21世紀も4分の1が過ぎ、次の四半世紀が始まる。過ぎた25年は、コンピュータの能力が飛躍的に向上し、その用途が電子メールからスマートフォンへと急速に拡大した。19世紀に開発が本格化した電話は市井に普及するのに1世紀かかったが、それに匹敵する情報通信技術の革命的な進歩が四半世紀の間に2度起きたに等しい。

 一方、これからの25年は、日常生活や社会におけるAI(人工知能)の存在感がますます高まる時代になるであろう。米国『TIME』誌は毎年恒例の「今年の人」(Person of the Year)に、2025年は「AIの設計者たち」(The Architects of AI)を選出した。『TIME』誌の表紙は、OpenAI CEOのサム・アルトマン氏をはじめとするAI技術の発展を牽引してきた8人の企業経営者たちが飾っている。『TIME』誌にしてみれば、「人」を選ばなくてはいけなかったので「設計者たち」を選んだが、本当はAIそのものを選びたかったのではなかろうか。

 そんなとき、イルカのヒット曲『なごり雪』の一節をふと思い出した。

なごり雪も降るときを知り

ふざけすぎた季節のあとで

 
 さて、ChatGPTやDeepSeekのような生成AIには、「なごり雪」が理解できるだろうか。「なごり雪」は「落ちてはとける」ので後には残らない。AIが使うビッグデータの記録にも残らないであろう。しかし、人の心の中には楽しき思い出として残る。「なごり雪」の理解には、こうした記録に残らない記憶に留意することが必要になるのであるが、AIにはそれができない。もっといえば、コミュニケーションの要諦は相手のことばを聴くことにあるが、過去の記録しか考慮しないAIにそれができるか。

 次の四半世紀に世界の舞台で主役になっていくのは、「Z世代」や「α世代」とよばれる21世紀に入ってから誕生した世代である。どちらもデジタル端末やSNSに囲まれて育った。小学校(慶應義塾幼稚舎)教諭でもある慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦氏は、α世代へのメッセージとして「タイパよりAIより自問自答」と語っている(『日本経済新聞』電子版12月30日付)。この25年、コンピュータの進歩により、老若男女を問わず日常生活は便利になって、タイパ(タイムパフォーマンス)は大幅に改善した。AIはタイパのような価値中立的な問いに対しては「答え」を与えてくれる。社会科学の世界においても、ビッグデータを使った計量分析が盛んに行われ、多くの知見を生み出した。それに対して、AIの時代には「人や社会、国家や世界はどうあるべきか」というような規範的(normative)な問いが肝になってくるように思われる。

 こうした問いに対する答えは各人の価値判断に基づくので、AIがどんなに過去のデータを掘り返してみても答えらしきものにすら辿りつけないであろう。逆にいえば、価値判断をともなう問題に対する答えを粘り強く追求していく胆力という能(脳)力がない人は、人間より優れた知能を持つ存在が現れたら、すぐに淘汰されてしまうのではないか。

 幸い、筆者が接しているZ世代の学生たちは正義や平等といった価値判断をともなう問題への感度が高い。たとえば、民主主義に関わる問題も、有権者の投票行動のような経験的(empirical)な問いに対する答えを踏まえて、規範的な議論に踏み込んでいく。気候変動をはじめとする環境問題も同様である。そもそもAIをめぐる議論も価値判断を問われる規範的な問題である。簡単に答えが見つかるわけではないが、お互い自問自答しながら、相手の見方に耳を傾ける。談論風発、その過程を楽しむことこそ人にしかできない営みであろう。

 計量分析に長けた政治学者が「AIがあれば、リサーチアシスタントは必要ない」と言っていた。しかしながら、社会科学者の使命というのは論文を書くことだけではない。「どうやって社会に貢献するのか」「どんな人間になりたいのか」と自らに語りかけながら、あらゆる方向にアンテナを張って、これぞというシグナルをキャッチすることが大切なのである。

 共に学んだ日々は人の心に灯をともし続ける。そんなことは、AIには到底できない芸当なのである。

サザンメソジスト大学(SMU)准教授

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