『公研』2022年7月号「interview」

 

順天堂大学 スポーツ健康科学部助教
一般社団法人S.C.P.Japan共同代表

 野口亜弥

 

日本代表をめざすサッカー少女

──野口さんとサッカーの出会いを教えてください。

野口 サッカーは兄がやっているのを見て、3歳の時に自分からやりたいとお願いしたのがきっかけでした。小学校時代は地元に女子のチームがなかったので、男子のチームに混ざって練習していました。

 中学校時代は女子のチームじゃないと試合に出れなかったので、筑波にある大人の女性チームに混ぜてもらっていました。その繋がりで筑波大学の現役の大学生とも一緒に合宿に行ったり試合に出たりしたのですが、大学生からしたら、中学一年生の子がポンって練習に参加するなんて「誰だお前?」って感じですよね。でも、皆さんすごく優しかった。そんなお姉さん方に囲まれていたので、「私も筑波に入ったらこんな素敵なお姉さんになれるんだ!」という強烈な憧れを持ったんです。なので、高校時代は筑波大学に行くこと、全国大会に出ること、日本代表になることを目標に意地で勉強とサッカーを両立していました。

──憧れの筑波での大学生活はどうでしたか。

野口 筑波の女子サッカー部は国立大学で唯一、一部リーグに残るなど頑張ってはいますが、私立と比べるとすごく強いわけではありません。しかし、「上をめざさないとやっている意味がない」と思っていた私が、筑波だからこそいろいろな人に出会い、違うサッカーの関わり方ができたのが良かったです。サッカー初心者の人やバンドと兼部したいから練習に週3日しか来ない人とか、私にとってすごく新鮮でした。

 学部の勉強では、スポーツコーチングコースに入り、当時は指導者をめざしていました。

──今は指導者ではなく、研究職としてスポーツとジェンダーについて研究されています。この分野に興味を持ったきっかけはありますか。

野口 ジェンダーに興味を持ったのは、大学卒業後に行ったアメリカ留学がきっかけです。

 アスリート奨学金で留学したので、アメリカでもサッカーは続けるつもりでしたが、やはり日本代表をめざすなら日本でプレーをしていたほうが目にとまりやすいです。しかし、私は学生時代に日本代表大学生選抜には入れなかったので、代表になれる可能性は少なかった。なので、諦めたくない気持ちもありましたが、セカンドキャリアを考えるとアメリカでプレーもしながらコーチングと英語の勉強をするという、サッカーを活かした違う方向に転換してもいいかなと思い留学を決意しました。

──アメリカでのサッカーは日本と違いましたか。

野口 大学での部活と、あと夏休みの間はニューヨークのセミプロチームでプレーしていました。

 私、アメリカに行ったらアメリカ人にたくさん会えると思っていたんです。でも、実際にはセミプロの監督はイタリア人で、大学のチームの監督はイギリス人で、チームメイトはブラジル、スペイン……と。そんな中、それぞれがそれぞれの国で習ってきたサッカーをしていて、それが本当に面白かったです。私がサッカーだと思っていたのは日本のサッカーだったんだと。

アメリカのセミプロリーグでプレーする野口さん

──その状況を楽しめたのはすごいですね。

野口 私のポジションはミッドフィルダーなので真ん中です。パサーなので真ん中で人を活かすポジションなんですね。だけど、個性がすごく際立っている人たちの集まりでしたから、一緒にプレーする10人それぞれに対して、「この人にはこういうボールを出したらやりやすいだろうな」とかを考えるのが面白かったです。

上達がすべてではない、新しいスポーツとの関わり

野口 アメリカでは新しいスポーツとの関わり方にも出会えたのが良かったです。夏休みの間、セミプロのチームでプレーする以外に、ハーレムのパブリックスクールで子ども向けの放課後アクティビティをしていました。そこでは子どもたちにサッカーを教えるのですが、上達することを目的としているのではなくて、サッカーを使ったリーダーシップ教育や食育などをしていました。

 ハーレムは裕福な地域ではなく、子どもたちも普段ファストフードばかり食べているので、身体にいい食事をとるという習慣がありません。そうした子どもたちに、「サッカーを楽しむためには健康な体が必要で、そのためにはこういう食事をしよう」などの食育をしていました。あとは、放課後子どもたちは何もやることがないと、ギャング団に入って犯罪に手を染めてしまったりします。なので、サッカーで子どもたちを集めて、とにかく子どもたちが何かをすることがある状態にしておくという目的もありました。私は、サッカーとは「上手くなる、試合に勝つ」という関わり方しかそれまでしてこなかったので、こういうプログラムの存在は衝撃でしたね。

──アメリカのサッカー界はジェンダーの視点から見てどうでしたか。

野口 女性がすごく活躍していました。女性の指導者も沢山いますし、弁護士をやりながらサッカーチームのオーナーをしている女性もいる。率直に凄くかっこいいと感じましたし、なにより驚きました。日本にほとんど女性指導者がいなかったので。

 また、女性がスポーツで活躍できる場が制度として保障されていることにも驚きました。アメリカにはタイトルという連邦法があり、公的な教育機関のプログラムにおいて男女平等が保証されています。例えば、男性チームと女性チームの指導者の給与が違ったら法律違反になります。

 そういう意識は大学の部活動でも見られました。練習場の場所取りでも今週は男子が良い時間をとって来週は女子が良い時間をとるということが当たり前になっていました。男女で優劣がありません。私が大学でプレーしていた時には、8個ある男子チームが先に練習場を確保して、その後空いている時間を女子が使うというやり方でした。今までのサッカー環境とアメリカでの環境のギャップを目の当たりにして、ジェンダーという視点に興味を持ち始めました。

──当時、日本のサッカー界では女性のロールモデルが少なかったのですか。

野口 今も少ないですね。2020年に設立したWEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)でも、クラブ役職員の50%以上が女性でないとリーグに参入できないなど女性登用に力を入れているのですが、それでも女性が監督のチームは11クラブ中一つだけです。WEリーグの監督になるには公認S級コーチという資格が必要なのですが、そもそも女性でS級を持っている人がほとんどいないんですよ。

──S級の資格は女性が取りづらい仕組みなのですか。

野口 取りづらいというか、そもそも取りたいと思ってい

る人が多くないです。S級は日本代表やJリーグの監督が持っていなければならないもので、多くは男性です。女性のロールモデルが少ないからこそ、漠然とS級は男性が取るもので女性が取るものではないという考えが植えついてしまっている。

 また、日本サッカー協会が定める指導者の資格は最高位がS級、その下にA、B……とあるのですが、B級以上は推薦が必要になります。そうすると、「女性はさ、どうせやめちゃうじゃん」と推薦をもらえないことが結構あります。

──アメリカ留学後はスウェーデンのプロチームに加入されています。これはどういった経緯でしょうか。

野口 アメリカで女性のコーチングに特化した大学院に行きたいと考えていました。しかし、当時はまだ語学力が足りなかった。なので、2年間の学部生活の後、そのまま同じ大学の大学院に進んで、コーチングに活きるかなと思いビジネスリーダーシップでMBAを取得しました。

 そんな中、大学院が2年目で終わりそうな時、24歳はもうプロをめざすならこれが最後のチャンスだろうと思い次の進路としてプロを考えました。選手を引退する前にもう一回頑張りたいと思ったんです。そこで、たまたまイングランドのプロチームであるチェルシーの国際試合が日本で行われていたので、ニューヨークの監督の繋がりで、そこにジョインしたんです。イギリスの規定でチェルシーには入れなかったのですが、その繋がりからスウェーデンのリンショーピングFCというプロチームに入ることができました。少なくともちょっとは私が頑張ったのを認めてくれたのもあるし、人との繋がりがチャンスをくれたというのもある。だから、頑張っていると何かに繋がるんだな、と感じましたね。

──日本、アメリカ、スウェーデンとサッカーのスタイルが変わる中で楽しむことはできました?

野口 チームメイトとプレーを合わすことが出来たら楽しかったですね。契約したチームがスウェーデンでも3番目ぐらいに強いチームで、スピードやフィジカル面では今までとは格段に違うなと感じました。言語の壁も大きかったです。練習中も試合中も、もちろんスウェーデン語なので指示を理解するのがなかなか難しかったです。私は4カ月で結果を出さなくてはいけなかったですが、うまく馴染めなかったので契約の継続はできませんでした。それが私の実力なのですが、スウェーデンは苦しかったですね。

──その後、20151月から6カ月間ザンビアのNGOで活動されています。急展開ですね。

野口 スウェーデンのプロ契約が切れるときに、次は日本でサッカーを続けることも考えたのですが、初めてまとまった時間ができたので何か新しいことをしたいと考えました。アメリカのハーレムでの活動を通して、発展途上国でもサッカーを使った教育があるというのは知っていて、その分野にすごく興味がありました。筑波大学のスポーツを通じた国際協力を扱っている先生に聞いてザンビアのNGOに行くことを決めました。そのNGOはスポーツ界をジェンダー平等にすることと、スポーツを使って女子教育をしている団体でした。

──ザンビアでは女の子と男の子でスポーツへのアクセスのしやすさは違いますか。 

野口 違いますね。ザンビアではNGOの活動の後、スラムでサッカーも教えていたのですが、日本人がサッカーボールを持っていくと目立つので人が集まるんですよ。誰だお前みたいな感じで(笑)。そうすると、男の子は自由にしっちゃかめっちゃかボールを蹴っているんですけど、女の子は家の手伝いをするからサッカーができないということが結構ありました。特に貧困層は、性別の役割分担がはっきりしています。

ザンビアの貧困地区で女の子にサッカーを教える野口さん

──具体的にどのような方法で女の子たちに女子教育をしていましたか。

野口 二つやり方がありました。一つはスポーツのイベントを開いて人を集める方法です。ザンビアでは女の子にも馴染みのあるネットボールという競技のイベントを貧困地区で開催して人を集めていました。そこでは試合も行いますが、同じ会場内でここは月経を学ぶところ、ここは女性のリーダーシップについて話すところなどグループ分けして学ぶ場所を提供していました。

 

スポーツには老若男女問わず人を集める力がある

──スポーツは人を集める力があるのでしょうか。

野口 やはり娯楽が少ないというのもありますが、人はものすごく集まります。そこにスポーツの力を感じました。あとは、スポーツを看板にすると男性の村長さんやリーダー、男の子までも集まってくれるので、普段だと届かない層にも女性の権利について届けることができるんです。

 もう一つは、スポーツをしながら学ぶ方法です。例えば、性暴力に関するセッションだと、女の子たちで円をつくって最初は真ん中にいる一人の子に向かって一斉にボールを投げます。そして、次にもう一人真ん中に女の子を呼んで、今度はその子が投げられるボールを「NO!」って言いながらはじいて、女の子を守ります。ゲームをしながら、誰かが攻撃を受けた時は助けてあげて、ちゃんと「NO!」と意思表示をしていいということを学びます。

──日本の子どもたちにもやってほしいプログラムですね。

野口 私は今、日本でスポーツを通した共生社会づくりに取り組む、一般社団法人 S. C. P. Japanの共同代表をしているのですが、そこでも体を動かしながら学ぶプログラムをつくっています。例えば、〇×クイズみたいな感じで、「男の子は泣いていいですか?」という問題に対して子どもたちがペアで話し合いながら正しいと思う方にボールを運ぶ。子どもたちが自分の頭で考えながら自分で決めるんです。

──ザンビアでの活動を終えた後、スポーツ庁で働かれています。

野口 ザンビアでの経験を経て自分の中でスポーツを通じたジェンダー平等への興味が明確になったのを感じました。そして、筑波大学でその研究をしようと願書を準備していたのですが、そのときにたまたまスポーツ庁の公募を見つけて、試しに出してみたんです。そしたら、たまたまご縁があったので、博士に行くのをやめて201510月から2年半スポーツ庁国際課に勤務することになりました。

 スポーツ庁に入ってからは東京オリンピック・パラリンピックの日本政府のキックオフイベントに携わったりしました。また、国際女性スポーツワーキンググループという国際的にスポーツのジェンダー平等を推し進める団体があるのですが、そこが出している提言に日本はずっと署名していなかったんです。オリンピックを開催する国なのにこれはやらなくてはいけないと思い、その署名活動を発起したりしました。

──その後は研究職という道を選んでいます。スポーツ庁に残るという選択肢はなかったですか。

野口 スポーツ庁の仕事はすごくやりがいもありました。しかし、政策として何か新しいことを提案しても最終的に「それは事例があるんですか?」と言われてしまいます。だったら、自分で事例をつくったほうが早いのではと思ったんです。なので、自分が海外で見てきたことや勉強してきたことを、日本に繋げて小さくても事例をつくろうと思い、2020年の2月に丁度同じようなことに関心をもっていた仲間とS. C. P. Japanを一緒に立ち上げました。

 また、スポーツとジェンダーという分野にパッションを持つことができたんですね。パッションを持てることって中々ないじゃないですか。だからきちんと研究も頑張りたいと思いました。

──研究職と団体の立ち上げを同時にスタートされたのですね。

野口 研究を頑張りたかったですし、その研究を実践する場も欲しかったので。

 また、たまたまご縁があって順天堂大学にポジションをいただけたのは幸運だったなと思います。しかし、大学教員、研究者としてのスタートがすっと始まったので、まだ博士号(ドクター)を持っていないんですよ。なので、今は国際基督教大学でドクターの取得中です。

 

東京オリパラが変化のきっかけに

──次に、今のスポーツ界についてお伺いします。昨年の東京オリンピック・パラリンピックは、ジェンダーという観点からみて野口さんはどう評価しますか。

野口 割と変化の多い大会だったのかなと思います。良くも悪くも、日本の現状が明らかになりました。組織委員会の森喜朗元会長の女性蔑視発言はリアルなスポーツ界を表していたと思います。しかし、オリパラの組織委員会の中でジェンダー委員会が発足したり、いまスポーツ庁が「多様性と調和」を大きく打ち出しているのも、あの発言によってスポーツ界の流れが変わったからです。現状に気づくきっかけになったという言う意味で、昨年のオリパラは良かったですね。

 また、ジェンダーについて議論する女性の選手も増えました。女性に関わる問題は、現役引退した女性アスリートとか影響力ある人も昨年のオリパラ後に話題に出す人が多くなった。

──オリパラ以前は当事者である選手たちからもジェンダーの話題はでなかったのですか。

野口 選手自身もスポーツ界の現状に気づいていませんでした。別にパフォーマンスが良ければ女性指導者か男性指導者か性別はどうでもいいじゃないかという声もよく耳にしました。なぜ、女性指導者が少ないのかというのを構造的、仕組み的に理解する状況ではなかった。

 また、東京2020大会は初めてトランスジェンダーを公表している女性が女性カテゴリーで出場した大会でもあります。良くない報道のされ方もしましたが、それまではスポーツにおけるLGBTQ+が日本で話題になることはなかったので、議論になっただけでも良かったと思います。しかし、LGBTQ+のスポーツおける問題はトランスジェンダーだけではないのでまだまだかなと言う気もしますが。

 私が共同代表を務めるS. C. P. JapanLGBTQ+の情報発信やコミュニティの場を提供する「プライドハウス東京」というコンソーシアムに参画して、一緒に活動もしているのですが、このプライドハウス東京にいろいろな競技団体から、「トランスジェンダーのアスリートはどうしたらいいのか」という相談が来るようになりました。最近だと、水泳関係者からですね。アメリカの大学水泳でトランスジェンダーの女性が競技に出てメダルを獲得し、多くの反発や議論が巻き起こるという出来事がありました。そのような世界の流れを受け、日本のスポーツ関係者も「ちゃんと考えていかないといけないのはわかるが、どこから始めればいいのかわからない」という状況にいるのだと思います。

──実際に日本でトランスジェンダーであることを公表して自分の望む性別カテゴリーで出場したい選手が出てきたというより、いつでも対応できるように準備をしている段階ですか。

野口 そうですね。でも時間の問題だと思います。日本でこれだけLGBTQ+の運動が起きていて、多くの人の理解は進んできています。そうなると、例えば自分の子どもがトランスジェンダーの女の子で、その子が「女の子のチームに入りたい」と言ったら、親としては女子のチームに入れてあげたいですよね。そのように、実際に公表する選手や子どもが出てくるのも時間の問題だと思います。

──出生時登録された性別が男性であるトランスジェンダー女性が競技に参加すると、「身体的に有利ではないか」という議論が起こりやすいです。この議論に終着点はあるのでしょうか。

野口 スポーツ界全体でも誰も終着点はわかっていないと思います。東京オリパラでは、トランスジェンダーの女性が出場できる基準として、テストステロンというホルモンの値を基準にしていました。しかし、何故テストステロン値を基準にするのかという明確なエビデンスもありませんし、出生時に男性として登録された人が女性として競技することがどのくらいアドバンテージがあるのかというのも科学的な証拠をもって明らかになっているわけではありません。また、個人戦かチーム戦かで競技の特徴は違うし、道具を使うのか使わないのか、接触があるのかないのかなど競技ごとによって、そのアドバンテージはバラバラです。

 昨年の11月に国際オリンピック委員会(IOC)が、「公平であること」「証拠に基づいたアプローチであること」など選手の人権に配慮したガイドラインを提示しました。そのため、東京オリパラでは全競技で統一されていたトランスジェンダー女性の参加資格も、今は「ガイドラインに沿って競技ごとで考えてください」というのがIOCの見解です。

 

ルールをつくれるのも権力

──野口さんにとっての公正公平なルールとは?

野口 難しいですね。現状のルールは公正公平ではないと思っています。なので、まずは一緒にルールをつくる。ルールをつくれるのも権力だから。S. C. P. Japanのプログラムの中に、男の子女の子、障がいのあるなし関係なくごちゃまぜでスポーツをするプログラムがあるのですが、この時は子どもたち自身でルールをつくってもらいます。その場にいるみんながこの時間を楽しめるルールをつくることが唯一の条件で、後はなんでもありです。自分たちでスポーツのルールをつくるということが、社会に出たときに自分の力で社会の仕組みを変えることができるという小さい疑似体験になったらいいなと思っています。

──全員が楽しめるとなると難しそうですね。子どもたちは実際に達成できますか。

野口 最初は理解が難しくて、「サッカーのルールじゃないルールってなに?」となりますが、徐々に子どもたちが主体となって提案しだします。「こうしたら(障がいを持っている)あの子も楽しめる」とか、「このルールだとあの子が楽しめない」とか。「みんなで話して決めようよ!」という言葉が子どもたち側からでてきます。柔軟性がすごいですね。

──子どもたちが主体になって考えるのですね。体育の授業などとは違った面白さがありそうですね。

野口 おもしろいと思います。子どもたちはめっちゃ喋るんですよ(笑)。日本の子どもはあまり自分から発言しないと言われますが、プログラムに参加する子たちは自分から手を上げて積極的に意見を言います。私もこういう活動をやって日本人は喋らないって言うのが嘘だと気づきました(笑)。やっぱり環境なんだなと。

──今後の目標をお聞かせください。

野口 今やっているそれぞれの活動で目標は異なりますが、全部に共通するのは、「誰もが自分らしく豊かな人生を歩むため力をつける場所でありたい」ということです。性別や性自認、性的指向もなんでもいい。障がいを持っていても持っていなくてもいい。どこの国で生まれてどこの国で生きていてもいい。一人ひとりが自分らしくいられて、それぞれの自分らしさをお互いに理解し、認め合いながら、共に生きていける力をつけてもらいたい。私たちの活動がそのきっかけ作りやその力がつく場になってくれれば嬉しいなと思っています。

 あとは、その過程でも自分の文化を大切にしていきたいです。ジェンダーの話題になると、欧米の価値観や文化の違いに押され、まるで日本や私の研究地域であるタイのアジアの文化が遅れているとされてしまうことがあります。でもそれって欧米の個人主義の価値観が強い文化からの観点であって、アジアにはアジアが大事にしている価値観があります。例えば、私の経験を振り返ると、アメリカだとはっきりものを言わないと意見がないとされてしまうけど、日本にははっきり意見は言わないけど周りがわかろうとしてくれる優しさがあります。もちろんアジアと一括りにできないほど、アジアの国々も多様です。そういう、日本やアジアの色んな特性に寄り添いながら、ジェンダー課題に向き合っていきたいなと思います。

聞き手:本誌 薮 桃加

 

 

ご経歴
のぐち あや:1987年生まれ。筑波大学体育専門学群卒。フランクリンピアス大学大学院にてMBA取得。「スポーツと開発」と「スポーツとジェンダー・セクシュアリティ」が専門。スウェーデンのプロサッカーチーム、リンショーピングFC経て現役を引退。その後、ザンビアNGOでの活動、スポーツ庁国際課での勤務を経て現職。
おすすめの記事