『公研』2023年11月号

 ローマ歌劇場の引っ越し公演に行った。演目は『トスカ』。コロナ以後初の海外オペラの来日だという。この三年半の間にオペラ・ファンは激減してしまったのではないかとの不安もあったが、行ってみると超満員。そして拍手喝采。客層も世間で言われるほど「クラシック系は高齢者ばかり」ということでもなく、この点でも安心した。

 とはいえ、引っ越し公演は歌手とオーケストラだけでなく、舞台装置もなにもかも一切合切もってくるわけだから、チケットも相当高額である。当然ながら客層は裕福なリタイア組(おそらく七十代)と思しき人々が中心だ。それも夫妻で来ている人が多い。チケット代はばかにならないはずだし、よほどオペラが好きなのであろう。思わず「この人たちはいつごろからオペラに熱中するようになったのだろう?」と考える。

 コロナ以前は当たり前のように毎年名門オペラ劇場の引っ越し公演があった。ミラノ、ウィーン、ベルリン、ニューヨークのメトロポリタンといった超一流劇場のうち、毎年ほぼ必ず一つは来日していた。そこに中堅クラスの劇場の来日もいくつか加わる。東京に数年いれば、本場のたいがいの劇場は聴けてしまうのが当たり前だった。こうした思い切り贅沢なオペラ状況が、いつから日本で常態化したかといえば、おそらく1980年前後からだったと思う。1979年にロンドンのコヴェントガーデン歌劇場、1980年にウィーン国立歌劇場、そして1981年にミラノのスカラ座の引っ越し公演が続いた。これは衝撃であった。オーケストラならともかく本場のオペラ公演、それも超一流の歌手と指揮者による公演を、そっくりそのまま日本で聴けるなど、それまでは夢のまた夢であった。当時大学生だった私も、これらの公演に行ったことがきっかけで、音楽史(オペラ史)の研究を志すようになった。

 1980年前後といえば日本ではプレ・バブルの時代だった。戦後経済成長の頂点へ向けたラストスパートがいよいよ始まろうとしていた時代である。そしてオペラはヨーロッパの諸芸術の頂点に位置するジャンル、最も金のかかる芸術ジャンルだ。当時のオペラ・ブームは日本経済による世界制覇のシンボルだったのかもしれない。しかしまた、当時の日本人の間には「文化への憧れ」が強くあったのだろうとも思う。当時の財界にはこうした引っ越し公演に積極的に協賛する人がかなりいたはずで、それがあったからこそ、例えば世界最高峰といわれるミラノの劇場の舞台をそのまま東京に再現するなどといったことが出来たのだ。

 バブル期に常態化した「毎年のように東京で本場のオペラを観られる」という状況は、少なくとも東京では、今世紀に入ってもそのまま続いていた。まるで「失われた三十年」などどこにもなかったように。そこに突如降ってきたコロナ禍。少なくとも私にとって、それは「突如として夢から覚める」ような経験であった。ローマ歌劇場の引っ越し公演はコロナ以前から計画されていたものだろうからよしとして、いつの間にかここまで円が安くなり、航空運賃が上昇して、本場の劇場をまるまる持ってくるなどということが、果たしてこれからも出来るんだろうか? バブル以前と同じように、再びオペラは遠くにありて想う夢になるんじゃないか?──不安がよぎる。とはいえ、本場のオペラが再び「夢」に戻るというのも、それはそれでいいのかもしれない。それは渇望と憧れを取り戻すということであり、つまりはバブル以後の私たちが決定的に見失った何かをもう一度思い出すことなのかもしれないのだから。京都大学教授

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