公研2025年11月号「めいん・すとりいと」

 かれこれ54年も前のことになる。私もすでに館長だったが32歳と若かった。水族館の近くに住む田中という北洋でサケマスを獲る「勝丸」という船の船頭さんがふらりと寄ってくれた。「北洋にはオットセイがいっぱいいる。網を巻き上げると一緒に船に入ってくる。捕まえるのは訳ないことだ」とまあそんな話をしてくれた。

 その話に私のいい加減さが飛び乗ってしまった。「何とか1匹捕まえて持ってきてくれないか」そう言ったことを覚えている。まあ半分は冗談だったのだが……。実はオットセイについては厳しい規制が有った。「ラッコ・オットセイ条約」が日本の敗戦時にロシア、アメリカと強制的に結ばされ、捕まえるのはもちろん死んだものを拾ってもいけないという厳しいものだった。

 戦時中に獲りすぎて絶滅の恐れがあったため、繁殖地を持たない日本が結ばされた「屈辱条約」だと言われていた。勿論そのことは知っていた上での「捕まえてきてくれ」だったが、半分冗談とはいいながら、とても手の出せる話ではなかったのだが、何事もいい加減に考えてやってしまうという自分の未熟さが出てしまった。

 その話はすっかり忘れていた6月頃だった。「田中船頭」から突然の電話で「オットセイ捕まえて来たぞ」と告げられた。慌てて加茂港に飛んでいったら「勝丸」に大きな篭に入れられたオットセイがいた。

 15kgほどの今年の春に生まれたと思われる子どもだった。そしてなぜか肩から腹に掛けてぐるりと体の3分の2を回る深く大きな傷が開いていた。これで良く生きていられるものだなと不安があったが、傷口に赤チンキを流し込みペンギンのプールに同居させた。このまま何事もなく誰にも気付かれずに済めばよかったのだが、意外や意外、深い傷も自然に治り、1年ほど過ぎたある日突然NHKにすっぱ抜かれた。

 朝7時のニュースで「国際条約に違反してオットセイを飼育している」と日本中に流されてしまった。これはまずいことになった。仕方がない。オットセイを海に放流することにした。

 私が捕まえて海に放り投げてやれやれと思ったところに、「館長警察が来た」と告げられた。なんだか知らないが逃げる他ないと思ったからこれもまたいい加減だった。裏口から外に出て警察に気付かれることなく自分の車で逃げだした。

 しかしこの狭い庄内、鶴岡市で逃げたところでどうにもならない。2時間過ぎた頃に水族館に戻ったらそのまま警察に連れて行かれた。のらりくらりと嫌になるほど同じことを聞かれるも、相手はベテラン、こっちは素人。なだめすかされ洗いざらい吐かされてしまった。警察もオットセイという証拠物件がなくて困ったようだったが、私の話が証拠となり3万円の罰金刑が課され一件落着となった。

 その後「日本動物園・水族館協会」より国際条約に違反してオットセイを飼育しないようにと通達があった。しばらくは肩身の狭い思いをした。そして時は流れて2013年の12月、水族館のすぐ下の磯に「アシカがいる」と近所の人から電話があった。さて逃げたわけでもないし何だろうと見に行ってみたらアシカではなくオットセイであった。それもかなりの年寄りに見えた。何でこんなところにオットセイが、と思ったが、はっと思い付いたのは「42年前に私が海に放り投げ」てやったあのオットセイだった。これは吉兆だ、「福の神」だ。来年6月にはクラゲ水族館がオープンする。あいつがお祝いに駆けつけてくれたのだ。

鶴岡市立加茂水族館名誉館長

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