2026年『公研』「めいん・すとりいと」
冤罪事件を題材にした1956年公開の映画『真昼の暗黒』のラストシーンに「まだ最高裁がある」という有名な台詞がある。むろん真相解明のチャンスは残っているという意味だが、この言葉は映画への評価とは切り離されて、現在でもときどき法律家などにより言及される。
それをもじっていえば、今日の日本政治に批判的な立場からは「まだ参議院がある」ということになるのだろうか。今年2月の総選挙で自民党が圧倒的な勝利を収めて以降、国会運営における与党主導は明らかである。とりわけ衆議院では野党が抵抗する機会はほぼなく、高市早苗首相の事務所が関与したと一部で指摘される誹謗中傷動画の問題などで10日ほど審議を空転させたに止まる。
高市首相が総選挙の際に述べていた「国論を二分する政策」が何なのかはまだ明確ではないが、皇室典範改正や国旗損壊罪の創設といった、いわゆる保守派が熱心なテーマをどうやら指すようだ。大多数の有権者にとっては実質的な利害関係がなく、その意味では「国論を二分する政策」ではないようにも思われるが、SNSなどのネット世論を重視する政権らしいとはいえるだろう。
このようなテーマは、理念や原則についての重要な論点を含むため専門家やメディアの関心は惹くものの、法改正や新規立法による有権者への直接的な影響はほとんどない。それだけに、取り上げるか取り上げないかについての見識が問われることはあっても、政権側が取り上げると決めてしまえば、野党側が激しい論戦に持ち込んで有権者からの支持を集めることは容易ではない。
しかし、少数だが熱心な推進派にとって立法は極めて大きな勝利となり、政権の成功の象徴とされる。関心の非対称性が強い特異なテーマだといえ、高市政権はそれを巧みに活用している印象がある。
現在は与党が参議院で過半数を確保していない、いわゆる「ねじれ国会」なのだが、それが政権と与党を大きく制約しているように見えないのは、象徴としての要素を強く持つ立法を優先していることによるところが大きい。野党側が「まだ参議院がある」と叫ぶには、どうにも気勢が上がりにくいというわけである。
もちろん、国民民主党や参政党など、与党ではないが政策的立場が比較的近い政党が存在しており、同じ「ねじれ国会」であっても2007年~13年にではなく、1989年からの数年間に近いことも指摘できよう。
それをどう評価すべきなのかは難しい。皇室典範改正などはいささか強引すぎる印象を禁じ得ず、もう少し丁寧な説明や議論が行われるべきであって、参議院での審議がその機会になるのであれば望ましかったということはできるかもしれない。
しかし、総選挙で勝利を収め衆議院の3分の2を大きく超える議席を与党が確保しているにもかかわらず、参議院での与党議席数が足りないから政権の推進する立法を実現できないというのは、別の大きな問題をはらんでいることも間違いない。有権者の多数が「まだ参議院がある」と野党に言わせないことを望んでいるのであれば、それは尊重されるべきであろう。もちろん、推進した政策に対する責任は政権と与党が全面的に負うのが大前提となるが、野党側の分裂がその充足を阻んでいるのは皮肉である。京都大学教授
