『公研』2020年7月号「めいん・すとりいと」
山極 壽一
このたび、総合地球環境学研究所(地球研)の次期所長に選任された。任期は4年間で来年の4月に就任予定。身の引き締まる思いである。
私は地球研の「地球環境問題の根源は、人間の文化の問題である」という考え方に従来から深く共鳴してきた。そして、まさにその時代が来たという確信を抱いている。たとえば、この6月の国会で、1995年に制定された科学技術基本法にあった「人文科学のみに係るものを除く」という文言が削除されることになった。科学技術の発展には、人文科学が主体的な役割を果たすことが重要だという認識になったのだ。私が会長を務めている日本学術会議も、第6期科学技術基本計画に向けて人文科学の重要性を提言として発出している。思い返せば、私が京都大学の総長に就任して間もない2015年、文部科学省が国立大学に人文・社会科学系学部・大学院の組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換を求めた。私は真っ先に反対したのだが、そのせいもあってか2017年に指定大学法人制度が発足し、京都大学が最初の3校に指定されたとき、「人文・社会科学を牽引する」というミッションを与えられた。それに奮起して、京都大学は「人社未来形発信ユニット」を組織し、これまでに蓄積してきた京都学派の思想と現代社会の問題を組み合わせて新しい考え方を発信している。
昨年パリで実施した「自然は考えるのか?」という共通テーマによる国際シンポジウムもその一環である。これは京都大学とフランスの高等研究院、地球研の共催で、近代の科学主義の根底にある二元論や排中律を和辻哲郎の「風土」、西田哲学や今西自然学から見直し、人間と自然との関係性、生命や環境のつながりを文理の枠を超えて討論する試みだった。今、科学技術が各国の政策に大きな影響を与える中で、人文・社会科学的な立場から科学技術や経済対策の舵取りを求める声が強まっている。たとえば、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資は近年企業を評価する重要な指標になりつつあるし、今年政府が募集を開始したムーンショット計画でも、科学技術に社会イノベーションやウェルビーイング(福祉)の考えを取り込むことが明記されている。また、今回の新型コロナウイルスの襲来は、地球環境の荒廃とグローバルな人の動きがパンデミックを引き起こすことを示し、自然と共存する新たな社会の構築が急務であることを教えてくれた。これから地球研の視点と立ち位置がますます重要になると思う。
地球研は2001年に創設された大学共同利用機関法人で、初代の所長は私の恩師の一人である日高敏隆先生が務めた。日高先生は軽々と学問分野の壁を飛び越えて学際研究を推進することが得意だった。2009年に先生が逝去されたとき、私は文化人類学者の小長谷有紀さんと『日高敏隆の口説き文句』という本を編集したことがある。直弟子ではなく、日高先生に口説かれた人々が集まって思い出を語った本である。研究者以外に様々な分野の方々が口説かれていて、日高先生の交遊の広さを物語っている。昆虫好きだった日高先生がちょうど蝶が花々を飛び回るように、動物行動学をプラットフォームにして学問を市井に広げたのだと思う。現在所長を務める安成哲三先生も気象学を専門とし、気候変動という地球的な現象を共通テーマにフューチャーアースなど国際的なプロジェクトの中心になっている。
ゴリラを研究してきた私はとてもまねができない。せいぜいゴリラに倣って「泰然自若」という姿勢で突出した研究者群の調整役に徹していこうと思う。ただ、人間と動物の間にある原初的な思考をゴリラから学んだので、地球環境を人間以外の視点からも眺め、未来の学術と社会の在り方を見据えて、地球研の存在意義を世界に示していこうと思う。 京都大学総長