『公研』2022年12月号「めいん・すとりいと」

 

 最近になってまたようやく海外との往来が一般的に再開されつつあるが、住み慣れた街を離れて異文化に触れるというのは刺激的であり、心待ちにしてた人も多くいらっしゃるでしょう。

 僕は仕事柄あちこちを年中旅しているけれど、思い返すと最初の海外体験は小学生の頃で、今と違ってインターネットからの情報などない1980年代のこと、ガイドブックの綺麗な写真を見ながらいろんな想像をしながら心待ちにしていたのが懐かしい。

 最初に降り立ったのが音楽の都ウィーンで、でも音楽のことよりも、なんで雨が降っても傘をささないのかなとか、水と言えばシュワっと炭酸入りの塩っぽいのが毎回出てきて面食らったり、ホテルの水でシャンプーをして以来髪が天然パーマになってしまったり等々、なんだか一つひとつの出来事が面白すぎて楽しくはしゃぎ回っていたら、たまたまホテルの真下の部屋には往年の名指揮者カラヤンが泊まってるんだから落ち着くように注意されたり。

 この時は、ウィーンのあとマドリッドに移動しての演奏会だったけれど、コンサートの開始が21時とかで、その後の食事は2330分頃から。今では馴染みの食材だけれど、当時まだ日本には輸入の規制があったのか見たこともなかった生ハムやオリーブ、豚の血の腸詰など大人の日本人のスタッフなどが敬遠する中で、物珍しさだけではなく新鮮な食の感覚に一人でやたらと平らげてた記憶はばっちり残っていて、今の自分と何ら変わりがないなと我ながら思う。

 食の記憶と言えば、その後中学生になったばかりの頃に行ったアメリカにはあまりこれといった記憶がなく、その後は中学3年の時のフランスに飛ぶ。まずは量の多さに驚愕。今のフランス料理は、時に小鳥の餌かと思うようなミニチュアサイズのものも見受けられるけれど、当時のフランス料理の量は半端なくて、しかも一品のボリュームがものすごい。もちろんお店にもよるとは思うけれど、一般的な日本での量の3倍はあったような気がする。

 でも、そこでもなぜか不思議と自然に周りに合わせられてしまう性質なのか、いつの間にかフランス人からも「お前はよく食べるな」と言われるようになってしまう始末。挙句の果てには、「そのくらい食べればベートーヴェンが弾ける」と言われて、それを真に受けてずっと座右の銘としている。とは言っても、今は当時の半分くらいしか食べなくはなったけど、まだベートーヴェン弾けるかな ちなみに僕の周りにはよく食べる人が多い。

 食べると人は皆幸せになり、ある意味で無防備になる。逆に言えば、相手に対して警戒心があれば、臨戦態勢を崩さないようにするために、幸せになってしまうまでは食べないだろう。だから、よく食べる仲間というのはお互いに信用信頼している証しでもある。

 ところで、音楽とはその人そのものが自然に滲み出てくるものだと思う。だとするならば、食べ物の好みも必然的に演奏に大きく影響があるはずだ。

 この人はどんな食べ物が好きなんだろうか? どんな人とどういう食べ方をするのだろうか? そして、どんな性格の人なんだろうか? どんなことに興味があるのだろうか? 等々いろいろ思い巡らせながら演奏を聴くのも、また音楽の楽しみ方のひとつではないかと思うのだけれど。

 ちなみに、ベートーヴェンは何日もろくに食べずに楽想を練りながら森の中を歩き回って、その後何キロも肉を食べたなんて本当なんだろうか

ピアニスト横山幸雄

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