『公研』2022年10月号「めいん・すとりいと」
日本人が千数百年に亘って絢爛たる独自の歴史と文化を持っているのは、自立の精神をもった武士が生まれたからである。自分たちの所領は自分たちで守り、誰にも寄りかからずに生きてきた。その強さが、日本人の強さである。強い絆も、深い優しさも、そこから生まれてくる。天災や戦乱と言った厄災も、誰にも寄りかからず、力を合わせて乗り越えてきた。それが日本人の歴史である。
今の日本人、その主力を為す平成人の生きざまはどうだろうか。少子高齢化はすすみ、年間、数十万人、人口が減り続ける。年金、医療のための予算支出は膨れ上がる。国は、安易な国債増発に走る。その借金の形(カタ)は将来の世代が生み出す価値である。付け回しの額は一向に増えない国内総生産(GDP)の2倍に達する。1,000兆円の借金を子供たちの世代に付け回して平然としているのが平成人である。
日本国民から借りた金の利子を日本国民に払い、元本も日本国民に返済しているのだから、何の問題もないのだという理屈が、数十年、まことしやかに語られてきた。そこには利益を享受するシニア世代と、負担を負うジュニア世代の間の不公平感は反映されていない。
膨大な国債の半分は市中にある。プーチン露大統領が引き起こしたウクライナ戦争はエネルギー価格、資材価格を高騰させ、コロナ禍によるサプライチェーンの寸断と相まって、供給面を原因としたインフレーションを世界各地で引き起こしている。インフレ退治のために米国をはじめとして先進国の利子率は跳ね上がる。だが、日銀は利子率を上げることができない。景気の腰折れが怖いだけではない。利子を上げれば国債市場が動揺するからである。低利子率維持の結果、果てしない円安が進む。借金漬けの財政運営のひずみはあちこちに出るのである。
防衛費の増額も待ったなしである。平成の日本人は、米国の庇護を当然の様に考えてきた。ソ連の利益を代弁するような「非武装中立」論は消滅した。しかし、そもそも敵は想定しないという「基盤的防衛力」構想とか、ソ連相手に米軍が来るまで数カ月戦えばよいという「限定小規模対処」のような無責任な議論は、まだまだ根強く残っている。特に、戦争なんて言うややこしい汚い話はアメリカにやらせればいいんだという「ただ乗り平和主義」の雰囲気は政府・与党の中にさえ根強い。経済界に至っては、日本の繁栄が米国の安全保障政策によって支えられているという意識さえなかった。
ウクライナのゼレンスキー大統領を見ればわかるように、アメリカは自分で自分を守る意思のある国だけを守る。当たり前の話である。中国は、すでに日本の3倍、米国の7割5分に達する経済規模に膨れ上がり、富国強兵路線をひた走る。近隣の弱小国の領土や海洋権益を侵している。その軍事費は、日本の5倍を超える。中国に対峙するには、防衛費の大幅な増額は避けられない。GDP2%でも足りないのである。
令和の日本人に良い国を残すためには、国の形を変えなければならない。それは安全保障でアメリカに寄りかかり、社会保障で若人に寄りかかるという平成人の生き方を捨てるということである。応分の増税を覚悟するべきである。安倍元総理は消費税額を5%から10%に倍増した。消費税に手を出した歴代政権はすべて潰れたが、安倍増税には驚くほど反発が少なかった。令和を担う人々はすでに自立の心構えができているように見える。
同志社大学特別客員教授