人種や性別による因果効果をどう考えるべきか
筒井 ここはぜひ近藤先生にお伺いしたかったのですが、労働経済学の世界では、いわゆる政策介入によるエビデンスを重視する人たちが多いのでしょうか。それとも介入では変えられない雇用や学歴などのエビデンスも併せて評価することが、共通了解になっているのでしょうか?
近藤 プログラムエバリュエーションと呼ばれる分野の人たちは、基本的には政策介入の効果を見ています。でもその手法を援用して、変えられない要素の因果効果を推計している人たちもいます。彼らは、人種や性別による因果効果を研究するわけです。この辺りの研究に対する意見は人によってだいぶ異なり、共通了解みたいなものは存在しないと思います。
筒井 私も言われたことがあります。社会学で性別による違いを分析しようとしたら、仲の良い経済学者の友人が「性別って変えられないよね」と。
近藤 そうなんです。
筒井 だから「オレはやらない」と。
近藤 それでもやる人もいます。私は、研究の根っこにきちんとしたセオリーがあればいいのだと考えています。例えば、差別なのか他の要因が原因なのかを識別するために、他の要因を徹底的に制御しても、男女あるいは人種の間に顕著な差がやはり残るのであれば、そこには差別が発生していることになります。
黒人っぽい名前と白人っぽい名前の履歴書を捏造して、いろいろな求人に応募したところ、白人風の名前のほうがより多く書類選考を通過したという有名な論文があります。この研究では人種による影響が大きいことが明らかになったわけですが、仮に人種差別以外の要因も存在していれば、それを識別することにも使えるのだろうと思います。
一方で、「そんなことを調べてどうするのだ?」という反応が返ってくることもあります。私の分野だと、「それは経済学なのか」といったツッコミもよく見られますね。
筒井 よくわかりますね。ただ、政策介入の効果だけを見ているのか、動かし難い要因も考慮しているのかをきちんと見極めることは、大事だと私は考えています。世間一般でエビデンスベースという言葉が用いられているときは、ここが混同されている気がしています。
近藤 同僚の川口大司先生(東京大学教授)は自治体の人などに説明するときに、「EBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)という言葉は2種類の使われ方をしている」と言っています。一つは、厳密な意味でのプログラムエバリエーションです。もう一つは広い意味で使っていて、とにかく「統計データに基づいた政策提言をしましょう」というぐらいのレベルです。
今の日本に必要なのは後者だろうと思います。地方自治体の職員に厳密なプログラムエバリエーションを求めても、コストばかりが高くあまりメリットがない。それよりも、政策を判断する際には統計データを参照することを習慣付けることがまずは必要なのかなと思います。
魔法の解決策は存在しない
筒井 私もどちらかと言えば、後者で動いているタイプですね。出生率の研究をしていると、政策介入の効果はゼロに近いものばかりですから、論文を読めば読むほど論じたくなくなるんですよね(笑)。そうすると、どうしても構造的な話をしたくなります。ただ構造を変えるといっても、結局はやはり政策の話をすることになる。
私はメディアの方には、いろいろな政策の組み合わせで長期的に変えていくものなので、「単発の政策で、パッと変わるような見方は絶対にしないほうがいい」といつも言っています。
近藤 よくわかります。今まさに氷河期世代対策が政治で盛り上がっています。「どんな政策が必要ですか?」と聞かれても、いきなり氷河期をなかったことにするような政策なんて打ちようがない。今から何をやっても取り戻せないものは取り戻せないのに、それができる方法があるかのように期待される方がいます。
筒井 専門家が魔法の解決策を持っているわけではないありませんからね。「教えて欲しい」と言われても答えようがない。
近藤 氷河期世代対策という言葉のもとで、手を付けるなら社会保障だと私は考えています。繰り返しになりますが、氷河期世代だけを対象にするより、その世代が最初になってそこからしばらく先の世代までカバーする対策が必要になります。自営業か会社員かという従来のモデルにはまらなかった人たちがたくさんいる世代が続くので、それに合わせて社会保障制度を変えておかなければ、破綻することになります。どちらかと言えば、事後手当てですよね。
筒井 私は撤退戦と言っています。本来、政治家は高齢化や少子化を前提とした社会保障をいかに再構築すべきかとか、自治体への悪影響をどう緩和していくのかといった撤退戦略こそを語るべきです。けれども、政治家はそういう話をしたがらない。まったくしないわけではないけど優先順位は低くて、だいぶ後のほうになってから言いますよね。
近藤 話したくない気持ちは理解しますが、しないとマズいですよね。仮に出生率を1・4ぐらいに上げられても、人口は減り続けることになる。2・0まで上げるのは無理だと思うので…。そうすると、人口を増やすことを訴えるより、人口が減ることを前提にシステムを変える話に力を注いだほうが生産的だと思います。
筒井 後ろ向きに聞こえるのかやりたがらないですよね。私はいろいろな自治体で少子化対策の講演をしていますが、後ろ向きな内容なので私の話はウケがよくない(笑)。でも人口減少している地域の議員さんなら、本当はよく理解しているはずです。データを見れば、ものすごい勢いで人が減っていることは明らかで、特に東北地方の一部自治体は危機的な状況です。
就職氷河期世代への対策について言えば、最初期の人たちはすでに50代になっていますから、リスキリング(職業能力の再開発・再教育)の効果も限定的です。やらないよりはやったほうがいいのでしょうが、それで魔法のように問題が解決するわけではない。
近藤 いま石破政権は氷河期世代対策を打ち出しています。三本柱になっていて、一つ目が就労支援、二つ目が社会的に孤立しがちな人への支援、この二つは前からあった対策の延長にあるものです。そして三つ目として出てきたのが、高齢期を見据えた支援です。この言葉が出てきたこと自体は、すごく評価できると思います。やっとそこに関心を向けるようになったかと。
ただし、中身を見ると社会保障に手を付けているわけではないのですね。低年金の人たちがたくさんいることを政府が認識しているというぐらいの印象で、何かボヤッとした書き方しかしていない。
筒井 資産形成という言葉もありますね。彼らが置かれた現実からはかけ離れている。
近藤 資産形成は本当に消したほうがいい。
筒井 どうやって形成するのだという話ですからね。
近藤 家計支援という言葉もありましたが、「節約でどうにかなるレベルだと認識しているのか」といった反感を持たれてしまうのではないかと感じました。
筒井 今のところそのレベルですよね。日本の社会保障システムは、ゼロかイチのようになっていて間がありません。生活保護でなければ、割としっかりとした人向けの制度設計しかない。
近藤 生活保護まで行ってしまうといろいろなことが非効率なので、そこまで行く前にどうにかするという発想を持つべきです。ただ、そうした漠然としたことは言えますが、私もこの分野の専門家ではないので具体的な提言ができるわけではありません。
基礎年金を上げたらいいのではないかと素人的に思っていましたが、最近の年金をめぐる議論をみると迂闊なことを言ってはいけないという気になります。
筒井 ここでもやはり、統計データをバランスよく見ることで現状を把握して、共通了解を作っていくことを今までしてこなかったツケが出ている感じですね。
こうした事態を招いているのは、誰の責任なのでしょうか。研究者、政治家、行政、メディアなどそれぞれに責任はあるのでしょうが、何か常にズレていますよね。
近藤 行政の方とお話しした印象ですが、例えば厚生労働省の労働サイドの方はきちんとわかっています。現場の人たちからは氷河期世代対策と銘打つのではなくて、40代向け転職支援とか50代向け職業訓練といった言い方にしたほうが絶対にいいという意見も出てきます。行政の、少なくとも実際に動かしている人たちはよく理解しています。
なのでメディアが「行政は何もしていなかった」といった言い方をしているのを見ると、「うわっ……」となるときはあります。
筒井 私も委員会などに参加すると、行政の方はデータをきちんと見ているし、認識の齟齬もそんなにないと感じます。ところが、政治のレベルに行くとそれがうまく反映されていなかったりする。先ほども言いましたが、一つの政策に落とし込めるものではないので、様々な政策を張り巡らせる必要があります。けれども政治家としては、自分の成果なのかよくわからなくなるし、世間一般にも説明がややこしくなるので嫌がるのでしょう。なので政治家のそうした思惑は無視して、行政で確実にやっていくしかない気がしています。
氷河期世代を境にして日本社会はどのように変わったのか?
筒井 編集部から「氷河期世代を境にして日本社会はどのように変わったのか?」という無茶振りに近い話題が立てられていますので(笑)、少し考えたいと思います。今日の話では、氷河期世代以降も厳しい雇用環境は継続していたということでしたが、直近ではどうでしょうか?
近藤 今の労働市場は状況がまったく違っていて、売り手市場であることは確かです。賃金水準も上がっているし、失業率も下がっている。けれども景気が良くなっているのではなく、供給が減り過ぎたせいで賃金が上がっているのが現状です。好景気による人手不足とは違うことが起きているのだと見ています。
筒井 若い人たちの数が極端に減って、雇用の世界が構造的に変わっているわけですね。
近藤 若者がマイノリティになっていく社会です。
筒井 少子化が始まったのが70年代の半ば生まれぐらいからなので、もう50年ぐらい減り続けています。いま就職活動をしている人たちは少子化ど真ん中の世代なので、大事に育てられてきた人たちが多い気がしています。前の世代とまた違うんですよね。大学進学率がさらに上昇した世代ですが、価値観が変わって来ている印象があります。よく言われているのが若い人たちが性交渉、性行動に関して不活発になっていることです。簡単に言うと、恋人をつくらなくなっている。これはエビデンス的にもはっきりしています。当然その結果、マッチングして結婚することも不活性化する可能性もあります。
雇用に関しては確かに今のところ持ち直していて、20代の雇用は少なくともネガティブなほうに突っ走っている感じがしない。
近藤 今は労働市場で働く準備ができている状態で学校を卒業できた人たちに関しては、就職口はたくさんあります。ただ不登校なども増加していますから、そうしたところにも目配せすると、状況はまた違うのかもしれません。
筒井 他方で、女性の正規雇用率は以前より増えてきています。徐々に共働き社会にシフトしつつあると言っていいのかもしれません。
近藤 変わっていることは間違いないですが、氷河期世代が境というわけではなく、社会が緩やかに変わってきました。それは今も続いています。私は氷河期世代後期ですが、我々より下のほうがさらに共働き化は進んでいます。
みんながそうだとは言いませんが、今の30代前半ぐらいの若いお父さんたちはものすごく子どもに時間を使っている人の割合が増えています。そこも二極化している気がしています。夫婦ともにホワイトな企業に勤めていて、子育てにきちんと時間を投資できるカップルとそうではない人たちで、格差ができてしまっている感じがします。