『公研』2019年8月号「めいん・すとりいと」

呉座 勇一 

 私は最近、井沢元彦氏の『逆説の日本史』や百田尚樹氏の『日本国紀』など、歴史学の成果を無視した「俗流歴史本」の弊害をあちこちで書いている。

 念のため断っておくが、私は「小説家が歴史を語るな」「専門家以外は黙っていろ」と主張しているわけではない。「歴史ノンフィクション」「歴史書」「通史の決定版」などと謳うなら、歴史学の研究手法・研究内容をきちんと学んでほしいだけだ。

 別に歴史学界の通説を全面的に受け入れ、それ以外の説を唱えるな、と言うつもりはない。だが「俗流歴史本」の書き手は、通説を一知半解で糾弾したり、通説を意図的に矮小化して不当な攻撃を行ったりする。通説を批判する前に、ちゃんと通説を学び、正しく理解すべきだ。

 歴史学の研究手法を修得した者の研究であれば、その人が在野・民間の研究者であろうと、歴史学界が差別することはない。実際、歴史作家の桐野作人氏の研究は、学界でも一定の評価を得ている。

 井沢氏や百田氏は、史料に基づかない想像・思いつきを「仮説」と称して自著の中にふんだんに取り入れている。小説なら問題ないが、井沢氏は「本当の日本史」と嘯き、百田氏は「『日本国紀』に書かれていることはすべて事実」と語っている。これは容認できない。

 井沢氏は私の批判に対し、「仮説を認めないのは学者にあるまじき態度」と反論し、湯川秀樹の中間子理論も実験で証明される前の仮説段階から評価されていたと主張する(「逆説の日本史」1221回、『週刊ポスト』2019年4月5日号)。だが、単なる思いつきと学問的手続きを経た仮説は全く異なる。

 歴史学者も仮説を立てることはあるが、傍証となる史料を挙げ、蓋然性があることを示す。ところが井沢氏は、仮説に必ず史料的根拠を求める歴史学界の姿勢を「史料絶対主義」と批判する。

 大正13年にベストセラーとなった小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』は、源義経が衣川で死なず大陸に渡ってジンギスカンになったと主張したものである。言語学者の金田一京助や日本史学者の大森金五郎などは「小谷部説はこじつけであり、史料的根拠がない珍説である」と激しく批判した。これに対して小谷部は、一般国民の意見を軽視する学者たちの権威主義、史料を絶対視する歴史学の偏狭さを指弾した。井沢氏の主張は、小谷部のそれと何ら異なるところがない。

 学界の知り合いからは「あんなレベルの低い本は放っておけ」と忠告された。だが、こうした「俗流歴史本」の社会的影響力は無視できない。一般の歴史好きが興味本位で読む程度なら害も少ないが、日本社会で指導的立場にいる政官財界の人々の中にも愛読者は少なくないからだ。そうした人々が「俗流歴史本」の書き手と対談する、彼らを歴史講演会に呼ぶ、といった事例は頻繁に見られる。あえて本誌でこの問題を取り上げる所以である。

 もちろん、歴史小説家が対談や講演で歴史を語ることは、昔から多くある。だが、「俗流歴史本」の書き手の態度は、歴史小説家一般のそれとは全く異なる。吉川英治は著名な歴史学者である服部之総と深く交流し、海音寺潮五郎は日本史学者の桑田忠親と親しかった。一流の歴史小説家は歴史学に敬意を払い、その研究成果を自らの小説に取り入れてきた。これに対し「俗流歴史本」の書き手は、歴史学者を貶めることで自らを大きく見せようとする。

 近年は歴史小説家と歴史学者の接点が乏しくなっている。互いの仕事を尊重した原点に立ち返るべきではないだろうか。国際日本文化研究センター助教

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事