コンサート開始3時間半前でも、東京ドーム周辺は異様な熱気に包まれていた。BTS7人の完全体での7年ぶりの東京公演、ということで、否が応でも盛り上がるのだが、よくぞ7人揃ってくれたという気持ちと、よくぞチケットあたったなという気持ちで感無量であった(今回SS席2枚を引き当てたのは私ではなく友人であったが)。
『ARIRANG』というアルバム名が発表された時は度肝を抜かれた。彼らの所属するHYBE社のパン・シヒョク取締役会長は、今や世界的グループとなった防弾少年団(BTS)の育ての親として知られており、そのパン会長がまた仕掛けてきたのだなと思った。アルバム発売と同時に、ソウルの光化門前広場、「王の道」から登場してライブ・コンサートを行うというのも、てんこ盛りの演出であった。なにしろ、7人全員が兵役から帰ってきたところである。韓国色を前面に押し出し、愛国心を盛り上げるのだろうかと思ったが、発表されたアルバムの内容は違っていた。
ライブ・コンサートはNetflixで中継され、アルバム制作に至る過程もNetflixのドキュメンタリーとなり、今では大体舞台裏は見えている。
『ARIRANG』の題名を提案したのはパン・シヒョクであり、内容についても韓国色を出しつつ、できるだけ英語で歌うようにと要求を出し、メンバー特にリーダーのRMとは必ずしも意見が合わなかった。何度も頭を振るRMの姿が映像に残されている。最後は何とか折り合い、アルバム発表とコンサート・ツァー開始にこぎつけた。
パン・シヒョクは、アルバムの内容について、「『デビュー・アルバム『2 COOL 4 SKOOL』をリリースしたBTSがそのまま13年間大きくなっていたら、どんな音楽になっただろうか』という問いへの答え」とある雑誌インタビューで答えていたが、これはおそらく後付けだろう。結果的に、音楽的には原点に戻ったような、強いビートの挑発的なものが多くなった。トップ・アイドル時代の万人受けするメッセージの甘い音楽ではなく、もう一度自分の心の中の鬱屈や違和感、アイデンティティの模索を訴えるようなパーソナルな内容に戻った。コンサートの内容も激しいダンスの分量は減り、よりミュージシャンとしての性格を強めたものだった。
BTSの詩の世界に最も強い影響を与えているのは、数ヶ国語を自由に扱えることで知られるリーダーのRMだ。その彼は、兵役中不眠症で苦しんだことを告白している。いまだにメンタルな問題を抱えており、おそらく自分はずっとこの問題を抱えていくのかもしれないとインタビューで答えている。RMは戻ってこないのではないか、と内心恐れていた。ダイナマイト以降の世界的アイドル路線に、彼が少なからず違和感を抱えていたことは、漏れ伝わっていた。彼の詩にはその葛藤が溢れ出ていた。最も不器用で最も芸術的深さを持っている彼がいなくなれば、BTSは同じではなくなってしまう。英語での表現も、彼の語学力があってのものであった。
結果的に、BTSはその魂を守り通して、「エイリアン」であり「フーリガン」であり「飼い慣らすことなどできない動物(アニマルズ)」である自分たちをもう一度主張し、肯定して見せた。題名はすべて英語だが、中身は英語を増やしつつも韓国語とのミックスである。コンサートではヒット曲の「ダイナマイト」や「Butter」も歌ったが、それがBTSの「今」ではないことは明らかだった。BTS2・0は、パン・シヒョクが敷こうとした路線を食い破り、動物的に自己を再定義して見せた。「僕らはただの韓国の田舎から来た少年たちなんだ」というRMの非メイン・ストリームのアイデンティティは揺らがなかった。
光化門のライブ・コンサートで、RMは足を怪我して踊ることができなかった。一人椅子に座り歌っている彼は、手負いの獣のようだった。パン・シヒョクという巨大なエゴと戦い、何とか自分の世界を守り通した。神話や心理学に詳しい彼の脳裏に、「父親殺し」という言葉が何度も浮かんだのではないか。そのパン・シヒョクは不正取引で取り調べを受けている。BTSという物語は、まだまだ終わらない。その物語のほんの一頁でも、生で体験できて幸せだった。
政策研究大学院大学教授
