知の追求が本義の「大学」と、利の追求が本義の「経営」。これら相容れない二者をどうにか両立させるのが大学経営の役割だ。
少子化による地方大学の衰退、国際卓越研究大学制度の是非、「Fラン」不要論といったトピックを辿りながら、日本の大学経営が向かうべき道を探る。
朝日新聞記者
増谷文生(画像左)
やまもとけんじ:1948年生まれ。山口県出身。京都大学大学院教育学研究科(博士課程)単位取得後、和歌山大学教育学部助手。以後、同大にて研究・教育に尽力。2009年に同学長就任。2015年より一般社団法人国立大学協会専務理事を務める。2022年より現職。大学経営のほか、大阪府南部を中心に保育所事業や地域振興プロジェクトも手がける。主著に『地方国立大学 一学長の約束と挑戦』がある。
ますたにふみお:1971年生まれ。栃木県出身。大阪市立大(現大阪公立大学)卒業後、朝日新聞社に入社。長野、千葉、名古屋、仙台、大阪、京都で勤務する傍ら、大学を中心とした教育分野の取材に精力的に取り組む。2020~25年には教育分野の論説委員も担当。共著に『限界の国立大学─法人化20年、何が最高学府を劣化させるのか』がある。
問題の根源は少子化?
山本 私は現在、学校法人・大阪観光大学の理事長を務めています。大阪観光大学は私の家から1キロ程度の場所にあります。私が国立大学協会専務理事の座を退き、さあ「終活」でもするかと大阪に帰ってきたら、学校法人明浄学院(当時)を担当していた管財人から「経営に携わってほしい」と依頼されました。当時、明浄学院は経営が立ち行かず、民事再生手続きをしている最中でした。管財人は私が和歌山大学の学長や国立大協会専務理事を歴任しているところに目をつけ、助けを求めたのでしょう。
いくら経歴があるとはいえ、私学経営は未経験。周囲からは「やめろ」と反対されました。しかし私は目の前の大学の学生たちと働いている教職員のことを思い、また大学が地元から消えてしまうことを憂い、経営の手伝いに乗り出すことを決意しました。その頃は別の方が理事長になる予定だったのですが、巡りめぐって私が理事長をやることになってしまいました。
私は長らく大学経営事業に携わってきました。幼いころから目の前の理不尽をどうにかしたいという気持ちが強く、学生時代には当然のように学生運動へ身を投じていました。そんな学生の面倒を見てくれる会社はないだろうと思い、また理不尽と闘える自由のある場として研究者の道を選択したのです。そこで社会教育研究に従事するうちに、大学経営の道に入り込み、今に至るわけです。
増谷 私は朝日新聞社会部の記者で、教育、特に大学取材を担当しています。
私も入社当初から教育分野に興味があったわけではありません。入社から10年あまり経った2005年に上司から「大学教育を担当しなさい」というミッションを与えられ、そこから教育分野に関する勉強を始めました。2005年といえば、ちょうど国立大学法人化の直後です。それから他の仕事も挟みながら、合計で10年間ほど大学を中心とする教育の取材に取り組んできました。
山本先生は和歌山大学の学長時代に、国立大学運営費交付金をめぐる問題に積極的にコミットされました。国立大学はこの交付金をメインの財源として教職員給与や研究費を賄っています。それを財務省や文部科学省が減額したり、あるいは競争的な部分を増やしたりすることで、国として合理的な方向に大学を少しずつ誘導しようとしました。そこで山本先生は東北大学など何人かの国立大学の学長を束ねて、財務省や文科省の進め方に異議を唱える記者会見を開きました。2015年のことです。
その後、東京で国立大学協会の専務理事を5年間務められました。そこでも旧7帝大の錚々たる学長たちと議論を重ねたり、時には政治家への陳情やアドバイスも行ったりしました。そして2022年には大阪観光大学の理事長に就任します。正直に言えば驚きを隠せませんでした。「大きな問題を抱えた『Fラン(偏差値が算出できないほど入試で不合格者が少ないボーダーフリー大学が転じて、一般的に知名度の低い大学の意味として使われる)』と言われる大学になぜ敢えて先生が?」と思ったからです。
山本 私は「Fランで何が悪い?」と常々思っています。それに、そういう大学でこそ見えるものがあるという確信があります。
増谷 キャリアを通じて地方と首都圏、国立と私立、あるいは難関と「Fラン」それぞれの大学事情にこれほど精通されている方は非常に珍しく、今回の対談相手としてお声がけさせていただきました。
増谷 先ほど国立大学運営費交付金が削られつつあるというお話をしました。これによって真っ先に疲弊するのが地方の小規模国立大学です。ただ、東京大学や京都大学のような大規模大学だからといって安心はできません。大規模大学は大きな研究設備を設置したり新調したりと支出が多いので、交付金を絞られると経営が苦しくなる。
私立は私立で苦しい局面に立たされています。私立は早稲田大学や慶應義塾大学のような都心にある一部の有名私大が伸長する一方で、地方の無名私大には入学者が満足に集まらない。少子化の影響をダイレクトに受けてしまっています。地方私大は生き残るために入試難易度を下げたり、一般選抜以外のさまざまな入試方法を導入したりといろいろな試みを行っているものの、それを上回る速度で少子化が進んでいます。昨今の大学問題の原因を一言で語るのは難しいですが、第一に挙げるとすれば、それは少子化です。大学や政府はこうした現状をどう捉えているのでしょうか?
山本 たとえば「2100年の日本」と聞くと遠い未来の話のように聞こえますが、今の学生の多くはその時代を生きて目の当たりにすることになります。少子化がこのまま進めば、その頃には日本の人口は4000万人程度にまで落ち込むという推計があります。これは明治維新の頃の日本人口より少し多い程度です。しかも全国に人口が分散していた明治維新の頃とは異なり、首都圏や関西などの一部地域に人口が完全に密集している。その頃には北海道、東北、四国、九州などは今と比較にならないくらい衰退しているかもしれません。
そのため文部科学省は、地域存続について各自治体の首長と大学の学長たちがしっかり議論するよう求めています。「選択と集中」路線を貫けば、自ずと地方から学校が消えていきます。大学だけではなく、小学校も、中学校も、高校も消えていき、地域そのものも消えます。そんな状況を見てみないふりはできない。文科省も矜持があるので「地域の若者が高等教育にアクセスできる機会を残そう」と盛んに喧伝している。だったら私も大阪観光大学の理事長として一役買ってやろうじゃないかと思案しています。
ただ、自治体の首長も大学の経営者も、少子化をそこまで深刻に考えていないように見受けられます。とにかく今を乗り切れたらそれでいいという思考なんでしょうか。私が「2100年に向けていま何をすべきか?」などと言うとびっくりされる。
増谷 図1を見ていただければわかる通り、18歳人口がものすごい勢いで減っています。第二次ベビーブーム期の200万人から40年余りで100万人を切ってしまいます。

こうした事実に気づいてすでに動き出している地方大学もありますが、なかなかそれに気づかない、あるいは気づいてはいても資金や人員の不足から身動きのとれない大学も多い。特に私立大学は大幅な定員割れが続くと私学助成金の削減等といったペナルティを受けます。そうした窮状にある大学には、なかなか遠い未来のことまで見据える余裕はありません。
山本 だからこそ、いろいろなセクターでどうしていくのかを議論していく必要があるわけです。
地方に大学がある意義
増谷 自県進学率というデータがあります。これは、たとえば和歌山県内の高校に通っている高校生らが、卒業後にどれだけ和歌山県内の大学に進学しているかを示すものです。ちなみに和歌山県は40年以上連続で全国最下位でした。なぜかというと、あまりにも大阪府へのアクセスが容易だから。南海線やJR阪和線を使えば大阪府内の大学に通えてしまうんです。
和歌山県内に大学が少ないことも大きく影響しています。2017年までは和歌山大学と和歌山県立医科大学と高野山大学しかありませんでした。県内進学先の選択肢が限られているため、必然的に生徒の流出が起きます。2002年には和歌山県の自県進学率はたったの7%でした。しかし現在は18%にまで上昇しています。若者の県外流出や慢性的な少子化に危機感を覚えた和歌山市と県が、専門職系の大学を四つも誘致したからです。
山本 大学誘致に際して、和歌山市などは補助金を拠出するとともに市内中心部にあった廃校をリニューアルする移転案を提起しました。大学側からすれば土地買収や校舎建造の初期投資を抑えられる魅力的な話でした。そうして四つの大学を誘致することに成功しました。自県進学率が多少なりとも伸び得た背景には、こうした自治体の働きかけがあります。
ただ最近、和歌山県に進出した大学は他地域に本部があり、進退の意思決定権は和歌山県が握っているわけではありません。これから少子化が加速して入学者を思うように集められなくなれば、撤退していく可能性があります。
関西圏で言えば、大規模な大学や付属施設が人口密集地域に移転し話題となっています。そうするとこれまで地域で住民のサービスや専門職養成を担ってきた小規模な機関が踏み潰されてしまうのではないかという危惧が生まれています。競争原理のもとで大学運営を行う限り、こうした問題が起きるのは当然です。だからこそ国立も私立も関係なく、その地域社会に必要な機能をいかに存続させていくかについて真剣に議論をしていく必要があるというのが私の立場です。
私はいち私立大学の経営者ですが、自分の大学の帰趨よりも、地域の「公共財」としての私学のあり方について考えることのほうがよっぽど大切だと考えます。少なくない私学は、家族的経営、家業のような閉鎖的な経営体制の下にあるように見えます。しかしそうした大学の中にも、創立100年を超えるような歴史の長い学校がある。その街の「公共財」として、市民とともに100年もの歴史を歩んできたことそれ自体が素晴らしいのだと私は主張しているんです。自分の大学さえ死守できればいいと考えておられるのでは困ります。地域自治体の首長や住民に「自分たちにとっての公共財だ」と思ってもらう必要があります。
教育機関=「公共財」という認識が浸透していないのは財務省も同じです。文科省は毎年約3000億円を私学助成として拠出しています。現在私立大学は600校程度存在しますが、大学の規模等によって助成額に傾斜がつきます。早稲田大学のような大規模私立であれば100億円程度の補助金が貰えますが、地方の小規模私大であれば数千万円程度に留まることも少なくありません。
歳出を減らしたい財務省が考えているように、仮に地方の小規模私大をすべて潰せば、100億円程度は助成金を抑えることができるでしょう。しかし帳簿上の数合わせのためだけに地域から大学を消し去ってしまえば、地域をさらに衰退させてしまう危険性があることをしっかり理解してほしい。
「知のネットワーク」のハブとしての 地方大学
増谷 たとえば鳥取県には 3校しか大学がありません。鳥取大学、公立鳥取環境大学、鳥取看護大学だけです。島根県や佐賀県も同じような状況にある。地域医療における地元大学の重要性は先に説明した通りですが、ただでさえ大学の少ない地域から、保育士や看護師などの人材を輩出している大学を奪うことは、地域の崩壊に直結しますよね。
小さい県ほどそのことに気がつきはじめています。たとえば佐賀県には今年の4月に県で二つ目の私立大学である武雄アジア大学が新設される。場所は武雄市という人口5万人ほどの小さな自治体です。佐賀県は高校生の85%が県外に進学するため、自県進学率は15%に留まります。これ以上の流出を食い止めたいというのが、新大学設置に込められた願いでした。そうは言ってもこれほど小さな自治体に大学をつくる意味があるのか、私は初めこそ疑問に思っていましたが、現地取材を通じて認識を改めました。経営面に関しては県と市が一丸となってバックアップ体制を敷いていますし、なおかつ日本全国から優秀な先生が集まり、地域社会と密接に連携した知のネットワークをつくりあげようとしている。
山本 東日本大震災が起きたときには、震災地域の大学は大きな役割を果たしました。水産学部のない岩手大や原子力工学科のない福島大学が大きな貢献をした。なぜかというと大学が存在することで国内外に知のネットワークが形成されていたからです。水産や原子力の専門家でなくとも、大学や所属教員の学術的コネクションを駆使することで、それらに関する専門的な情報を収集することができました。
和歌山大学学長時代、私は「紀伊半島における防災・減災に関する和歌山大学の方針作成のための有識者会議」(2013年)を設立しました。南海トラフ地震を見越して、震災前に和歌山大学を中心とした復興計画を練っておこうと考えたのです。すると当時の和歌山県知事は「和歌山大学がやることではない。東大や京大にやってもらえばいい」と言ったのです。和歌山大学には震災復興の専門家はいませんでした。したがって敢えて首を突っ込む必要はないと思われたのでしょうね。しかし私はこう反論しました。「地域を熟知し、地域の方々との信頼をつくっている地元の大学があるからこそ、外部からの支援も有効になる」と。
社会は、大学を単なる単体として見ていると思いますが、有機的な知のネットワークのハブとして大きな広がりや可能性を持っています。
近年では大学が主体的に教育や地域貢献に注力するようになりました。従来の大学は研究への注力に比して足元の地域への関心が欠如していたことは否めません。それが結果的に「大学はいらない」という世論を生んでしまっていましたからね。大学が存在することで地域にどれだけプラスの作用があるのかということを、大学側から地域・自治体にどんどんアピールしていくことが大切です。

