『公研』2020年3月号「対話」

船山 信次・日本薬科大学特任教授×垂水 雄二・科学ジャーナリスト、翻訳家

なぜ自然界には多種多様な毒が存在しているのだろうか? また、人類は毒とどのように付き合ってきたのだろうか。 新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されるなか、毒の側から世界を見る。

人類と未知のウイルス

垂水 今日は毒と薬をテーマにあれこれとお話しをしていきたいと思います。私はたまたま『毒々生物の奇妙な進化』(著者クリスティー・ウィルコックス、ハワイ大学博士研究員)という本を翻訳しましたが、毒を専門にしているわけではなくて、まったくの素人です。船山先生は日本における毒研究の第一人者ですから、私が毒について先生にお伺いしていくかたちの「対話」になろうかと思います。ただ、進化論には個人的に関心を持ってきましたから、毒をめぐる進化的現象といった切り口から考えを述べることができるのではないかと思っています。

船山 私は進化には疎いので、お話をお伺いできるのを楽しみにしています。

垂水 いま新型コロナウイルスが猛威を振るっていて、世界中に感染が拡大しています。まずはこの話題から始め たいと思います。

船山 ウイルスも人体に害をもたらす毒と言えます。ウイルス(virus)の語源には、「毒液」という意味もあるよ うですね。

垂水 ロベルト・コッホ(1843─1910年)が活躍した頃、ウイルスは最初「ろ過性病原体(filterable virus)」と呼ばれていました。すべての病気は細菌が原因だと考えられていた時代で、病原体である細菌は、細菌ろ過器のろ紙に引っかかるはずなのに、通り抜ける病原体が見つかったのでこう呼ばれたのです。やがて、このろ過性という部分が抜け落ちて、単にvirus(病原体)、つまりウイルスと呼ばれるようになったのです。

船山 細菌ろ過器を通過する病原体であると。ウイルスは、生物と無生物の端境にいる存在ですよね。

垂水 結晶化できますからモノでもありますね。近年続々と出現している新しい病原ウイルスは「エマージェントウィルス」と総称されています。1977年に天然痘が撲滅した頃には、人類はあらゆる病気を治すことができる、これからの医学はバラ色だといった幻想が満ち溢れていました。ところが、その前後から突然新しいウイルス病が出てき始めたのです。ラッサ熱、西ナイル熱、エボラ出血熱、そしてエイズなどですが、どれも野生動物のウイルスに由来しています。野生動物たちはそれらの病原体と折り合いをつけているので、悲劇的な事態にはなっていないわけです。彼らと人間は基本的には接触することがなかったのですが、人間は彼らの棲む地域にまで開発をどんどん進めたために、両者が出会うようになった。今回の新型コロナウイルスも野生動物(コウモリあるいはセンザンコウ)が本来の宿主ではないかと推測されています。

船山 コウモリを食べたヘビを人間が食べたからではないか、という話もありますね。

垂水 だから、みだりに野生動物に近づいたり、食べたりした罰でもある、という言い方もできる。エイズもチンパンジーや猿がルーツではないかと言われています。現代では交通の便が発達して、人間が世界中を移動するようになりました。今日東京で見られた病気が明日にはシンガポールで、その翌日にはカナダにといったことは、特に珍しくありません。

船山 昔なら考えられないことです。今では新型ウイルスがあっと言う間に世界中を駆け回ることになるから、危 険が増していますね。特に飛行機内やクルーズ船は密室ですから、ウイルスを持っている人がそこにいればバラまいてしまうことになる。進化の長い歴史を振り返って見ると、ウイルスによって滅ぼされた種もいたのでしょうか。

垂水 病原体と感染者との間には、一種の共存関係が成り立っています。相手を死滅させてしまえば、ウイルス自 身も生き延びることができなくなりますから、ある程度のところで流行は止まります。つまり、病原体と本来の保因者であった野生動物の間には、ある種の均衡が成立していたわけです。そこに人間が侵入していくと、均衡が破れてウイルスが広がっていくことになります。現代はこれだけグローバル化が進展していますから、人類が暮らしてこなかった領域に入っていき、野生動物に接したり食べたりすることが増えて行く限りは、未知のウイルスに襲われるリスクは常に想定しなければならないでしょうね。

あらゆる自然の中から薬の源を探す

垂水 船山先生は、毒にご関心を持たれるきっかけがあったのですか?

船山信二氏

船山 世間的には毒の研究ばかりやってきたと思われていますが、薬の研究者が私の本来の姿なんです。しかし、もともとは園芸植物だけに強い興味がありました。祖父母は薬草が好きで、山形市内の自宅の庭を薬草園として一般 に開放していたんです。中、高校生時代に自宅のある仙台 から山形市の祖父母のところに遊びに行くと、お土産として薬草の苗や球根などを持たせてくれたことがその後、薬 用植物への興味につながったのかもしれません。子どもの頃から植物が好きで、植物を扱ってずっと仕事ができたらいいなと思っていました。実は薬学部に進学したのも別に薬に興味があったわけではなくて、単に「薬学に進学すれば植物を相手に仕事ができるかもしれない」という不純な動機でした。

垂水 植物について学ぶのであれば、普通は農学部か理学部に進学することを考えるのではないですか。

船山 大学受験を考えていた1960年代後半に、東北大学の医学部薬学科(現・薬学部)にて植物のヒナタイノ コズチの根から昆虫変態ホルモンを大量に採取することに成功したという記事が地元紙に載ったんです。昆虫変態ホルモンは、1939年ノーベル化学賞を受賞したドイツのアドルフ・ブーテナントの研究が有名ですが、このホルモンはごく微量しか採れないんです。ブーテナントは、日本から大量の蚕を輸入して、そこから昆虫変態ホルモンのエクジステロンを採りましたが、あれはごく微量だったんですね。けれども、ヒナタイノコズチからはザックザックと採れる。農学部や理学部での植物とのつき合い方にはピンとこなかったのですが、この記事を読んで、薬学領域での植物とのつき合い方が面白そうだと思って薬学に進学しようと考えたんです。

垂水 私が京都大学理学部の動物学教室にいた時に習った先生の一人に石崎宏矩さんがいました。石崎先生も当時 昆虫の変態ホルモン(前胸腺刺激ホルモン)の研究をされていたのですが、蚕の脳からそのホルモンを採る。一匹の 蚕から採れるのは微量ですから毎日、一千匹あまりのさなぎの頭を切るというたいへんな作業をされていました。なかなか成果が出なくて苦労しておられましたが、その後に見事な成果を上げられて、名古屋大学の教授になられました。

船山 それはたいへんな仕事だったでしょうね。

垂水 先生の場合、最初から毒や薬に興味があったわけではなくて、まずは植物への関心が先にあったのですね。偉大な業績を残した研究者でも、最初はやるつもりはなかったのに、教授から与えられたテーマに渋々と取り組んでいたという人はたくさんいますよね。

船山 私は薬にははじめは全然興味がなかったんですが、 薬学に入学すると新たに植物の有用成分や有毒成分を明らかにする「天然物化学」にも興味が湧いてくるようになったんです。そして、化学構造を明らかにする機器分析法にも大いに興味を持つようになりました。さらに植物成分よりも生理活性がはっきりとしている抗生物質にも興味を持つようになりました。生理活性とはわずかな量で生き物の生理や行動に何らかの特有な作用を示して身体の働きを調節することで、そうした役割を持った物質を「生理活性物質」と呼んでいるんです。抗生物質は、微生物がつくる化学物質ですが、生理活性がとんでもなくはっきりしているものが多いんです。それで、病原菌などの微生物の成長を阻止することができる。今度はそこにひかれましてね。

 学位を取ってから、シカゴのイリノイ大学に留学するまでの半年を当時の抗生物質研究のメッカの一つだった東北 大学医学部細菌学教室に居候することになりました。これをきっかけに3年間のシカゴ留学後、東京都港区の北里研 究所(当時)に奉職することになりました。ところが、私を採用してくれた北里研究所の梅澤巌先生が若くして亡くなられてしまったのです。救ってくれたのが2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村先生でした。大村先生のご厚志で、所属が大村智先生の主宰するグループになりました。こうして偶然に大村先生の弟子となって、そのもとで抗生物質の研究をすることになったんです。

垂水 あらゆる自然の中から薬の源を探すという大村先生の哲学は、船山先生の研究にも通ずるところがありますね。

船山 大村先生は、「微生物は偉大だ」とよくおっしゃっておられました。ノーベル賞を受賞された際にも「私よりも微生物にノーベル賞をあげたいぐらい」だとおっしゃっていましたよね。微生物はほんとうによく働きます。大村先生のもとではこのことを大いに学びました。

垂水 微生物がつくる抗生物質は生体防御の原点ですよね。細菌にとっては相手を殺さなければ、自分が死ぬこと になる。一方、植物のほうは葉っぱが死んでも生き残ることができる。そういう意味では、微生物はオール・オア・ナッシングの防御をするしかないのです。

船山 だから微生物は頻繁に変異しているんです。

垂水 大村先生による放線菌から線虫を殺す「エバーメ クチン」の発見は偶然だったそうですね。

船山 実は静岡にゴルフに行った帰りに採取した土かららしいんですよ(笑)。僕らはどこに行くにも「パケ」と呼んでいる採集袋を必ず持っていました。覚せい剤なんかが入っていたと報道されたりして、ちょっとやばいイメージのあるあの袋です。地面の表面にはバクテリアやカビが多いんですが、草を引っこ抜くと地表から5〜10センチ下の土のあたりには、放線菌がたくさん存在しています。

垂水 放線菌は宝の山ですね。

船山 小指の先くらいの量を持ってくると、そこから単離(混合物から、ある目的物を純粋に取り出すこと)される放線菌の種類は40種類くらいあると言われます。40個ではありませんよ。40種。エバーメクチンもそのような作業を出発点として見つかったんですね。

 私は7年間で10系統27種類の新しい抗生物質を見つけて、化学構造を決めて名前を付けました。これからのことですから、実用されるかどうかはわかりません。私は7年間しかやりませんでしたが、それでもそれだけ見つかりましたからね。放線菌の中には本当にいろいろなものがあるんですね。

垂水 すごい世界ですね。動物だったら40種類なんてあり得ない。

船山 抗生物質から新しい医薬品をつくるのに有効だと思った一つの理由は、活性成分を大量に得ることが楽なん ですよ。植物の場合は、何か有用な物質を見つけてもそれを大量に採るのはたいへんです。モルヒネのように原料のケシから大量に得られるものであればいいのですが、そんなものは滅多にありません。それに成分の化学構造が複雑だったら化学合成がやっかいで実用化することはなかなかできないんです。抗生物質の場合、放線菌のコロニーのひとかけらをフラスコに入れて培養したら3、4日でフラスコいっぱいになります。その培養物をジャーに入れるとまた3、4日でジャーいっぱいになる。さらにタンクに移す と、また3、4日でタンクいっぱいになっちゃうんです。ですから、抗生物質は実用化できるくらいの量を生産することも実にたやすいんです。

垂水 まさに生物工学の走りですね。

船山 最初は植物だけに関心があったのですが、薬学に入ると抗生物質を含む薬も好きになっていきました。その 間も植物への関心は持ち続けていて、植物の毒に関してはとくに文化的な側面から興味を持つようになりました。ある植物が昔から毒と言われてきたが、「いつどのようなかたちでわが国に導入されたのか」とか「その植物が人類に与えた影響」などへの興味です。薬用植物研究は私のこうした興味にドンピシャでした。それで毒にものめり込んでいったのです。だから私は、薬学をひねって利用しちゃったところがあるかもしれません。

宗教の布教に薬と医療が重要な役割を 果たした?

垂水 船山先生には『毒と薬の世界史』や『毒と薬の文化史』などのご著作もあって、歴史的な観点からも毒と薬を考えられていますね。中国でも日本でも、薬学はもともと植物、動物、鉱物などを対象にしたいわゆる博物学として始まりますよね。医療という観点からすれば、医学よりも薬学のほうがずっと進んでいたのではないかと私は思っ ているんです。

船山 薬学イコール医学だったんですよね。当初の医学は薬として効き目のある何かを見つけて、それを使うこと と直結していました。

垂水 西洋でも東洋でも近代医学の成立以前にやっていた医療のほとんどは、伝統薬を使う以外はまじないみたいなものですよね。医学的療法としては、温熱とか瀉血とか浣腸するくらいしかなかった。

船山 薬草は当然昔から薬効があるので重宝されてきて、 その知識の蓄積もありました。それを古くは「本草学」と言いました。この研究をしている人がイコール当時の医師だったわけです。そうした時代が長くあったので、いわゆる医学と薬学は分けられていなかったんですね。ただ、中にはとんでもないものが薬とされてきたものも結構ありました。今は成分を調べることで、なぜ効くのかその背景が わかりますが、当時はそこまではわからなかった。

垂水 理屈がよくわかっていない。経験則だけですからね。

船山 権力者にもまじない医療に頼っていたところがあって、そちらのほうが長く本流だったのかもしれませんね。 その一方で、民間でも薬は使われていました。近代医学が確立された初めの頃に心不全などに使用されてきた治療薬ジギタリスは、オオバコ科ジギタリス属の植物からつくられたものですが、これなどはまさに民間薬から出てきたものです。

垂水 薬が歴史に大きく影響を与えることもありますよね。エビデンスをきちんと追い掛けているわけではありませんが、私は宗教の布教にあたっては医学ないし薬学は相当大きな役割を果たしてきたのではないかと思っているんです。例えば、近世のキリスト教を見ても、宣教師の多くが医者として未開の地に赴いている。現代の代表的な例がドイツのシュバイツァー博士ですね。未開地に入るときには、医療知識を持った医者として現地の患者を治療する。これは文字通り奇蹟ですよね。治療の効果があったからこそ宗教も信じるわけです。

 南米では、西洋人が持ち込んだ天然痘やペストなどの病気によって多くの現地人を死なせてしまうことになりました。そこに西洋の医者が入ってきて、「これを飲んだら治る」という触れ込みで薬を投与して、実際に治ったとしたら圧倒的な説得力を持ったでしょうね。

船山 ちょっとしたことで治った例も多かったのでしょうね。

垂水 8世紀の奈良時代に鑑真などが日本で仏教を普及させたときもおそらく新しい薬や治療体系を持って入った から、信仰が広まったのではないのでしょうか。

船山 十分あり得る話ですよね。737年(天平9年)には、天然痘とされる疫病が大流行したと言われています。 鑑真が奈良の都に入ってきたのはその後の754年とされていて、彼らが奈良に辿り着いたときには大量の薬を持ってきたらしいです。鑑真は目が見えなかったものの、鼻で薬の種類を嗅ぎ分けたそうです。まったく香りがない薬もありますから、本当かなとは思いますけどね(笑)。

 東大寺の正倉院には五弦の琵琶、螺鈿細工の鏡をはじめとして様々な宝物が収められていますが、「正倉院薬物」 とも呼ばれている薬も入っています。そのリスト6 0種類をまとめたのが『種々薬帳』です。そのうちかなりのものが鑑真によってもたらされたのではないかと考えられます。

垂水 宗教に入信することになる最大のきっかけは病気ですよね。手かざしのような怪しげなものであっても、それで治れば神様のおかげだと信じたくもなる。それで信仰に入るわけですから、最新の医学的なノウハウを持った医者が布教者であれば、それは強い。

薬学者が解き明かす古代の毒の謎

船山 医療は政治と結びつくこともあります。ちょうど同じ奈良時代には、玄昉という僧が下道真備(後の吉備真 備)とともに時の権力者である橘諸兄の下で、大きな力を持ったことがありました。彼は看護僧だったらしく、聖武天皇の母親である藤原宮子の病を即座に治したという伝説もあります。

垂水 当時はどんな薬があったのでしょうか。解熱剤のようなものがあれば、相当効果があったのではないかと思 いますね。

船山 正倉院に収められていたもので多いものの例は、 薬用人参、大黄、甘草ですね。大黄は下剤に使いますが、 これは明らかな効果を出しただろうと思います。当初は約221キログラム収納され、今でも3 0キログラム以上あるらしいです。

垂水 溜まっている悪いモノを出して症状をよくするというのは、治療法としては最も基本的なものですね。

船山 面白いものとしては、蔗糖もあるんですよ。いわゆるお砂糖です。

垂水 砂糖は体力回復にいい。

船山 口から入れる点滴みたいなものですよね。あっと言う間になくなったみたいで、平安時代に入ってまもなくにはもうなかった。だから、十二単のお姫様が舐めちゃったのかななんて思っているんですけどね。

 先にお話しした『種々薬帳』の最後には、冶葛(やかつ) という生薬が載っていますが、これは長い間謎の生薬だったんです。ところが、2 0世紀も終わりに近づいた頃に千葉大学薬学部の先生たちが調べたところゲルセミウム・エレガンスという植物の根っこだと突き止められた。これは毒草なんですよ。冶葛は7キログラムぐらい収められたと記載されていますが、今残っているのは900グラム程度です。

垂水 使われたということですね。

船山 何に使ったんでしょうね。これを明らかにするのは難しいでしょうが、「薬学者が解き明かす古代の毒の謎」 とでもいう一冊の本になりそうですね(笑)。奈良時代に天然痘が流行ったときには、天平年間に政権を握っていた藤原不比等の四人の息子たちが短期間に四人とも死んでしまうんです。ところが時の聖武天皇やその次に政権を獲る橘諸兄や光明皇后、それからその娘でまもなく立太子する 阿倍内親王、政権のアドバイザーとなる僧玄昉や下道真備は誰も天然痘になったという記録もないんです。これは不思議だなと。怪しいなとも思っています。

垂水 薬があったのか、遺伝的に強かったのか。

船山 藤原四兄弟が四人ともピンポイントで死んでしまうのが、解せないんですよね。

垂水 なるほど、毒を盛られた可能性があると。

船山 天然痘の死亡率は大きく見ても3割ぐらいなので、 4人とも亡くなる可能性は1%にもならないですから、それはちょっとあり得ないかなと。一人ぐらいは天然痘で亡 くなったのかもしれないですが、他の連中がピンピンしていて四兄弟の次の政権をとっているというのは、あまりにピンポイントすぎるなと感じています。疫病の大流行をいいチャンスだと見て誰かが中心となって策謀をめぐらせたのではないか、という気がすごくしてしょうがないんですよ。そうすればいろいろな話の辻褄も合うんですよね。

垂水 当時は解剖も検死もされませんからね。

船山 何もわからない。当時から「鴆毒(ちんどく)」 という謎の毒もあって、『養老律令』(8世紀)や『太平記』 (1 4世紀)などにも記されています。私はこれは亜砒酸じゃないかな、と思っています。もちろん直接立証することはできませんが…。

垂水 亜砒酸は推理小説にもよく出てきますね。ネズミ駆除用のものを人間に使う。

船山 色も臭いも味もないから暗殺にとても向いていた んですね。今は鋭敏な検出法があるのですぐにバレます。 もちろん決して暗殺を薦めているわけじゃないですよ(笑)。私はおそらくこの亜砒酸は、日本で相当古くから毒殺に使われたんじゃないかなと思います。

垂水 昔は毒を検出するために、偉い人の食事には銀の食器が使われていましたよね。

船山 砒素を含む鉱物には、硫黄が入っているんです。 そこで鉱物に火を点けると亜砒酸が昇華して、同時にイオ ウ酸化物が生成します。イオウ酸化物は銀に触れるとすぐに銀が黒くなります。得られた亜砒酸にはイオウ酸化物が混じっていることが多いので、毒が盛られていることを事前に見破ることができたわけです。

薬毒同源

垂水 毒と薬は、一見すると真逆の存在であるように思えますが、基本的には両者は表裏一体の関係にありますよ ね。薬毒同源の考え方です。要するに、生理的メカニズムから見たときにある物質がどこかの代謝プロセスを阻害したり、それに関わっている物質を壊したりすることがある。ある生物にとってはそれが大きなダメージになって、死ぬこともある。この生物にとっては、この物質はまさに毒です。ところが、同じ物質も別の生物の生存には有利に働くこともあります。プラスの効果を持っているこのケースの場合は、同じ物質が薬になっている。ですから、同じ物質が毒にも薬になっているわけです。

オクトリカブト

船山 私たちは毒と呼んでいますが、これはヒトから見た毒なんですよね。他の生物から見たら、なんということもないものもあります。トリカブトは全草に神経の伝導を阻害する猛毒物質を含む植物として知られていますが、根っこの部分は生薬にもなります。塊根(子根)を乾燥させた生薬は附子(ぶし)と呼ばれていて漢方に使われています。しかし、これにはタバコシバンムシという虫がよく付くんです。塊根のところにポコポコと穴を空けて棲むんですが、この虫にとってトリカブトは食糧兼住宅ですね。彼らにはトリカブトの毒はまったく平気なんです。

 その逆もあって、例えば殺虫剤は虫たちにとっては猛毒ですが、私たちにとってはそれほどではない。家庭菜園で使うような農薬も我々にとっては比較的安全ですが、野菜に付く虫には猛毒になる。この現象を「選択毒性」と言っ ています。

垂水 毒性云々は、使われ方や量が問題になる。

船山 中世の医師であり錬金術師でもあったパラケルススは、「この世の中に薬はない。すべてのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ」と言っています。量を少なくすれば、薬になる毒もあると。確かにその通りです。 もちろん、量さえ少なければ、すべての毒が薬になるというわけではないんですけどね。

垂水 水だって何十リットルも飲めば死に至りますからね。

船山 食塩もそうですよね。インドで食塩の大食い大会をやって、600グラム以上食べた子どもが亡くなった話 があるんですよ。

垂水 死にますよね。過ぎたるは及ばざるが如し。結局、薬自体がまさにそうで、医師に言われた通りの適量を守ることが大事ですね。

船山 そうです。用法、用量をしっかりと守らなきゃいけないわけです。だから薬剤師が行う服薬指導は、とても重要です。あれは外科手術の前に外科医が説明するのと同じですよ。使い方を間違ったら命に関わる場合だってありますからね。

垂水 適量は、どのように決まってくるのでしょうか?  臨床実験の積み重ねによって決まってくるのか、それとも理論的な裏付けがなされているのか。毒の場合は、実験的には毒性の目安として、LD50という毒の強さを示す値がありますよね。投与された動物の半分が死ぬことになるなんていう目安ですね。

船山 ヒトに対してそんな実験はできませんからね(笑)。適量というのは、実際にはなかなか理論に結びつかないところがありましてね。まずは動物実験を行って綿密に調べる。そこで効果があれば、ヒトでやるわけです。その時は、動物実験に使った時よりはるかに少ない量で効果が出るかどうか見ていき、適量を決めていきます。

薬をめぐる日本人の誤解

垂水雄二氏

垂水 今はペットも病院通いするご時世ですが、そもそもペットの薬の適量を獣医さんはどのように決めているんですかね? これも難しいだろうなと思いますね。同じ犬でも犬種や雌雄、年齢によって大きさがずいぶん違いますからね。どうもヒトの治療法を基準にしていて、薬もほとんど人と同じようなものが使われているようですが。

船山 そうなんですよ。獣医領域だけに使われる薬もありますが、人間の薬をかなり流用していると言っていいと思います。ある程度の治療方針はできているとは思いますから、間違いを起こさない限りそれほどの危険はないとは思います。

 薬は量も大事ですが、各個人によって効き方が違うということも重要です。これはお酒に強い人、弱い人がいるのと似たところがあります。

垂水 アルコールの場合は、アルデヒド脱水素酵素がない人は飲めないわけです。

船山 薬だって個々人でずいぶん効き方が違うはずです。

垂水 家内は高脂血症に悩まされていて、医師から薬の服用を勧められるのですが、どの薬を飲んでも必ず筋肉が痛くなる。普通の人はそれで効くのでしょうが、やはり体質的に合わないところがある。薬に対して多くの人が抱いている迷信は、薬は100%効くと思っていることでしょう。けれども、これは間違いですよね。実際、効能試験でも100%であることは絶対にあり得ない。必ず数パーセ ントは、効かない人が出てくる。

船山 その通りです。それから、副作用の問題ですよね。 100%副作用が出ないということはあり得なくて、ここにもずいぶん差が出てきます。やはり服薬指導は、非常に重要だと思うんです。副作用が出ることを考慮しながら、服薬を続けるかどうかを判断しなければなりませんが、一般に日本人は、薬は飲めば必ず良い方向に向かうと思っているところに問題があります。

垂水 薬を飲んで効かないときは、医師を信用しない(笑)。 そこで医者を替える人が多いですよね。「あの先生に薬を出してもらっているけど、治らないからこちらの先生にする」と。

船山 そもそも薬は製薬会社がつくっていて、医師がつくっているわけではないですよね。日本人はどうも漢方医 学の流れがずっとあって、もう身体のなかに染み込んでしまっていますよね。薬を山ほど処方されると喜んだりする傾向もありますが、今この状況を心配している薬剤師の先生方はこれをいかに工夫して減らせるかを研究しています。 日本の処方薬の多さは、ちょっと異常ですよ。薬の種類はせいぜい2、3までにしないと、何か悪いことが起きたときにも、どの薬が原因かまったくわからなくなります。

垂水 日本の場合は、未だにワクチン接種に反対する人たちがいるのも困ったことですね。彼らは「副作用がある」 と主張するわけですが、ワクチン接種をしないことによる 弊害のほうがはるかに大きいのです。ワクチンを接種しても治らない人もいるし、副作用で悪くなる人も必ず出てき ます。けれども、みんながワクチンをしなければ結果的にもっとひどいことになってしまう。ワクチンを接種するこ とで、流行を抑えられて全体として見れば抑止に非常に役立っているにも関わらず、一人でも副作用が出たら「ワクチンを使うべきではない」と。

船山 これは実に悩ましい問題ですね。この問題を考えるときには天然痘を思い出すのがいいのではないでしょうか。天然痘はとても恐ろしい病気でしたが、人類の知恵はこれを抑え込むことに成功しました。ワクチンを接種することで、撲滅したわけですね。いま大問題になっている新型のコロナウイルスにしても、ワクチンができれば抑え込むことができる。もちろんワクチンができるまでにはまだ時間が掛かります。

垂水 早くても2年くらいはかかるのでしょうね。

船山 その間にどれだけ感染を拡大させないかを必死で考えることですね。ワクチン接種によって悪いことが起き てしまったという事例に対しては、ものすごく同情します。 私の親戚にもワクチン接種によって亡くなってしまった方がいます。なんとかできなかったのだろうかと考えることも一方ではあります。しかし、同時に全体を見たときにはやはり役に立っているんですね。ここをどう判断するのかは、それも含めて人類の知恵です。

垂水 個と全体の利害の問題ですね。

船山 そういうことですね。繰り返しになりますが、薬は何でも服用すれば身体が良い方向に向かうと思っている考えは、是非改めてもらいたいですね。

垂水 薬も役割分担によって、全然違うわけですね。ウイルスに効く薬、細菌に効く薬もあれば、血圧を下げたり、アレルギーを抑えたりする薬もある。これがどういう病気で、この薬はどこを叩いているのか、それがわからないと、薬の正しい飲み方を知るのはなかなか難しい。

船山 それから、日本で非常に問題なのは、いわゆる風邪でも軽々に抗生物質を処方する医師が未だにいることですね。

垂水 インフルエンザでも抗生物質を出すところがあるようですね。抗生物質はインフルエンザに付随した雑菌の炎症は抑えられるが、インフルエンザそのものはウイルスなので効果がない。

船山 抗生物質は、雑菌にはよく効く場合がありますが、いわゆる風邪そのものは休養と栄養で治すしかない。

垂水 結局それが一番ですよね。

船山 この辺りの理解がなかなか進まない。日本人の医療における意識改革の課題の一つだと思いますね。

身を守る毒と攻撃する毒  

垂水 動物の毒と植物の毒は、その存在の目的がずいぶん違いますよね。動物の毒は、身を守るための毒か、獲物を倒すための毒のどちらかに大別されると思います。身を守る毒は防御的で、チョウ類、貝類、ウミウシ類、フグ類、クラゲ類、毒カエル類などで、獲物を倒す毒は攻撃的でヘビ類やサソリ類などが持っています。

 身を守る毒を持っている動物は、凄く派手な色彩をしていることが多いんです。これは警告色と呼ばれていますが、食べるほうは学習します。もちろん普通の意味での学習ではありません。食べたら死んでしまって、その個体は子孫 を残せなくなりますから、それを避ける性質を持つ個体が生き残ることになるわけです。種としては、結果的に自然に派手な色彩をした動物を忌避するようになる。

 自然界には毒にまつわる擬態もあります。擬態と聞くと、葉っぱや枝に似ていたりして、周辺環境に似せて気付かれないようにすることをイメージされると思いますが、毒を持っているように見せかける擬態があるのです。これにはベイツ型擬態とミューラー型擬態という二つのパターンがあります。ベイツ型は、他人の褌で相撲を取る戦略です。 毒蝶は、非常に毒々しい色をしていて、毒を持っているために食べられなくなります。そうすると、近縁の種もその毒蝶と似た模様を持つようになるんですね。これは実験でも確かめられていますが、近縁種は毒を持っていないにも関わらず食べられにくくなります。

船山 面白いですね。

垂水 ミューラー型は一種の共同作戦です。「食べたら怖いぞ」と宣伝するには、一人でやるよりみんなでやった ほうがいい。ハチ類の多くが黒と黄色の縞模様、サンゴヘ ビ類が派手な色の縞模様をしているのはみんなが同じよう な危険信号を持つことで宣伝効果を高めているわけです。

船山 身を守る毒と、攻撃する毒という区別は面白いですね。身を守るほうは、神経毒が多いですよね。相手を一瞬で麻痺させて、その間に逃げてしまうと戦略ですね。ハ ブやマムシ毒のような攻撃する毒は、獲物を消化する役割 も担っていますよね。植物では、獲物を消化してしまうのは食虫植物くらいで珍しい。

垂水 動物の場合は、「派手な色彩をしていたら、毒を持っていると疑え」という鉄則がありますが、植物の場合はどうでしょう? 毒キノコは毒々しい印象もある。けれども、だからと言って食べられないことのメリットはあまりないですよね。植物は受粉や種子散布のために、動物を誘い寄せる必要があるので、警告色はそぐわない気がします。ある意味では動物に食べられないと繁殖できないという側面もある。

船山 食べられて糞になったりして、あちこちに消化されない種子をバラ撒いてもらうことは彼らの持っている生 存戦略ですよね。

垂水 しかし、動植物にはなぜ毒を持った種類がいるのか、考えてみると不思議ですね。

船山 よく「ある植物は動物に食べられないようにするために毒を持つようになった」という説を見かけますが、 これは明らかに誤解です。彼らが自分で考えて毒を生成する能力を身に付けたり、調達できたりするわけではないんです。たまたま私たちが毒と呼んでいる物質をつくるようになった種が少しでも生き残るのに有利だったから今でも存在しているということなのだと思います。

チョウセンアサガオ

垂水 そうだと思います。ただ、他の生物の毒を利用している動物もいますよね。フグ毒のテトロドトキシンはもともと細菌毒です。これを食べたヒトデ類、貝類をフグが食べることで、フグの体内に生物濃縮されたものだし、ウミウシ類はクラゲを食べてその刺胞を武器にしています。

 渡りをする蝶として有名なオオカバマダラは毒蝶で、その毒成分は食草であるトウワタから得た毒で、日本産のアサギマダラも幼虫の食草となるオオカモメヅルなどの植物から毒を得ていますよね。

船山 自分の意思でよそから毒を調達しているわけではないと考えています。ただ、他の動植物の毒を利用する行動をする個体がたまたま生き残ったと見なすべきなのでし ょうね。興味のあるところです。話は変わりますが、いずれにしても、微生物は本当によくいろいろな物質をつくり出しますね。

垂水 微生物は、生きるために強い毒性物質をつくりますね。おかげで抗生物質が得られるのですが。

船山 やはり、生き残るためにどの種も必死ですね。

垂水 最近の進化生態学という分野に、「軍拡競争」という考え方があります。例えば、ウサギを追い掛けて捕ま えようとするキツネがいるとします。当然ウサギは逃げなければなりませんから、キツネより速く走れるようになります。そうなると、キツネはウサギを捕まえるために、より速く走ろうとします。こうして、両者共に走る速度があがっていくことになる。これは現代の軍拡競争と同じですよね。相手が軍備を増強すると、それに合わせてこちらも軍拡するので、お互いに戦力がどんどん上がっていくことになる。

 けれども、この競争において「キツネとウサギは対等」ではありません。なぜなら、キツネは別にウサギを食べなくても死ぬわけではないからです。他の餌でもいいわけですからね。ところが、ウサギは食われたら終わりだから、必死さの度合いが違います。この競争は、ウサギのほうがやや有利なところで均衡します。これをイギリスの進化生態学者のリチャード・ドーキンスとジョン・クレブスは「命ご馳走原理」と呼んでいます。片方にとってはご馳走に過ぎないけど、もう一方にとっては命が掛かっているからだと言います。この関係は、カッコウと托卵される鳥にも当てはまり、カッコウのほうは托卵の成功に種の存続が関わっているが、托卵される鳥は少しぐらいやられても種が滅ぶことはない。その切実さの違いがカッコウの存在を許しているのです。

船山 面白いですね「命ご馳走原理」って(笑)。必死さの度合いが違いますね。ウサギは当然ながら、早く逃げられた者の子孫が残っていくことになりますね。 地球上に生命が誕生してから現在に至るまでものすごい数の種が絶滅していますよね。学生さんたちには、「人間もそのような生き物のうちの一種にすぎないよ」と繰り返し伝えています。今は新型コロナウイルスがたいへんな騒ぎになっていますが、仮にインフルエンザもさらに強力になったものが大流行するようなことになれば恐ろしいですね。

垂水 それは本当に怖いですね。ペストの大流行でヨーロッパの人口は半分くらいに減ったとされています。ただ、それでも人類は絶滅することはなかったし、今後も病原体が人類を絶滅させることはおそらくないのではないか。半分くらいまでなら減らすことはあるかもしれませんが、そうなるとターゲットがいなくなって今度はもうそれ以上は流行できなくなってしまいます。

船山 自然にどこかで終息するわけですね。強力なウイルスが蔓延してもやがて人々に免疫ができたり、季節がめぐってウイルスが消滅したりし、そもそも感染しない人もいますからね。

垂水 薬が効く人と効かない人がいることと同じですよね。重い流行病のなかでも命を長らえた人もいるわけですからね。

アルカロイドは「毒と薬の宝庫」

船山 動物と植物の毒の違いで言えば、化学構造が大きく異なりますね。動物の毒には低分子化合物もありますが、ペプチドやタンパク質などの高分子化合物が多い。一方の植物は、低分子化合物が多い。

垂水 植物の毒には、「アルカロイド」という共通言語がありますね。

船山 アルカロイドは、まさに「毒と薬の宝庫」です。覚醒剤や麻薬もほとんどが天然由来のアルカロイドか、そ れらに手を加えたものなんです。話が少し専門的になりますが、簡単にアルカロイドについて説明します。含窒素有機化合物のうちペプチドやタンパク質、これらを構成する通常のアミノ酸、そしてDNAやRNAの正体である核酸類などを除いた化合物をアルカロイドと総称しています。アルカロイドには、生物に対して何らかの活性を持つものが多いんです。その理由は、私たちの体の生体反応をつかさどる化合物には、タンパク質からなる酵素や核酸からなる遺伝関連物質のように、分子中に窒素を含むものが多いことが挙げられます。それから、神経の働きに関連する物質には、セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、GABA、アセチルコリンなどのアルカロイドが関わり合っているんですね。

垂水 アルカロイドと言えば、種類が膨大なことで知られていますよね。

船山 現在までに約3万種が報告されています。アルカロイドは植物毒あるいは植物由来医薬品としても重要な化 合物群であるのに、雑多な化合物の集合でもあることから、その分類に成功した例がありませんでした。私はそれを生合成の経路(生体内でのつくられ方)によって1 6に分類することに成功しました。それをまとめたのが私の最初の著作となった『アルカロイド─毒と薬の宝庫』でした。

 アルカロイドは本当に雑多で身近なところに多くの種類が存在しています。お茶やコーヒーに含まれるカフェイン もアルカロイドであるし、ブルージーンズのインディゴという色素もアルカロイドです。胡椒の辛味成分のピペリン、唐辛子の辛味成分のカプサイシンもアルカロイドです。そして、世界で最初に単離されたアルカロイドがケシ由来のモルヒネです。モルヒネは、鎮痛薬として非常に役に立っていますが、麻薬としても有名ですよね。

 この話を一般の方にすると、お茶やコーヒーが好きな人から「アルカロイドという毒が入っているのに飲み続けて 大丈夫なのか?」と聞かれることがあるんです。ここは素人さんへの説明の難しいところでもありますが、今日の話にもあったようにすべては程度の問題ですからね。普通に飲んでいる分には問題ありません。

垂水 ナス科の植物に毒が多いというのは理由があるのでしょうか? アルカロイドというとやたらとナス科が出てくるので、何か特別な理由でもあるのかなと気になっていました。

船山 確かにナス科の植物には有用なもの、それから有毒なものも多いですよね。ジャガイモ、トマト、ピーマン、 トウガラシ、ホオズキ、ペチュニア、ハシリドコロ、クコ、 チョウセンアサガオ、それからタバコもそうです。ナス科の毒で一番有名なのは、チョウセンアサガオやハシリドコロなどから得られるアトロピンでしょうか。アトロピンは毒でもありますが、一方では薬でもあります。サリンや有機系農薬中毒に対する解毒剤にも使われています。

 でも、なぜナス科の植物に毒が多いのかと問われると、よくわかりませんね。なぜなのでしょうか(笑)。

垂水 もともと野生のナスには毒があって人間には食べられなかった。それを人が手を加えることで食べられるようになったわけですね。このように一種の品種改良によって毒性を和らげた作物は、他にもいろいろあるはずです。

船山 品種改良ではありませんが、コンニャク芋にはえぐみがあって、そのままではとても食べられません。けれども、加工してコンニャクにするととてもおいしく食べられます。これはすごい知恵だと思いますね。サトイモ科の植物は、食べられないものが多いんです。里芋自体はそのままでも食べられますが、これは珍しいんです。

垂水 アク抜きは、つまりは毒抜きですよね。古代人は、時間をかけてアク抜きをしてからドングリを食べていたようです。

船山 ワラビなんかは本当によく工夫されているなと思います。ワラビにはプタキロサイドという発癌物質が含ま れており、これを動物に注射すると100%発癌するんですよ。ただ、この物質は水に溶けやすくて、炭酸水素ナトリウム(重曹)水に入れて熱を加えると壊されます。このプロセスはまさにアク抜きですよね。偶然かと思いますが、 私たちの祖先がふるくからこういう重要な操作をしていたのには本当に驚かされますね。

毒や副作用からも新薬が誕生し得る

垂水 最後に新薬、創薬の方向性について少し考えてみようと思います。最近では、自然界に存在している毒から、 新薬をつくりだしています。トカゲの毒からはエキセジンを採り出して、糖尿病薬のバイエッタが生まれました。また、クサリヘビの毒から降圧剤のカプトプリルをつくりました。新薬をつくるにはその薬がなぜ効くかというメカニズムの理解が欠かせませんね。

船山 まさに「薬毒同源」の産物ですよね。今後さらに増えていくことでしょう。先ほどもお話ししましたが、や はり量によって毒になれば、薬にもなるわけです。このことを今一度考えることだろうと思うんですね。また、まったく新しい化合物をつくって新しい薬をつくることも大事 ですが、すでに知られている化合物の新しい使い道を探索する努力も重要です。これをドラッグ・リポジショニング と言っているんですけどね。

 いま使われている薬の副作用についてもよく情報を収集する必要がありますが、この段では、常に患者さんの声を 聞いている現場の薬剤師の先生方の活躍が絶対に必要です。逆に抗ヒスタミン薬と呼ばれるものには眠気の出るものがあるということから、この副作用のほうを前面に出して、ドリエルのような睡眠改善薬が開発されたりもしています。

垂水 副作用からも新しい薬が誕生し得る。

船山 毒から薬ということを考えられるようになったのは1990年代以降で、それから本格化していったと言われます。私は、「毒の研究ばっかりやって薬の研究はやらないのか」と言われそうですが、私にすれば薬毒同源であり、ずっと毒の側から薬を見ていたのだと言いたいですね(笑)。

垂水 ひと頃、既存の薬の化学構造式を少し変更するかたちでの創薬がだいぶありましたよね。

船山 一つ成功すると、我も我もとやるんですけど、なかなかうまくいかないことが多いようですね。古くはアスピリンは最高にうまくいった例です。あれは元々セイヨウシロヤナギという植物のサリシンという成分を加水分解し、酸化させることでサリチル酸が得られたことにはじまります。サリチル酸が痛みなどにとても効きました。ところが、これは胃をすごく荒らしてしまうんです。それでアセチル 化したらどうだろうかということから生まれたのがアセチルサリチル酸、アスピリンです。1899年に出たのですが、これは大成功しました。実はまったく同じ時期にモルヒネをアセチル化させたことで、できたのが麻薬のヘロインです。ヘロインの語源はヒーロー(英雄)ですからとてもいい名前で、鎮咳薬としてものすごく期待された薬でした。アスピリンもヘロインもバイエル社から発売されていて、この二つが並んで一つのポスターになっているのがあります。片方は大成功しました。

垂水 ヘロインも別の意味では大成功していますね(笑)。

船山 そういった意味で化合物の一部を変えてやるという方法もずいぶんとられたし、それから新規抗生物質の探索のように、ランダムにとっていって試していく方法もあります。今でもこれらの方法は有効だろうと思います。

垂水 生物は四十五憶年とは言わなまでも、何億年もの歴史のなかでできることはすべて試しているとも言える。だから、あらゆるヒントはそこにあるはずですよね。例えば、昆虫などは、食草が決まっているんですね。なんでその草だけを食べるのか、ということの解明から新しい薬ができる可能性だって充分あるでしょうね。なぜそれでなければダメなのか、そこにはたくさんのヒントがあるように 思いますね。

船山 生物に学ぶ、習うという発想ですね。そういう意味では、日本の薬学部においては、薬草などの学習がいま充分に行われているのか、ということはすごく不安なんですよ。私自身も薬用植物園の園長もやっているのですが、どうも最近の薬学生は一般にあまり薬草には興味を示さない。もちろん、関心を持つ学生もいますけどね。薬用植物はあらゆる薬の母だと思うんですよね。だから、もっと親しんでほしいと思っているんですよ。薬用植物園では今はまだ薬として使われていない植物も植えています。私は「これは今、薬用植物とされていないけど、これをいかに薬草として使えるようにするかというのが私たち薬学徒の使命の一つである」と言っています。本当は薬用植物となる可能性はごく低いけれども少しでも興味を持ってもらおうと、単に花がきれいだから植えているものもあるんですけどね(笑)。

 やはり身の回りの自然、動植物をよく観察することが今でも大切なのでしょうね。結局は、私たちの原点に返るということですね。

毒でゴキブリをマインドコントロール するハチがいる

──今日はお話のなかにいろいろな毒が登場しましたが、お気に入りの毒は何ですか?

ヒガンバナ

船山 何と言ってもお酒です(笑)。これは冗談として、私は毒草と言われる中でヒガンバナ科の仲間の植物が好きなんです。アマリリス、スイセン、スノードロップなどたいへん綺麗な花を付けるものが多いんですが、これらのいずれも有毒アルカロイドが含まれています。ヒガンバナの球根からは、有毒アルカロイドの一つであるガランタミンが採取されるんですが、この化合物はアルツハイマー型の認知症治療薬として応用されるようになりました。

 ヒガンバナ科の植物にはスイセンもあり、その葉っぱをニラと間違えて食べてしまい中毒をおこす事故が毎年のように報告されています。そうやって毒があることを知っていながら、私たちは自分たちの庭からスイセンを排除することはありませんよね。長い間、上手く共存してきたわけです。ですから、毒はただ恐れればいいというものではありませんね。要するに相手をよく知り、正しく怖れよということです。

垂水 植物の毒は襲ってくるわけではないですからね(笑)。 お気に入りというより私が驚くのは、『毒々生物の奇妙な進化』でも紹介されているエメラルドゴキブリバチという熱帯産の寄生バチの毒です。このハチの持つ毒液成分は、脳に直接に働きかける神経系の作用があって、この毒を注入されたゴキブリの脳を操作することができるんです。マインドコントロールされたゴキブリたちは、自分で身繕いをして綺麗になる。そして新鮮なままエメラルドゴキブリバチの幼虫のもとに赴いて、貪り喰われるわけです。

船山 あの話は読ませていただいて恐ろしかったです。 毒を注入することでゾンビにしてしまうわけですね。

垂水 寄生バチの習性にはダーウィンも悩まされたようです。なんでこれほど残酷なことを神様ができるんだと、『種の起源』の「本能」という章で述べています。

船山 本能というのは、本当に不思議なものですよね。本当に複雑だなと思います。

垂水 ジガバチは穴を掘って巣をつくりそこに卵を産むんですが、孵ってきた幼虫に新鮮な状態で食べさせるために餌になる虫を卵の状態で持ってくるんです。すごく複雑な習性ですが、実験してみると一つひとつの動きはすべて反射的行動に過ぎないことわかったんです。ジガバチが飛んで行っている間に、巣の場所を変えると間違ったところに行ってしまうわけです。ぜんぶ覚えているわけでもなんでもなくて、機械的にやっている。突き詰めて見れば、単なる連鎖的な反応の集合に過ぎない。

船山 本能も反射の連続であると。

垂水 カッコウは他の種の巣に托卵することが有名だけど、自分の雛でもないのになぜ餌をやるのかと言えば、雛が口を開けたときに見える黄色が信号になっていて、親鳥は黄色い口を開けられると餌をやってしまう。自分の雛でなくとも、似たようなそっくりなカッコウの雛はそこに帰巣するヒナに似ているので騙されてしまう。

船山 カッコウは親鳥となってしまったウグイスよりもかなり身体が大きくなってからも、餌をもらうんですよね。

垂水 こうして見ていくと、反射的な反応であっても実際にやっていることは複雑で見事ですからね。ここは自然のすごさだなと本当に感心します。 (終)

船山 信次・日本薬科大学特任教授
ふなやま しんじ:1951年仙台市生まれ。東北大学薬学部卒、同大学大学院薬学研究科博士課程修了。薬剤師、薬学博士。天然物化学・薬用植物学・薬史学専攻。イリノイ大学薬学部博士研究員、北里研究所微生物薬品化学部室長補佐、東北大学薬学部専任講師、青森大学工学部教授、日本薬科大学教授などを経て現職。日本薬史学会常任理事。著書に『毒と薬の世界史』『毒の科学』『アルカロイド─毒と薬の宝庫』『毒と薬の文化史』など。
垂水 雄二・科学ジャーナリスト、翻訳家
たるみ ゆうじ:1942年大阪市生まれ。京都大学理学部生物学科卒、同大学院理学研究科博士課程単位取得後退学。思索社、平凡社で勤務したのち、フリーの科学ジャーナリストに。翻訳家としても生物学、進化論を中心に多数の訳書がある。著書に『進化論の何が問題か ドーキンスとグールドの論争』『進化論物語:「進化」をめぐる六人の学者の功罪とその生涯』など。訳書に『神は妄想である─宗教との決別』(リチャード・ドーキンス)『毒々生物の奇妙な進化』(クリスティー・ウィルコックス)など多数。
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