『公研』2024年10月号「めいん・すとりいと」

 昨今中国経済に関する海外の報道は「悲観一色」だが、中国の都会に在住する邦人に尋ねると、「消費の現場を見ていると、景気がそれほど悪い気はしない」という答が返ってくる。

 例えば、都会の消費現場では高速鉄道の座席予約がビジネス(商務)シートや一等車から先に埋まっていく、人気の高級レストランは昔に比べて予約が取り易くなったが、閑古鳥が啼いているわけではない、旅行ブームも健在(爆買いはしなくなったが、むしろ消費者の学習効果の結果)等々。

 しかし、「中国経済に悲観的なのは海外だけ」なわけではない。不動産不況が「バブル崩壊」の様相を呈し始め、それが景気対策や民生対策の第一線に立つ地方政府の財政を直撃していることに対しては、かつてない危機感の高まりが感じられる。

 政府の経済対策に密接に関わってきた元高官がリーマンショック後の4兆元対策を引き合いに出して「1、2年で10兆元以上の財政出動」を求めたり、第一級の経済学者が「国債を大量発行しても、中央銀行が公開市場操作(買い入れ)すれば問題ない」と発言したり(アベノミクス?)しているのだ。

 マクロ判断と街場観察の間にこんなギャップが生ずるのは何故か。筆者は、中国の階層分化が進んだ結果、ファインダーをどこに向けるかによって見える景色が違うからだと思う。

 今の中国には、悪くない暮らしを送る中流階層が約4億人いる一方、低収入の階層が9億人もいる(故李克強総理は「月収1000元以下の国民が6億人いる」とも述べた)。高速鉄道に乗ったりレストランで食事を楽しむ中流以上の都市住民に限れば、生活を深刻に脅かされる事態には至っていないのではないか。

 日本もバブル崩壊後90年代半ばまでは、当時多かった中流層の国民生活が深刻に脅かされたわけではなかった。後に「氷河期世代」と呼ばれる若者の多くはアルバイト仕事にしか就けなかったが、親と同居する「ニート」たちは、意外とのんきだった。当時の日本は1人当たりGDPが米国を上回っていたし、労働分配率も今よりずっと高かったこと、セーフティネットも備わっていたことが背景にある。

 中国の中流層も30年前の日本の中流層と似た状況にあるのではないか。「給料は下がった」としても、「貸しマンションの一、二軒はあるから影響はそれほどでない」とか……。しかしその分、低所得層、とくに都市で建設工などをして暮らしてきた何千万人もの農民工(とその家庭)が不景気で仕事を失って大打撃を受けている。彼らには当てにできるセーフティネットもない上、郷里には仕送りを待つ老親たちがいるのに、である。

 深刻さを増すマクロ経済のもたらす痛みは、彼らのような弱者に集中しているのではないか…。そんなことを考えている最中に、深圳で痛ましい日本人学校児童刺殺事件が起きた。実は同日、湖南省財政庁長の女性が殺害される事件も起きた。こちらも犯行動機は公表されていないが、省政府の債務不履行を恨んでいたという情報がある(犯人2名は郷里の県の人民代表や模範青年の称号を持つ企業家だったのに、犯行後に後追い自殺)。田舎町ではない、人口6600万人を数える大省の、国で言えば財務大臣がそんな理由で殺される……。以前なら考えられない事件だ。

 どちらの事件も人生に絶望して自暴自棄になった挙げ句の犯行ではないのか。景気が低迷し先行き悲観が広がる中国で、社会に衝撃を与える凶悪事件はますます増えるのではないかと気懸かりだ。日本国際問題研究所客員研究員

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