昨年の高市首相が「台湾有事」を唱えるまで、日本には毎年、数多くの中国人観光客が訪れ、大量にブランド商品を買ったり、リピーターとなって深山の温泉に行ったり、いたるところで観光を愉しんでいた。では映画館はどうだったか。
東京国際映画祭をはじめとする日本の国際映画祭は、その年の上映プログラムを発表した直後から、コンピュータで予約チケット販売を開始する。すると中国映画だけが、ほとんど即日か翌日当たりで、あっという間に売り切れてしまう。北京や上海の映画ファンが買い漁るのだ。彼らはツアーを組んで上映日の前日に東京に到着。国際的にも著名な自国の監督の最新フィルムを異国の都市で見るために、集団で到来するのである。
国際映画祭では多くの場合、監督が来日して質疑応答に参加する。その場合、かならず通訳がつく。しかし中国映画上映のときには通訳はほとんど出番がない。観客席からどんどん中国語で質問の手が上がり、監督は嬉々としてそれに中国語で応じている。日本人を含む他の国の観客たちは、まったく置き去りにされてしまう。
婁燁(ロー・イエ)。賈樟柯(ジャ・ジャンクー)。王兵(ワン・ピン)。いずれも西洋や日本の国際映画祭で受賞し、国際的に高く評価されている監督たちだ。現代中国を代表する映画人といってもいい。しかし彼らのフィルムは現政権下の中国では上映されない。彼らについて言及することも、好ましくないこととして要マークとなる。だから映画ファンは自国の映画を観るために外国に行く。
わたしも子供のときからイッパシの映画ファンだったから、その気持ちはわかる。けれども『愛のコリーダ』の完璧版が見られなかった時代に、わざわざパリまで観に行く日本人はいなかった。中国人は違う。自国の誇りとする監督たちの新作が気になってしかたがないのだ。
習近平政権下では徹底して人は管理されている。共産党政権は国民の一人ひとりの情報を細部まで握っている。誰が誰と会ったか。何を話したか。過去にどのような「罪状」があるか。国家がこうして末端にいたるまで人々の情報を把握し管理しているだけではない。一般人にはインターネットの操作において、さまざまな障壁や禁止が存在している。中国に行ったことのある人なら、FacebookもYahoo!もGoogleも、アクセスできないということを知るだろう。中国国内にいるかぎり、世界中で簡単にアクセスできるチベットやウィグルの情報にも接近ができない。かくして人々は国家が与える情報だけを受け取り、ナショナリズムの側へとどんどん誘導されていく。
とはいうものの、人は見えない形でメディアのなかに抵抗運動をもちこんでいる。Wechatなどを通して頻繁に情報を交換し、隠語と暗号を用いて多くのことを知り、また報せあっている。海賊版のDVDやVCDを通して、国内で上映不可能な映画を観たり、それを人に廻したりすることは常道だ。彼らはまた国外と強いネットワークをもっていて、アートや映画の発信に積極的である。
現在では規制がより厳しくなったが、かつて北京のアーティストは何か新作を披露する際にはまず外国人ジャーナリストに通達し、官憲が到着する直前までパフォーマンスを行なったものだった。
映画を制作するときには、海外の制作者との合作や資金助成を積極的に行なう。この巧みな戦術がアンダーグラウンドの文化の根底にあり、それは今でも形を変えてしぶとく継続されている。ただ日本の地にあっては、それにただちにアクセスできないだけのことだ。中国映画はこれからも発展することだろう。
映画研究者
