作ることを決して容認しないであろう。
この点、一部の研究者は、何衛東や苗華らがパージされた要因として、彼らが習近平の権力に挑戦したのではなく、軍内でセクトを形成して自分たちの影響力の拡大を図った可能性を指摘している 。
王信賢(台湾、国立政治大学)も、何・苗グループの粛清は習近平と張又俠の対立によるものではないとし、仮にそうした政争の結果、張が軍権を掌握していれば、何衛東の後任にはロケット軍の人脈に連なる張昇民ではなく、張又俠の出身母体である陸軍の劉振立が軍委副主席に昇任したであろうとの見方を示している。
軍内派閥による人事の失当、戦闘能力低下への懸念
ただし、郭伯雄・徐才厚グループと何衛東・苗華グループに対する習近平の批判の焦点は大きく異なる。前者が党と軍の指導権をめぐる権力闘争であるのに対し、後者は、軍内派閥の形成が軍の戦闘力の低下をもたらすリスクが危惧された。
日清戦争勃発120周年の2014年、習近平は、敗戦の教訓として軍内の腐敗蔓延と職務不適格者の重用を挙げている。いわく、日清戦争の「失敗の原因は多方面に及ぶが、一つは腐敗問題、一つは人事の不適当、さらにいま一つは危機意識の不足であった」、と 。
習近平の政治認識において、①腐敗を契機とする軍内派閥の形成→②軍高官の任免における情実人事と売買官の横行→③能力不足の将官の出世→④軍全体の戦闘能力の低下→⑤(台湾統一のための武力行使を含む)戦争での敗北というシナリオは、一つの連続した過程にほかならない。
党と政府に対する腐敗追及の狙いが、習近平の指導権の強化と支配の正統性の調達にあるとすれば、戦闘集団であるべき軍のそれは、個人の権力強化とともに、なによりもまず戦闘力の向上が図られねばならない。
何衛東や苗華らの失脚は、習近平と他の軍高官との政争が理由ではない。何や苗の派閥形成の試みが軍の最高使命である戦争勝利を危うくするという習近平の深刻な危機意識の表れとみるべきだろう。
換言すれば、長年にわたり目をかけてきた子飼いの部下を犠牲にすることを躊躇しないほど、軍の強化と台湾統一に対する習近平の決意は強固なのである。
大東文化大学教授
