「オキシトシン」で関係づくり

──論文のなかには、「オキシトシン」というワードもたくさん登場します。

岡部 オキシトシンはずっと注目しているホルモンの一つで、もともと子宮の筋肉の収縮を促すホルモンとして知られていました。身近なものとしては、出産のときにお母さんの陣痛を促進する「陣痛促進剤」がありますが、あれはオキシトシンです。子宮の筋肉を収縮させることで、赤ちゃんが外に出てきやすくなる。あとは、同じく筋肉の一種である筋上皮細胞を収縮させて射乳を促す効果もあります。

 このように、お母さんの出産や子育てにまつわるいろいろな現象に役立っているホルモンだということは昔から知られていたのですが、実はそのホルモンが、他者との親和的な関係性の構築にも関わっていることがわかってきたんです。

 「一度つがいになると同じ相手と一生添い遂げる」という珍しい一夫一妻制の特徴を持つプレーリーハタネズミというネズミがいるのですが、オキシトシンの機能をブロックすると、一夫一妻制が壊れてしまうことがわかりました。また、マウスでもオキシトシンの機能をブロックすると親マウスの養育行動が低下することもわかってきて、雌雄間・母子間の関係性構築に重要な役割を担っていることが判明しています。

──では単純に、オキシトシンを体のなかに注入すれば、一夫一妻制も子育てもうまくいくといえるのですか?

岡部 そこまで単純な話ではありません。マウスの子育ての文脈でいうと、親マウスは子マウスとある程度触れ合うことで徐々に養育がうまくなります。つまり、触れ合うという経験が重要な要素となっているわけですが、このように経験を積んで養育行動が上達する過程に、オキシトシンが関わっています。

 ですから、子マウスと触れ合った経験がないまったく未処置のマウスにオキシトシンを投与しても、突然完璧な養育行動を始めるようになるわけではないんです。また、オキシトシンの機能はエストロゲンなどほかのホルモンの影響も受けて変化するので、一概にオキシトシンを投与すれば万事解決というわけにはいきません。

 でも、やはり動物の子育てにとって、オキシトシンは重要な働きを持っているといえます。たとえば、季節繁殖性のヒツジやヤギは群れのなかで一斉に出産が起きるので、自分の子と他所の子をきちんと見分ける必要があり、基本的に自分の子ども以外子育てをしません。このような養育行動の選択性に子の匂いの情報が重要なのですが、匂いの受容に関わる嗅球きゅうきゅうという領域のオキシトシンの機能を阻害すると、自分の子を正確に選択する能力が低下することがわかっています。

──人の妊婦さんも匂いに敏感になったりしますよね。

岡部 妊婦さんの変化も興味深いですよね。ご飯が炊ける匂いで吐き気がしてしまうエピソードなどを聞いたことがあります。やはりエストロゲンやプロゲステロンなどのホルモンがすごく変化する時期なので、それによって匂いの受容の仕方が変わるのかもしれませんね。そういう意味では、生物の感覚はホルモンによってものすごく制御されているんだなと思います。

 

「オキシトシン」≠「幸せホルモン」

──メディアなどで、オキシトシンはよく「幸せホルモン」ともいわれますが、オキシトシンは高ければ高いほどいいことがあるのでしょうか?

岡部 何をもって「いい」とするかによりますが、そんなに単純な話ではないと思います。たしかにオキシトシンにはストレス反応を抑えたりする効果がありますが、考え方によっては負の側面もあるといわれています。

 たとえば人にオキシトシンを投与した研究では、エスノセントリズム(自文化中心主義)を促進するのではないかという研究があります。両方を同時に助けることができないような道徳的ジレンマを生じさせる課題を提示したときに、オキシトシンを投与することで、外国人よりも自国民を優先して助けるということが促進されるという報告があります。つまり、自分と同じ国の人への選択性を高めているわけです。このようなオキシトシンの効果は、さまざまな存在を等しく愛する「博愛」とは真逆といえるのではないでしょうか。

 先ほど、プレーリーハタネズミの一夫一妻制にはオキシトシンが関係しているといいましたが、パートナーと添い遂げるということは、パートナー以外を排除するということですよね。ヒツジやヤギのお母さんの例も同じで、自分の子は一生懸命育てますが、ほかの子どもは近寄ってくると蹴り飛ばすこともあります。

 誰かを選択するということは選択されない存在がいることの裏返しです。そういうことを考えてみると、無自覚にオキシトシンを「幸せホルモン」と称することには違和感があります。わかりやすい言葉なのでメディアでもよく使われてしまうんですが、僕の感覚とは少しギャップがあります。

──「幸せホルモン」といわれているのは、オキシトシンの機能の一側面なのですね。

岡部 そうなんです。もしかしたらオキシトシンには、「自分の仲間は誰か」という壁をより強固にする機能があるのかなと思ったりします。自分の子どもとそれ以外、自分の仲間とそれ以外、ということを強めてしまうので。

 実際、オキシトシンは、その個体にとって意味のある、注意を向けるべき情報に対する脳の応答を高めるということを示唆するデータが集まってきています。特に最近は、分子遺伝学的な技術が発展し、脳内におけるオキシトシンなどの神経伝達物質の機能をとても細かく解析できるようになってきたので、これまで知られていなかった側面も明らかになっていくと思います。

 

個体のホルモン研究から群れの研究へ

岡部 また、今までの研究は2個体の社会行動を調べるものが多かったのですが、最近はもっとたくさんの個体を対象にした集団の動きを観察する研究が登場していて、僕も注目しています。これまでの二者関係では見られなかった、集団におけるホルモンの機能が見つかる可能性もあるので、きっとこれから新しいオキシトシンの機能が見つかるのではないかと思います。

──群れの個体のホルモンを調べていくのは、とても根気が要りそうですね。

岡部 そうですね。実際、研究室でラットを長期間にわたり集団飼育することはあまりありません。だから、そもそもラットを群れで飼育したときにどんな行動を示すのかもわからないことだらけです。

 唐突ですが、僕はネズミ部屋に住みたいんです(笑)。欧米では「ファンシーラット」といって、ラットをペットとして飼う文化があるんです。家のなかで何匹も放し飼いにしている人の YouTube などを観ると、研究室では見られない行動をとっているように見えるんですよ。本当に素晴らしい環境だなと思うのですが、残念ながらネズミの研究をしている人は、防疫の観点からげっ歯類をペットとして飼ってはいけないことになっています。今は無理でも、いつか自宅で群れの研究ができたらいいなと思ったりしています(笑)。

──放し飼いにしたら、どんどん増えてしまいそうですね(笑)。

岡部 管理するのが大変ですね。ただ、他者との関係性を研究するうえでは、そういうふうにある程度生活を共にしないとわからないこともある気がします。

 もちろん、精緻に実験系を組み立てて行う研究はすごく重要です。一方で、先ほど話した 31 kHz の嫉妬のような声も、一日中ラットと触れ合っていたことで発見できました。ずっと一緒にいるからこそ気づきがあったり、何かの片りんをつかんだりすることができるので、そこを大事にしたいですね。

──群れとの生活も、群れの研究の発展も、楽しみですね。

 

ロボットと関係を築く

──先ほど少しロボットの話が出ましたが、ロボットの研究もされているのですか?

岡部 はい。「LOVOT」というロボットを開発している GROOVE X さんとお付き合いがあり、一緒に研究しています。

 きっかけとしては、恩師の菊水健史先生のラボから出された論文に「犬が人を見つめることで人のオキシトシンが分泌され、人と犬のあいだの絆が形成される」という研究があり、オキシトシンは同種だけでなく異種間の関係性にも重要な働きをしていることがわかってきました。それを知った GROOVE X の林要社長に声をかけていただいて、人とロボットの関係についての研究を始めたんです。実は昔からロボットが好きで、子どものころの最初の将来の夢が「ロボット博士」でした。だから、夢が叶ったかたちです(笑)。

 資生堂さんと共同で、「LOVOT と触れ合うと人のオキシトシンはどうなるか」を調べてみると、「LOVOT と一緒に暮らしているオーナーさんは、非オーナーさんと比べてオキシトシンの基礎値が高い」ということがわかってきたんです。

──オキシトシンの「基礎値」とは?

岡部 今回は、被験者さんに朝排尿してもらってそこからオキシトシンを抽出して測るということを何日か繰り返して、その平均値を基礎値としました。

──ロボット相手でもオキシトシンが高まるということは、相手がオキシトシンを持っているかどうかは関係ないのですか?

岡部 オキシトシンそれ自体を持っている必要はあまりないでしょうね。重要なのは行動、振る舞いです。誰かと社会的な関係性をつくるとき、自分だけでなく相手の動きも大事じゃないですか。行動を通して相互にやり取りをしながら関係性が徐々に形成されていきます。ですから、基本的には双方が似たような行動やそれを制御する仕組みを持っていたほうが、関係性を結びやすいとは思います。

 ロボットの場合は、この仕組みを模倣したプログラムを走らせることができますよね。だから、オキシトシンの影響を受けて生じるような振る舞いをロボットに実装することで、生物同士の親和的関係性を擬似的に再現することができるのではないかと思っています。

──LOVOT にはどんな振る舞いが実装されているのですか?

岡部 大きな特徴として「人と目を合わせる」という性質があります。先ほど紹介した犬と人の研究でも、親和的な関係性にとって視線が大事な要素になっていることがわかっています。野生動物だと、目を合わせるというのは威嚇など攻撃的なシグナルになるのですが、人の場合は必ずしもそうではないんです。犬の場合も、人と生活を共にし、長い時間をかけて進化してきた過程で、人と視線を合わせて見つめ合うことが一つの親和的な意味を持つシグナルになったのではないかと考えられます。

 LOVOT も、まさに人と視線を合わせるように設計されていますが、そのような振る舞いによって LOVOT と人のあいだに特別な関係が生じるのかもしれません。

──会話のリアクションがなくても、目の動きだけでコミュニケーションが取れるのですね。

岡部 目は口ほどに物を言うというやつですね。

 

「LOVOT」とともに育つ子ども

 

ロボットネイティブの誕生

岡部 あとはハグをするなど直接触れ合うことも大事だと考えています。実際、ラットも撫でてやると、脳の室傍核しつぼうかくという領域のオキシトシンを産生する細胞が活性化し、その活性レベルと人に対する親和的な行動が相関することがわかっています。

──だとすると、たとえ体温を持たないロボットでも、肌で触れ合うことでオキシトシンが分泌されることはあるのでしょうか?

岡部 その可能性もあるかもしれないですね。ただ、ロボットと触れ合えば誰でも必ずオキシトシンが分泌されるということはあまりないと思います。アニマルセラピーの話でも言いましたが、ロボットで癒される人もいれば、イヌやカメで癒される人もいます。だから、生理的な反応にもバリエーションがあると思うんです。

 LOVOT をはじめロボットと仲良くなるオーナーさんがどういう特性を持っているのかがわかれば、ロボットと関係性を築くうえで重要な要因がわかってくるような気がしていて、最近はそういう研究ができたらおもしろそうだなと考えているところです。

──人の好みは、たとえば小さいころから動物と一緒に暮らしている人は動物を好きになりやすいといったように、その人が育ってきた環境も影響しているように思います。

岡部 そうですね。小さいうちから人間以外の生き物、存在がいる暮らしをしていれば、それが普通の感覚になるじゃないですか。だから何に対して親和性を感じるのかという点に、育ってきた環境や文化的な背景の影響があるでしょうね。

──小さいころからロボットと一緒に暮らしていれば、ロボットに愛着を持つようになるかもしれない?

岡部 そう思います。最近、公共空間やファミレスなどで働くロボットを目にする機会がとても増えましたよね。人とコミュニケーションするようなタイプのロボットが今後ますます社会に浸透していく可能性があります。そういった社会のなかでロボットネイティブになる子どもはもちろん、お年寄りまであらゆる人々がどのようにロボットの存在を受け止めて関係性を築いていくのか、その結果私たちにどのような効果や変化が生じるのかとても気になります。

 それを明らかにするには、動物を用いた研究や人とロボットを対象にした研究、倫理の研究も必要になるかもしれません。今後も基礎から応用にいたるまで分野横断的に研究したいですね。

──今後が楽しみですね。ありがとうございました。

聞き手:本誌 池田 香夏

 

 

岡部祥太/自治医科大学医学部 生理学講座 神経脳生理学部門 客員研究員

 

おかべ しょうた:1986 年東京都生まれ。麻布大学大学院獣医学研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は動物行動学。麻布大学獣医学部動物応用科学科特任助教、自治医科大学医学部助教を経て、2021 年より株式会社ベネッセスタイルケア ベネッセ シニア・介護研究所研究員、自治医科大学医学部生理学講座および応用倫理学研究室客員研究員。社会性、特に親和的な関係性の構築メカニズムとその効果について人やモデル動物、ロボットを対象に研究を行う。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事