『公研』2020年4月号「interview」

神田春陽・講釈師 

「講釈」と聞くとどういうイメージが浮かぶだろうか。真打昇進から6年経つ神田春陽さんに、長い伝統を受け継ぐことと、その中で取り組む他分野とのコラボレーションなどの挑戦について聞いた。

講談と落語はどこが違う?

──新型感染症の影響は出ていますか?

神田 特に、志村けんさんが亡くなられてからまたぐるっと変わって、5月半ばぐらいまでの仕事が延期になっています。東日本大震災のときも仕事がなくなる、延期になるのを体験していたから、今回も3、4カ月したら戻ってくるよって思ってたんですけどね。まあ、いつかはお客さんが戻るっていう希望だけを持って薬ができるのを待つしかないですね。

──最近、休業補償の話も出ています。

神田 当然それも欲しいですけれども、ドイツの文化大臣が「芸術や芸能は必要不可欠だ」って言っていましたが、政治の偉い人が一言そう言ってくれるだけで気持ちが違ってくると言うか、戻ってきたときのために力を蓄えておこうって考えることができる。まあ、政治がやってくれなかったらこっちでやるしかないんでね、家で見られるように配信とか、若い子たちが一生懸命頑張っています。

 ただ、震災のときは、仕事はなかったけど、「チャリティーやらなきゃ」とか、何か高揚感がありましたよね。

──チャリティー寄席の「徂徠豆腐」と「荒茶の湯」は今もYou
Tube
で見られますね。

神田 そうそう。あれは震災後2週間ちょっとぐらいですが、「お金集めるから手伝って」と言われれば集まってやっていた。今、集まるのも駄目ってなっちゃったからね。

──落語に比べて講談は目にする機会があまりないように思うので、まず講談とは何かから教えてください。

神田 そもそもは講談でなくて「講釈」って言うんですが、講釈は物語を持っているわけですね。だから主人公がいて、例えば忠臣蔵には大石内蔵助がいて吉良上野介がいてというように、登場人物に名前がある。

 落語は基本的に物語じゃないので、「八っつあん」に「熊さん」、それから「横丁のご隠居」というだけで、何の某っていう名前がない。もっとも、最近は落語でも、名前がついた人が出てくる噺をやる人が増えています。先ほどの「徂徠豆腐」もその一つですよね。

──落語と講談で同じ噺をやることもあるわけですね。もっとはっきり分かれているのかと思っていました。

神田 そういう噺はもともと講談から行っていて、落語家さんが僕たちのところへ「教えてください」と来るんですね。それこそ「徂徠豆腐」も「荒茶」も結構教えました。

 と言うのは、特に最近よく言われるんですが、地方へ行くと落語の文化がないわけで、江戸のことを知らなきゃわからない噺もあるから、「何がおもしろいんだろう」っていうふうになったりする。それが物語だと、筋を追っていけばいいから、そっちのほうが「楽」って言っちゃ変だけど、わかりやすい。徂徠豆腐や荒茶はおもしろい噺なので、落語でも十分、通用するわけですね。

 「徂徠豆腐」に出てくる荻生徂徠の名前を世の中の人たちがどれだけ知っているかって言うとあれですけども、例えば清水の次郎長とか徳川家康とかって名前が出たときの安心感って言うか、お客様が「あ、この人知ってる」っていうほうがいいってなると、やっぱりそういう噺をやりたい人が増えていく感じですね。

名人がいなくなる?

──新しい噺を教えるとき、覚えるときは口伝えですか?

神田 いまはそれはやらないです。徂徠豆腐は30分だから、3回やったら1時間半ですよ。カセットテープがあればそっちで覚えたほうが早い。もちろん、教えてくださる先輩からアドバイスはいただきますけどね。

 今、何度も再生して頭の中に叩き込みますから、上手い人が増えた。昔は師匠に「3回で終わりだよ」って言われたら、うろ覚えなところもあるわけだから、高座にかけてみていろいろ工夫したりする。たぶん名人というのは皆、そう工夫してきた人だと思うんです。逆に今、上手い人は増えたけど、名人がいないっていうのはそういうことなのかもしれないですね。

──講釈師になりたいと思われたきっかけは?

神田 僕がこの世界に入ったとき、講談の寄席ってもうなかったんですよ。新宿の末広亭は落語の寄席で、落語家の中に一人講釈師が入っているかいないかぐらいでしたから、僕ね、本格的な講談って聞いたことないまま講釈師になっちゃった(笑)。

 寄席だと持ち時間が短くて15分しかない。だから講談ってこんなもんかな?と思っていた。徂徠豆腐の話に戻りますけど、「柳沢昇進録」っていう徳川綱吉の側用人で六義園をつくった柳沢吉保がどうやって出世をしていくかっていう全部で20話の噺があって、徂徠豆腐はその一部分なんですよ。入ってみてびっくりした。

──もともとどなたか憧れの人がいらしたのですか?

神田 落語の人には憧れていたけど、講釈の人にはほとんど憧れなかった(笑)。どちらかと言うと、落語家になりたかったですが、当時も落語家はたくさんいましたからね。それと、今はこうブームみたいになっていますが、当時はお客さんもあまりいなくて、いつ行ってもおじいちゃんしかいないし、しかも同じ人しかいないし(笑)。

 講釈師になるきっかけは、僕がこの世界に入るちょっと前ぐらいが「会社を退職してから何をやるか」って話題になっていた時期で、カルチャーセンターが流行っていたんですよ。僕は当時、テレビの放送局に勤めていたんですが、あるとき「講談やってみませんか?」というのが目について、「ちょこっと通ってみようかな」と思ったのが最初です。

 きちんと入門したのが29で、昔だったら芸事をやるような年齢じゃなかった。でも今は人生長いし、入門してよく言われたのは「先は長いから全然焦ることないよ」って。講釈は入ってくる人の年齢層が高いんですよ。30代前半で入ってくると「若いなぁ」って思う。

──ちょっと前に最高齢真打が話題になりました。

神田 僕の一年下の(神田)紅葉さんかな。50歳で弟子入りして、第二の人生の楽しみっていうかたちで結構メディアに取り上げられたりしていましたね。

 ちょっと僕たちに事情があって他の協会に移らきゃいけなかったときに、僕がもともといた協会に前座がいなくなることになったんですが、興行って前座がいないと成り立たないんですよ。

 彼女はそれこそ教室に通っていましたが、年齢がネックになっていたのが、「他にいないんじゃしょうがねぇ」っていうんで条件付きで入った。ところが、真打寸前にガンになっちゃって、真打昇進を少し前倒しするかたちになって披露興行の後、亡くなっちゃったんですけど

 僕は彼女と20歳近く離れていましたが、この世界、上下関係はしっかりしていて年齢は関係ないですから、1日でも後に入ってくれば下の者ってなるんでね。自分のお母さんぐらいの紅葉さんに「着物はこう畳まなきゃ駄目なんだ」って言ったりしていました。

 寄席って持ち時間が厳しく決まっているんですよ。それをこぼす(延長する)ことがあったら怒鳴られるわけです。なんだけど、その方、いつも5分ぐらいこぼしてくる。10分だと15分ぐらいやるから、その後にやる僕の持ち時間が5分になる。それは構わないんですけど、ある時あんまりこぼすんで、「時計見えないの?」って聞いたら、「遠くて見えない」って本当に見えてなかった(笑)。それで、「だったらそばに懐中時計置いておきなさいよ」ってアドバイスしたんですが、それでもやっぱり遅れるんですよ。聞いたら、今度は「老眼で見えない」って(笑)。それであきらめて、僕のところで調整するからいいです、ってなった。

──それは大変でしたね。

神田 でもね、それですごく鍛えられたんです。時間を長くしたり短くするのが自由自在にできるようになって、その後「君がいると時間の調整ができる」って重宝がられました。僕、本当のプロっていうのはそれができる人間だと思うんです。台本を書くのもそうですけど、入れるのは簡単なんだけど、どこを切るかって難しいですからね。

前座時代が一番楽しい

──やはり前座時代は厳しいんですか?

神田 厳しいこともあるけど、実は一番楽しいんですよ。前座時代は楽しいことも苦しいことも皆で一緒だし、お金はないけど、師匠に食べさせてもらえるし、交通費も出してもらえるし。

 逆に師匠は大変ですよ。例えば、こういう状況になったら師匠がご飯食べさせなきゃいけない。全ての面倒を見ないといけないとなると、師匠一人分じゃどうにもならない。真打になると弟子がとれるんですが、師匠って大変だよってすごく思いますね。

──真打への昇進にはどういう条件があるんですか?

神田 今はほとんど年数で決まっていくのですが、もともとは落語の席亭──新宿だと末広亭さん、それから協会、そしてお客様方の推薦により真打に昇進っていうのが、本来のかたちなわけです。

 二つ目から真打になるのに1213年、そこに前座が4、5年乗っかってきて、弟子入りから20年ぐらいが基本です。職人もそのぐらいやってやっと一人前になると聞きますが、それがやっぱり伝統の世界にいるっていうことだと思います。

 ただ、力もないとね。お披露目の月だけはいいけど、それ以降、その人がトリをとったときにお客さんがいないっていう状況にならないために、やっぱりある程度力があったほうがいい。技術力もそうですよ。僕の後輩になりますけど、(神田)伯山くんは何人も抜いてこの3月に真打になっています。力ってそういうことだと思いますね。

──真打になって一人前という認識でいいんですか?

神田 まぁ、そうですね。ただ、真打になった後のほうがはるかに長いわけで、あくまで一通過点ですよね。やっぱり芸事は時間がかかるし、正解がないから、百人のお客さんがいてこの人は面白いと思っても、こっちの人にはつまらないと思われる可能性もある。百人を百人満足させることって不可能に近いと思うけど、やっぱりそれをめざさないといけないって思いながらやっています。

 性格もあるのかもしれませんけど、だいたい高座が終わると、反省しかない。失敗したところだけ残るのかもしれないですね、僕らみたいな商売は。

──思い出すと嫌な失敗をされたことは?

神田 実は講釈って、落語もそうかもしれないけど、似たような台詞がいっぱいあるわけですよ。僕はそのときある噺をやりたかったんですけど、トントントンと調子よくやっていたら、気付いたら違う噺になってた(笑)。元禄の噺をする予定だったのが、なぜか明治時代の人が出てきて「この話って何なんだ」ってお客さんを煙に巻いてしまったんです。

 二つ目の頃は、だいたい先輩が楽屋で聞いているからどこかピリッとしていたんですが、その時は後輩しかいなかったから、ちょっと気が緩んだというのも、たぶんあった。だから、独演会をするときにゲストや助演をお願いするときは先輩か、異業種のそれなりの地位の人だけですね。調子に乗るとこういうことになるんだっていう一つの戒めになりました。

どれだけ準備できるかが自信になる

──ところで、複数の人を相手に話すときはすごく緊張します。大勢だと誰を見て話せばよいのかとか、実は誰も自分の話なんか聞いていないんじゃないかとか余計なことを考え始めてとっ散らかってしまうんですが

神田 基本的に自分が用意してきたものをしっかり出せるかどうかなんだと思うんですよね。さっきも言った通り、百人いればおもしろいと思っている人とつまんないと思っている人がいて、焦点を絞ることはできない。もちろん、今日のお客さんは笑いたい人が多い、あるいは噺をじっくり聞きたい人が多いとかいった全体は把握しますけど、個々はほとんど考えたことがありません。

 企業の人に「話し方教室」を頼まれることがあるんですが、いや、考えてみてくれと。僕たちは一方的に喋ってるだけでコミュニケーションはとっていないんですよ。

──確かに一対多数ではコミュニケーションにならないですよね。

神田 だから、どれだけ準備できるかが自信になる。「これだけやったから大丈夫だ」って思わないと。こないだ博報堂の人にも言ったんですけど、「プレゼンだって準備でしょう」って。もう準備準備準備で、準備っていうのは限りがないんだと。唯一、コミュニケーションの技があるとするなら、どれだけ聞けるかだと思います。しゃべることよりも、聞く技術のほうがはるかに大事ですね。

──具体的にはどういう技術ですか?

神田 小手先のことだけ言うなら、相づち一つもそうかもしれないですけど、やっぱり僕ら、偉いお年寄りから小言言われますから、そういう時にどういう姿勢で行くのか。受け入れられない小言もやっぱりあるわけですよ。そういうときにちゃんと聞くって言うか、投げやりにならない忍耐力ってやっぱり必要だなって。ちゃんと聞いた上で、それを自分のものにするのか捨てちゃうのかは後で考えればいいことなんで。

 それこそ僕、(一龍斎)貞水先生に3時間正座させられましたからね。しかも、怒られているのは僕じゃないんですよ。貞水先生の弟子が小言を言われていて、だけど、そばで言われていたら「バイバイ」って帰るわけにいかないから「しょうがねえなぁ」って。貞水先生はお酒を飲むと小言上戸だから、終わるなと思うと、また初めに戻っちゃう。しかも、最初は「お前」って言われて弟子が怒られていたのが、いつの間にか「お前ら」になって何かいろいろポロポロ出てくる。「あのとき、あんなことやっていただろう」とか、よく覚えているなって。それで結局、3時間ぐらい費やされましたからね。終わったあとの開放感ったらなかったですね。空が青かった!まぁ、良い思い出ですけどね(笑)。

他分野とのコラボレーション

──他分野の方と一緒にいろいろやっていらっしゃるとか。

神田 伝統を受け継ぐのと同時にチャレンジもしなきゃと思うので、どこか接点がある人たちとより深くということでやっています。例えば、活動写真弁士の坂本頼光くんと「昔の古い映画には忠臣蔵もたくさんあるからやってみよう」と、彼が前半やって僕が後半やってみるとか、同じ話を活弁風にやってみるといったことをやっています。こういう楽しい忠臣蔵もあるというのを提供してみたかったんですよね。

 あとは杵屋三七郎(現・塩原庭村)さんといった長唄の人たちです。杵屋浅吉くんという素晴らしい長唄プレイヤーがいるんですけど、彼のひいおじいちゃん(4代目杵屋佐吉)は、「黒塚」「二つ巴」という市川猿之助さんたちの澤瀉屋が得意としている演目を作った人なんです。役者の赤星昇一郎さんが長唄部分を現代語で朗読するかたちで杵屋浅吉くんが弾く三味線と同時進行して現代チックにやるということを今、やっています。

 それから、忠臣蔵の「二つ巴」をやろうって話もしています。これは歌舞伎で言うと七段目かな。ちょっとマニアックなんですけど、大石内蔵助が郭で放蕩している時の軽やかな噺ですね。

 僕は下地が落語なので、基本、陽気な噺のほうが得意でしみったれた話はあまり。忠臣蔵もいい話だなと思うけど、実は自分ではあんまり(笑)。だからおもしろくしたいってのもあるんですけど。

 今一番好きなのは、つまんない噺をどうやっておもしろくするか考えることで、埋もれている噺を引っ張り出しています。「これダメだ」っていうのもあるけど、一回高座にあげてみて、「ここはこうしたらおもしろいかな」とか考えるのが好きですね。

──噺の変更はどのくらいまで認められるんですか?

神田 自分次第です。まるっきり違うようにやっちゃう手もあるけれども、僕個人としてはやっぱり原型は留めたい。それが伝統を繋いでいくということだと思うし、ここがキモなんだというところだけはやっぱり崩したくないと言うか。それは落語の人に教えるときもそうで、「他は何をやってもいいけど、そこがキモだからそこだけ崩すな」っていう言い方はします。

寄席の芸は「クサい」のは駄目

──これから50代でやりたい連続物はありますか?

神田 昔は40歳で義士(忠臣蔵)、50歳で伊達、60歳で蘇我って言われていました。今はそんなことは言いませんけど、「梅雨小袖昔八丈」をやってみたいなと。昨年、「鰹の強請」という髪結新三が出てくる歌舞伎でよくやるところだけやったんですけど、やっぱりこれも長い噺で、楽しいやり取りがあるのでちょっとやってみたいですね。

 全部やると山場もあればそうじゃないところもあって、つまんないところはだんだんやらなくなっちゃうんですけど、貞水先生に言わせると、「ダレ場をちゃんと聴かせるようになったら一人前だ」と。

──何人もの登場人物を演じ分けるのを聴いているとすごいなと思います。

神田 本当は寄席では声を分けちゃいけないんですよ。例えば、先代の(柳家)小さん師匠も声音を変えない。なぜかと言うと、5人までなら何とかなる、でも20人出てきたらできねぇだろう、となるから声音を変えちゃいけない。

──えっ、そうなんですか。

神田 僕もそうですけど、勢いに乗ってくると「女の人だからこの声を出さなきゃ」なんて気にしていられなくなる。話し方の強弱とか明暗、遅い早い、あとはわざと大きく間をとってみたりとかいったことだけで表現していくようになる。だから、「この人だからこういうキャラクター」というのは、漠然としたイメージはありますが、それに忠実に演じ分けようとは思わない。

 まあ、そちらのほうがわかりやすいんですけどね、しっかり分けてやっているのが先ほども話に出た伯山くんです。ただ、悪口じゃないですけど、彼のことをよく言わない人はそれを「クサい」と言うわけです。寄席の芸というのは基本的にクサいのは駄目なんです。もっと言うと汗かいてやっていたら昔、「何、一生懸命やってるんだよ」って師匠に怒られたこともある(笑)。

 織田紘二先生(日本芸術文化振興会顧問)から伺ったんですけど、今、僕らは首を振りながら喋りますが、昔はそんなこともしていなかった。正面を見たままでやっていたって言うんです。あと、ある歌舞伎好きの方がよく言うんですが、今の人たちは「わからない=つまらない」なんだと。わかることではなく、感じることがちょっと欠けているような気がします。

 よく、「講談って難しいですね」って言われるんですが、7割、いや、6割わかればいいんですよ。講釈や落語にはわかんない言葉がいっぱい出てくる。特に初めの頃はそうです。そうするとどうするかって言うと、学ぶわけじゃないですか。今なんか簡単に調べられるから、「調べりゃいいじゃん」って思ったりするところもある。やっぱり楽しみ方が違ってきたのかな。そんな気はしますね。

──クサい芸が駄目というのは江戸文化のいわゆる「粋」と関係がありますか?

神田 それもそうでしょうし、もう一つは江戸は昔、八百八町と言ったんですが、一つの町に一個寄席があった。でも、大きい寄席はないんですよ。今みたいに百人ほど入るわけじゃない。そうすると、20人とか30人とかの寄席で馬鹿でかい声出してたら、うるさいわけですよ。だから寄席の芸は細かくなって、所作に力を入れるようになった。

 逆に大阪は大きいところでやっていましたから、細かいことをやっているとわからないから大きくなっていく。人間の動きも芸もクサく大きくなっていく。笑わせてなんぼっていうところもある。そういう差があります。

 伯山くんはやる会場が大きいし、今のわかりやすさを求めるお客さんに対しては所作が大きいのが正解なんですよ。彼には真打になる前から弟子に入りたいという人がいっぱいいて、これから弟子をとれるようになると皆、彼みたいにしゃべるようになるわけですよね。そうすると、そういう講釈がどんどん増えてあっちがスタンダード、僕みたいなのが古くなる。

消えていった伝統芸のほうが遥かに多い

──講談本は江戸時代に書かれたものが多いんですか?

神田 講談社ができてからだから、明治以降のものが多いと思います。もともと講談社って僕らの台本を売っていたところだから、今でも倉庫にはいっぱい台本がある。僕らはあまりやらなくなった噺をそこから引っ張り出してきて、高座にかけるんです。

 江戸時代より前は字が読めない人が多かったので、そういう人たちに向けて台の上に本を置いて読んでいたから、僕らは「師匠」ではなくて「先生」と呼ばれるんです。江戸時代に入ると特に江戸の識字率はすごく高かったわけですから出版技術がどんどん盛んになってきて、地方へお土産として講談本を持って行く人が増えた。

 明治時代の写真を見ると、烏帽子被って神官の格好をしている講釈師がいるんです。なぜかって言うと、当時は今みたいにテレビやラジオの放送がないから、明治憲法を広めるために地方に講釈師が行ったんですよ。皆を呼んで、「憲法が発布されました」っていうんで講釈師が使われていた。ただ、大正時代の新聞記事を見ると、「講談みたいな古い芸は」って劇評が載っかっているから、明治後半ぐらいから僕らはお役御免だったのかもしれないですね。

──伝統芸というのは「終わる」と言われつつも、それを乗り越えて復活してきたものということでしょうか。

神田 いや、伝統芸って消えていったもののほうが遥かに多いわけですよ。講釈の本に「祭文がたり(デロレン祭文)」っていう伝統芸が出てきますが、今、ほとんどの人が知らないじゃないですか。

 だから、数は少ないですけど、今も講釈師が残っているっていうことはやっぱり何かおもしろいところがあったのか、人に共感されるところがあったのかもしれない。でも、不思議ですよ。僕らが入った頃はもうこの芸能はなくなっちゃうんだと思ってました。それが逆に今、お客さんがどんどん入ってきて、若い人も入ってきている、どこかで何か変わることがある。講釈で言うと、やっぱり伯山くんですね。

──今、動画配信サービスが伸びていますが、生の良さと言うか、価値についてどうお考えですか?

神田 やっぱりライブのほうが良さは絶対伝わりますね。今、若い子たちが配信をやっているっていうお話をさっきしましたが、「これで十分おもしろいじゃん」と思われたら、寄席に来なくなっちゃうんじゃないかとちょっと怖い。寄席はいま3千円近くするので500円でOKだとなれば、そうなりますよね、やっぱり。「あ、こんなおもしろいものがあるんだ。じゃあ寄席行ってみよう」「生で見てみよう」って思えるようなものがあったらいいなと。

 初めての方には「赤穂義士伝(忠臣蔵)」「清水の次郎長」「四谷怪談」などの怪談、そして「宮本武蔵」もおすすめです。この騒ぎが終わったあと、寄席がまたお客さんがいっぱいになったらすごく嬉しいなぁって思いますね。聞き手・本誌 田中広美

ご経歴
かんだ しゅんよう:1971年神奈川県生まれ。テレビ局勤務を経て、2000年神田すみれに師事。06年二ツ目、2014年真打昇進。講談協会会員。
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