『公研』2021年1月号「めいん・すとりいと」
兼原 信克
米大統領選挙が終わり、バイデン大統領の新政策に注目が集まっている。しかし、トランプ大統領が7000万票以上を集めたことは、人びとを驚かせた。史上最高得票の負けた大統領である。トランピアンと呼ばれるこの人たちは、一体どういう人たちなのか。
先進国では、グローバリゼーションの結果、製造業が急速に途上国に流出した。その恩恵を受けて、工業化の波はアジアを襲っている。たかが200年、産業革命に先んじただけで、欧米諸国が世界の覇権を握るというのは、束の間のはかない夢だった。韓国、ASEAN、そして中国の猛追が始まった。インドが後を追おうとしている。
市場の論理は残酷である。資本は、利潤が生まれるところに流れる。廉価で優秀な労働力があれば、工場は移転する。製造業のない先進国はどうなるのか。多くの先進工業国が、自らの老いた姿を、未だに希望をもって描けていない。製造業は裾野が広い。労働者も多い。富が均霑される。右肩上がりのときには富の分配も容易だ。しかし、製造業が流出すると、成長は鈍化し、富の格差が再び顔を出す。
金融政策における量的緩和は、アベノミクスの例を取るまでもなく、先進国経済を潤してきた。コロナ禍は、一層の量的緩和を促進する。カネが余る。株式市場は好調だ。株を持っている人間と、持っていない人間の格差が開く。また、ネット産業は勝ち組だ。通信技術の進展は凄まじい。今や世界の10大企業リストから、銀行や石油企業が姿を消し、GAFAやBAT(中国の大手IT系企業3社)の一人勝ち状態である。
そこで忘れられたのが、中間層と呼ばれていた製造業の労働者である。彼らは、普通に保守的であり、気候変動、中絶の権利などといった左派のスローガンには共鳴しない。彼らのアイデンティティは保守にある。カトリックの多いヒスパニックにトランピアンが多いのも頷ける。彼らの生活水準がじりじりと下がっていくとき、金持ち贔屓の共和党は、彼らを助けようとはしなかった。
彼らの怒りに火をつけたのがトランプだった。トランプの「アメリカファースト」は、彼ら向けのメッセージである。同盟もいらない。中国製品もいらない。メキシコ移民もいらない。アメリカは、アメリカ人のためにある。見捨てられたと感じていた人たちは、トランプの言葉が真実であろうとなかろうと、どうでもよかった。そう言ってくれる人は、トランプしかいなかった。彼らは、徹底した反エリート主義である。トランプは去っても、彼らは残る。米国は、一層、内向きになるであろう。
翻って、日本にも同じ現象は起きないだろうか。トランピアン現象が日本に来ないと言い切れるだろうか。1985年のプラザ合意は、円の価値を跳ね上げた。昭和のお父さんが大切に飲んでいたジョニーウォーカー・ブラックラベルが、ハイボール用の酒に成り下がった。その一方で、製造業の海外流出は、加速度的に進んだ。今やほとんどの日本の製造業は、海外に製造拠点を構える。サプライチェーンは国外に伸び切った。
しかし、不思議に危機感がないと言われて久しい。ぬるま湯のような国内に目を向けていれば立ち枯れるだけである。日本は、輸出国家から、投資国家へと変貌した。ポスト製造業時代に、地球的規模での投資国家として生き残るための戦略が要る。世界の人々の暮らしを良くして見せるという原点に立って、投資国家としての発想が求められる。
製造業流出のしわ寄せを受けているのは新規就業の若者である。「半沢直樹」の例を引くまでもなく、日本のどん底が見える若者は逞しい。令和の日本人は沈没しかけた巨艦「日本丸」を浮揚させることができるだろうか。未だ曙光は見えない。自恃の精神に溢れる彼らの千倍返しのエネルギーに期待したい。 同志社大学特別客員教授