六月に角川新書から『軍師の日本史』という著作を発表した。戦国時代を舞台にした歴史小説やドラマ、ゲームにおいて、主君の傍らで大戦略を構想し鮮やかな作戦を立案し、全軍を勝利へと導く「軍師」は欠かせない花形役者である。山本勘助や竹中半兵衛、黒田官兵衛といった名だたる軍師たちは、「理想のナンバー2」として日本人の間で絶大な人気を誇ってきた。
ところが、一次史料を精査すると、私たちがイメージするような「軍師」は戦国時代に一人として存在しなかったという驚きの事実に突き当たる。当時の史料に「軍師」という役職名は登場せず、実在したのは出陣の吉凶を占い、必勝の祈祷を行う「軍配者」と呼ばれるシャーマンであった。
作戦立案者である軍師が存在し得なかった理由は、当時の軍隊の組織構造にある。古代の律令体制においては、朝廷による徴兵で集められた国家的な軍隊が存在し、中国の兵法書に基づく高度で組織的な陣形が運用されていた。しかし、律令体制の崩壊によって、軍事システムは大きく退行する。
戦国大名の軍隊は、独立した国衆(武家領主)たちがそれぞれ戦場に率いてくる軍勢の寄せ集めにすぎなかった。武士たちは全体の勝利よりも自身の武功を最優先し、他部隊と連携せず一番乗りを狙って独断で突撃する利己的な存在だった。
このような「言うことを聞かない軍隊」は集団訓練を経ていないため、彼らに整然と陣形を築かせ、複雑な作戦行動を命令することは不可能だった。軍師の一元的な指揮によって全軍が手足のように動くという私たちの抱く戦国合戦像は虚構である。武士たちを結束させて軍隊として統合する唯一の手段は、合理的な作戦ではなく、軍配者の呪術的な儀礼による一体感の演出だったのである。
では、戦国時代に実在しなかった「知略の軍師」はどのようにして生み出されたのか。江戸時代になり、合戦における作法が「軍学」として体系化されると、軍学者たちは自身の軍学を権威づけるため、自らを「名軍師の末裔」と称して歴史を粉飾し始めた。
さらに江戸中期に『三国志演義』の翻訳本『通俗三国志』が刊行されると、「軍師」諸葛孔明が爆発的な人気を博した。軍記物や講談という大衆娯楽の中で、天才的な軍師としての孔明のイメージが日本の武将たちに〝上書き〟され、物語の盛り上げ役としての軍師像が量産されたのである。
近代になると、軍師像はさらに変容を遂げる。明治政府がプロイセン式の参謀本部を設立し、高等用兵を担当する将校たる参謀の育成教育を開始したことで、近代的な参謀のイメージが戦国の軍師像に重ね合わせられ、神秘的な賢者から現実的な作戦立案者へと再解釈されていった。
そして高度経済成長期に司馬遼太郎らの歴史小説が大ヒットし、昭和50年代にはビジネス誌や大衆歴史雑誌が牽引する大衆歴史ブームが沸き起こった。ここで軍師は、組織を実務的に動かす現代の企業スタッフの模範としての役割を帯びるようになる。年功序列の日本型組織において、主君と部下の間に挟まれながらも巧みに立ち回って組織を動かす軍師の姿は、サラリーマンが自らを投影する理想の組織人として機能したのである。
しかし、この長く続いた軍師人気にも、今後は陰りが生まれることが予測される。転職が一般化する中で現在求められているのは、企業への滅私奉公よりも専門的なビジネススキルである。従来の軍師的処世術は、もはや労働モデルとしての役割を終えつつある。軍師という虚構の理想像から脱却し、自らのキャリアを客観的に見つめ直すことが、これからの時代には求められているのである。
国際日本文化研究センター准教授
