『公研』2016年3月号「めいん・すとりいと」

待鳥 聡史

 中学校の社会科に、三角形が出てくるのをご記憶の方はおられるだろうか。三角形といっても数学的な意味があるものではない。三権分立を表すための図で、上に国会(立法権)、左下に内閣(行政権)、右下に裁判所(司法権)が描かれ、その間を両方向の矢印が結ぶ。矢印には「不信任」とか「違憲立法審査」などと説明が与えられている。その説明が空白になっていて、それを埋めるというのが、試験問題の定番の一つである。

 そんな図のことは卒業してから考えたこともなかった、言われて久しぶりに思い出した、というのが大多数の反応であろう。学校の教師か、あるいは自分の子供の勉強を見てやる機会でもない限り、義務教育で習ったことを鮮明に覚えているほうが珍しいし、もしすべてを完璧に覚えていれば、それだけでひとかたならぬ博識の人物になれる。

 しかし、あの三角形、より正確にはそこに表現されている三権分立の理解は、現代日本社会に生きる人々の政治認識の根幹に据えられている。首相が「それは国会にお任せしていますから」と語り、国会は主要議案の委員会審議に際して全閣僚出席を要求した上に与党議員まで質問に立つのは、国会と内閣がそれぞれ自律しながら「抑制と均衡」の関係にあるという、あの三角形の具現化なのである。

 問題は、日本の政治制度が実は三権分立ではないことである。官僚がすべてを支配している、などという話ではもちろんない。三権分立はアメリカに代表される大統領制の特徴であり、現行憲法の下で採用されている議院内閣制の場合には、立法権と行政権が融合することこそが本質である。

 だからこそ、総選挙で多数を占めた政党が与党となり、その党首を首相に指名するとともに、与党議員が大臣となって内閣が作られるのである。内閣は与党が官僚を使って行政権を行使するために作った特別委員会であって、内閣と国会の間には「抑制と均衡」は存在しない。本質的に無意味なことなのだから「国会にお任せしている」という首相の言葉が空々しく、国会での与党質問に迫力がないのは当然である。

 矢印の穴埋め問題に登場する国会の内閣不信任は、与党の大規模造反によって極めて例外的に起きるだけに過ぎない。解散権についても、世界の議院内閣制諸国ではイギリスなど廃止例も増えている。不信任や解散の引き金になる対立は、与党内部の組織問題として処理してしまえば済むからであり、実際にも大多数の議院内閣制諸国ではそうしている。

 憲法学には議院内閣制を権力分立的に理解する説もあり、それがあの三角形のルーツになったのであろう。戦前の分権的な政治構造の影響もあったのかもしれない。だが、現在では権力融合的な理解の方が広く受け入れられており、現象の説明としても、日本の政治を三権分立として認識するのは明らかに妥当性を欠くと言わざるを得ない。

 有権者になる年齢が十八歳に引き下げられ、若者への政治教育に関心が集まっている。それは悪いことではないが、あの三角形を前提にしていては、真面目に勉強した生徒ほど政治の基本構造を誤解することになってしまう。政治教育を充実させるのであれば、今日の学術的水準に見合う内容にする努力も、あわせて必要であろう。京都大学教授

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