読者と自分との間の距離

──言葉の連なりが読む人の心を動かす詩人という職業は、素敵だなと思うと同時に胡散臭い存在でもあるなと感じています。ご本人を前にして言うのも失礼ですが…。

谷川 それはもうまったくその通りですね。僕は初めからそう思っていましたから。詩よりももっと前に、言語というものは本当のことは言えないものだと肝に銘じて書いていました。逆に言えば、いくらでもフィクションで書けちゃうわけです。

──インタビューに備えて『人生相談 谷川俊太郎対談集』を拝読しました。現代詩の先輩である鮎川信夫さんとの対談のなかで「書くという行為が、それだけ自分の中でせっぱ詰まったものになったことが、まだない」とおっしゃっていたのがとても意外に感じました。言葉で自分を表現しなくては生きて行けない人が詩人なのかなとも思っていました。

谷川 僕は詩を書くことは、賞金取りの一種だと思っていたところがありました。最初に『螢雪時代』に投稿したきっかけもそうでした。だから自己表現することには、あまりこだわらなかった。そんなに強い自己があるわけじゃないしね。だから何かやむにやまれぬ気持ちを詩で書いていた、ということはほとんどないですね。

 それよりも、自分と読者との間の距離を測ることを常に考えていたんじゃないかな。読者におもねって、わかりやすい詩を書くという道もあったわけです。そういう詩を書いている人もいたし、そこから歌謡曲の作詞のほうに行った人もいました。けれども僕は、そういうことをやろうとはしませんでした。だからと言って、自分が表現したいことばかりを押し出したいとは思わなかった。

 こういうふうに書けば、読むほうもある程度はこちらが伝えたい世界を理解するだろうといった書く道筋や、バランスというのかな。そこのところは自然に、本能的に取っていたような気がしますね。

──世に出した詩を読者がどのように受け取るかは自由であるともおっしゃっていました。読者や批評家は好き勝手に意見を述べるわけですが、そうした感想などには目は通されていましたか。

谷川 時々目を通していました。おもしろい感想があればちゃんと読むんですが、あまりないんですよね。読み手がどのように受け止めたのかは気にならなかったですね。批評にしても「自由に書いていいですよ」と言っていました。「否定するのであればしてくれてかまいません」という態度でしたね。

──自分の書いた詩の意図を理解する読み手がいるのは、喜ばしいことだとも思います。物書きのなかには、他者から理解されない気持ちを拗らせてしまう方もいますよね。

谷川 自分が書いた詩のねらいを汲み取ってくれる読者がいることは、すばらしいことだと思います。だけど、それを読者に求めても仕方がないとも感じていました。先ほど言ったように、あまり無理せずに、そこのバランスは取れていたんじゃないかと思う。僕はヘンに実際的なところがありました。詩を書き続けてきちんと生活しなきゃ、という気持ちを優先させていたところは最初からあったんですよ。だから、吉増剛造さんにもインタビューされていたけど(『公研』2021年3月号「私の生き方」)、僕は彼なんかとはまったく違う傾向の詩人なのだと思います。

──吉増さんはエモーショナルで、佇まいもいかにも詩人といった印象でした。若い頃からご交流があったのですか。

谷川 僕は何かの賞の審査員だったことがあって、吉増さんが初期に出された詩集を審査したことがありました。僕とは詩の書き方にしても傾向がまったく違うから、そんなに仲良くなることはなかったのだけども、その頃から知っています。ああいう一種の情熱みたいなものは、僕にはなかった。彼の詩人としての才能は、最初から認めていましたね。

 

 

肉声には活字とは違う力がある

──谷川さんはポエトリーリーディングを日本に根付かせた功績者の一人でもあります。

谷川 詩を活字媒体だけに留めておくことを好まなかったし、文字と同時に声も詩の武器だと思っていました。僕が詩を書き始めた頃は、アメリカあたりではポエトリーリーディングがとても盛んだった時期なんですね。僕が尊敬しているアメリカの詩人にゲーリー・スナイダーという人がいます。彼がポエトリーリーディングをやっている姿を実際に生で聞いたことがあるのだけど、肉声には活字とは違う力があることを実感したんですね。それまではリーディングをやりたいと意識したことはなかったんだけど、その時に詩にとっては声が大切なメディアであることを知りました。

──やはり一回きりのライブは活字や録音とは異なる迫力がありますね。

谷川 そうなんです。レコードなどで有名な詩人の朗読などを聞いたこともありましたが、「声の保存」みたいな感じでしたね。ゲーリー・スナイダーとは個人的にも付き合うようになって、彼の活動に接しているうちにリーディングという手法にある程度根拠が感じられました。リーディングは活字とは違う、一種の独立した作品だと考えるようになりました。僕は日本ではずいぶん早くから、そのことに気が付いていたと思います。

──一時期ねじめ正一さんなどと一緒に「詩のボクシング」をやられていましたね。詩人がリング上で詩を戦わせる、おもしろい試みでした。

谷川 僕の友だちで、アメリカのリーディングカルチャーに影響を受けた男が「詩のボクシング」を発想して、一種の勝負みたいなかたちでショーアップしたんです。チャンピオンをつくったりしてね。おもしろい試みだなと思って、僕もそれに乗ったんですね。3回ぐらい出場しました。声に出して詩を読むのだったら、聴衆に受けなきゃダメだという気持ちが強かったから、言い方などもずいぶん工夫してやりました。現代詩がエンターテインメントとして成り立った時期でした。

──言葉を戦わせるという点では、ラッパー同士のバトルにも似ていますね。

谷川 そう、そこにつながりますよね。本当はラップのようなスタイルはやりたかったんですけど、僕は詩を覚えないんですよ。だから本を持ってやるしかなくて、それじゃあラップにならないので、そちらは諦めちゃいましたけどね。

──自作の詩でもそらんじることはできないのですか?

谷川 できないですね。ごく少数の例外を除いては。

──それでは同じ詩をもう一度書こうとしても、違うものになってしまうのでしょうか?

谷川 なっちゃいますね。

 

 

今の戦争を書く詩の言葉が見つからない

──国語の時間に、教科書に載っていた谷川さんの詩を朗読した記憶があります。日本の国語教育について何かご提言はございますか?

谷川 今はもう関心がないですね。僕は国語教科書のあり方にすごく疑問があって、一時期同世代の友だちたちと一緒に教科書を検討したことがあります。結局その討論を通じて、教科書というものは信頼できないなと考えるようになりました。今でも出版社から国語の教科書がいっぱい送られてきます。僕の作品が載っていたりしますからね。けれども、教科書を読むよりも人と付き合って話をしているほうがずっと楽だし、自分にとっては生き生きとしていておもしろい。だから、教科書から何か影響を受けたという感じが全然していません。教科書は縁が遠いという印象のままずっときていますね。

──少年時代は戦争中でしたが、戦争についてはどのように見ていらっしゃいましたか?

谷川 戦争というものには関心がなかったですね。新聞などで「日本軍が勝った」という報道に接すると、単純に喜ぶような子どもでした。戦争について考えるようになったのは、だいぶ後になってからです。

 いま起きている戦争についても何らかの意見を持つことは、むずかしいと感じています。政治においてはいろいろな立場の人がいて、それぞれ考え方を述べています。ジャーナリズムは、こちらが良くてあちらは悪いみたいに単純に書いちゃいますよね。そういうのには、全然ついていけないんです。

 どんな事件であっても、それが起きた動機や細かな心理にできるだけ目を注ぎたいという気持ちはあるのだけど、実際にはそれはすごく難しいんですよね。それこそフェイクニュースなんてものもあるし、情報を収集するだけで一苦労になってしまう。

 だから、今のウクライナとロシアの戦争について詩を書きたいと思っても、どう書いていいのかわからないという感じが一番強いですね。どちらかを立てて、どちらかを断罪してしまうのだったら簡単です。けれども自分にとっては、どちらの側に立つのかどうかよりも、時代の動きのなかで言葉がどういう役割を果たすのかということが一番大きな問題です。今も戦争が続いていますが、それを言葉でどう伝えればいいのかわからないでいます。

 僕は時事的な風刺詩を一週間に一編ずつ書いていたことがあって、『落首九十九』という本にしたことがあります。良い悪いは別にして、当時は起きた事件のなかに、詩になるネタを見出すことができました。それが今は、詩になるネタがないと感じてしまって、どう書いていいのかわからないんですよ。これはやはり社会構造の複雑化にも関係があるのだと思います。だからいま週刊誌から「風刺詩を書いてほしい」と依頼されても、たぶん書けないですね。

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