決死の覚悟で挑んだ起業

──2000年に、原先生や堀江さんを中心に株式会社コアミックスが設立されました。こちらは堀江さんが先導したものなのでしょうか?

 たぶん発案者は僕です(笑)。当時はホリエモン(堀江貴文)が注目されていた頃だったんですよ。その影響で僕も起業を決意しました。

 僕はその頃、漫画家として厳しい時期を迎えていました。『北斗』以降、『CYBERブルー』はコケてしまったし、『花の慶次』もスマッシュヒットで終わってしまった。その頃僕はまだ33歳だったので、この先の人生をどうすべきか不安に感じていました。そこへ彗星のごとく現れたのがホリエモンでした。すごい人が出てきたなと思いましたよ。僕もそれに触発されて経営の勉強をしたりしました。そうした中で次第に、起業への意欲が高まっていきました。

もともと僕は営業が全然できませんでした。口の上手い人に言いくるめられちゃうんです。たとえば「原さん、今度ウチの会社で『北斗』を再録させてくださいよ。でも印税は半分の半分の半分でいいですよね?」といった具合に、理不尽な条件をどんどん呑まされそうになってしまいました。僕の一番大切な『北斗』でさえも、僕一人の力では守っていくことができないんだと思って恐ろしくなりました。

 だから僕は、自分一人で頑張るのではなく、信頼できる仲間を集めてチームをつくることが必要だと感じるようになりました。それで真っ先に堀江さんに声をかけました。実はその頃、堀江さんも厳しい時期を迎えていました。週刊少年ジャンプの編集長からは退いていたんです。誘うなら今がチャンスだと思いました。

 僕が言うことはいつも突飛なので、起業の話も最初は「何を言ってるんだ?」と一蹴されてしまいました。いくらホリエモンブームの最中とはいえ、当時の堀江さんは45歳。そこから新しいことを始めるのは肉体的にも精神的にもキツいものがあったと思います。でも僕は敢えて「やりましょうよ」と言い続けました。「失敗したっていいじゃないですか。僕たち2人さえいれば漫画は描いていけるんですから。僕が絵で、堀江さんが原作で。今までだってずっとそうしてきたじゃないですか」と。

 やがて堀江さんは、「原くん一人では無理だよ。他の仲間も探そう」と言って『シティーハンター』の北条司さんや『よろしくメカドック』の次原隆二さんに声をかけてくれました。堀江さんってそういう人なんですよ。最初は取り合わないんだけれども、だんだんその気になってきて、最終的にはまるで自分ごとのように全力を出してくれるんです。そうしてコアミックスが設立されました。早いもので、それから26年もの月日が経ちました。

『ボノロン』はすべての子どもたちのために

──先生は児童向けの絵物語作品『森の戦士ボノロン』のプロデューサーも務められています。従来の原先生の作風からは想像がつかないくらいハートフルな作品です。

 やっぱり僕も自分に子どもが生まれたタイミングで、いろいろと思うことがありました。小さい子どもが夢中になるコンテンツというと、大抵ディズニーかアンパンマンですよね。僕はそれがちょっと悔しかった。僕も一人の創作者ですから、自分のつくったキャラクターで子どもたちを育てていきたいと思っていました。そんなことを堀江さんと話していたら、彼も同じようなことを考えていました。それなら絵物語をつくろうという話になり、『ボノロン』が生まれました。堀江さんはやると決めたらとことん継続できる人なので、『ボノロン』は20年以上にわたり新しいお話を届けてきました。

『森の戦士ボノロン』2026年春号「タンタとざしきわらしの巻」

 

──CS放送チャンネルのキッズステーションで『ボノロン』のテレビアニメが放送されていたことや、近所のセブン-イレブンで『ボノロン』が掲載されているフリーペーパーが配布されていたことをよく覚えています。現在の20~30代の方の中には、『北斗』よりも先に『ボノロン』で原先生の関連作品に触れた方も多いかもしれません。

 そうやって僕の作品に触れながら子どもたちが育っていってくれたら嬉しいなと思ったんですよ。

 また当時はリーマンショック等の影響もあり、「子どもの貧困」が叫ばれ始めた時期でした。家の経済状況によって、ちゃんとした教育を受けられる子と受けられない子、親に本を買ってもらえる子と買ってもらえない子の間に差が出てしまうことが懸念されました。

 「全国の子どもたちが平等に楽しめるものをつくれないか」という僕たちの呼びかけに応じてくださったのがセブン銀行さんでした。セブン銀行さんのご支援によって、全国のセブン-イレブンでの『ボノロン』の無料配布が実現しました。無料配布という点からもわかるように、『ボノロン』は利益目的の事業ではありません。『ボノロン』では「子どもたちのために」という志を優先しようと決意したんです。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、原哲夫

──ビジネス方面に活路を開いていかれた一方で、近年ではイタリアのウフィツィ美術館に自画像を提供されるなど、美術分野への活躍もめざましい印象です。

 僕は全然知らなかったのですが、どうやらイタリアでは『北斗』が相当な人気だそうです。昨年現地へ行ってみると、イタリアの『北斗』ファンのみなさんが僕の来訪を熱心に喜んでくれました。イタリアは日本と似ている部分も多かった。人情味のある人柄も、ちょっと薄暗くて雨模様の多い天候も、どことなく日本を想起させました。

 またイタリアは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといったルネサンスの巨匠の作品が残る国。昨年、僕の作品展が行われた教会では、ウフィツィ美術館が所蔵する貴重なルネサンス期の作品を、僕が描いた絵と並べて展示してくれました。バッチョ・バンディネッリという、ルネサンス期に主にフィレンツェで活躍した芸術家であり、ジョルジョ・ヴァザーリの『美術家列伝』にもその名を残す人物の作品と、僕の絵を同列に扱ってくれたのです。彼らは肉体美という点で僕の絵にシンパシーを感じてくれていたらしいんです。そもそも、イタリアではアートと漫画の間に境目がないんですよ。漫画も立派なアートの一種だという意識があります。

 ちなみに、現在コアミックスにはイタリアのローマ出身の社員がいるんですが、彼も熱心な『北斗』ファンです。彼はイタリアの漫画に関するボランティア事業をやっていて、いろいろな人とつながりを持っていました。ウフィツィ美術館の一件も、今年1月のジョルジャ・メローニ首相との面会も、彼が尽力してくれています。

──イタリアからわざわざ日本の出版社へ…… それだけで相当な熱意が伺えますね。

 やっぱり仲間に入れるなら、心の底から『北斗』が好きな人じゃないとダメなんですよ。僕はいろいろな人に仕事を頼んできましたが、本当に『北斗』が好きな人に頼むと、やっぱり情熱が全然違うんです。彼らのおかげで今でも『北斗』の人気が保てていると言っても過言ではありません。

1月16日、イタリアのジョルジャ・メローニ氏と面会した原哲夫氏(写真提供:コアミックス)

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Xでフォローしよう

おすすめの記事