国際卓越研究大学とはいうけれど……
増谷 近年、国際卓越研究大学という国の政策が注目を集めています。国内では東北大学、東京科学大学が認定を受け、京都大学も認定される見通しです。
山本 これも国の「選択と集中」方針の最たるものですね。財務省や文科省は多くの大学に一律に配る分を減らし、一部の有力な大学に資金力や研究力を集約しようと考えています。
増谷 国立大学の法人化以降、そうした風潮は顕著ですよね。確かに、大学の詳しい事情を知らない方からすれば、一部の優秀な大規模大学を除いて大学数を減らそうとする国の方針は、むしろ歓迎すべきものと感じるかもしれません。しかし先生がおっしゃったように、小規模大学を簡単に潰してしまうことには、地方を中心に大きなリスクがある。
山本 有力な大学に資金が大量投下されること自体は素晴らしいと思います。ただ、多くの大学への投資を削り、そのぶんを優秀な大学に回すというやり方はいかがなものか。これは要するに、国が管理する競争主義ですよね。卓越大にしてみても、年3%の事業成長をするというノルマが課せられています。未達なら卓越大の看板を外されたり、国からの助成を大幅に減らされたりします。そういった厳しい縛りとプレッシャーの中で、学術共同事業体が健全に発展するとは思えません。
2018年11月には、当時の財務省が、国立大学運営費交付金のうち各大学の教育や研究の評価に応じて配分する枠を10%に拡大する方針を示しました。そのとき私は、当時の国大協会長の山極壽一さんと一緒に財務省まで抗議に行きました。応対した主計局次長は「競争こそが成長や発展を生む」というマインドの方でした。彼は省庁や企業のロジックが、大学組織に対しても適用可能だと考えていたのでしょう。
ただ、研究者の多くは別に偉くなりたくて研究しているわけではありません。自分の興味関心を突き詰め、学術の発展に寄与したいだけです。省庁と大学とでは有効な組織論がまったく異なるということをもっと理解してほしかったですね。
先日、京都大学関係者から、国際卓越研究大学への申請書を創る過程で大学内、経営者層の間でも摩擦が起こっていると話を聞きました。そしてそんな雰囲気の中で働いている職員がいる。競争原理によってプラン作成の段階からすでに組織の健全性が損なわれているのではないかと心配になりましたね。
私自身も10年在学したのでよくわかりますが、京大と言えばやっぱり自由な校風です。卓越大の計画で掲げられた「デパートメント方式での効率的管理」といった方針は京大には根本的にそぐわないように思います。学生も教員も、上から厳しく管理されることに強い反感を抱いていますから。
この方針に修正を加えたのが、昨年に金属有機構造体の開発でノーベル賞を受賞した京大理事の北川進さんだといいます。北川さんは自身も京大の自由な雰囲気の中で研究をされてきた方ですから、基礎研究の重要性をよく理解しています。そこで研究の評価指標に「伏流性」と「積層性」を追加したそうです。成果が出やすい研究ばかりではなく、長い時間をかけてゆっくりと価値が出てくるような研究もしっかりと評価していくべきだと北川さんは考えるわけですね。彼のような「ブレーキ役」がいたことは、京大にとって非常に幸運だったと言えるでしょう。
「ガラガラポン」で消える伝統
増谷 現在継続審査を受けている東大も学部の権限が非常に強く、大学本部による統制を嫌う大学です。卓越大になることに反発する声は多いですよね。
山本 東大の教員陣には卓越大化によるマイナスの側面に気がついている方も多いのでしょう。
たとえば東北大学は卓越大認定を受けるにあたり、今までの学内制度を軒並み刷新したわけですが、これは言い換えれば「既存の制度に見切りをつけて新しい大学に生まれ変わらない限り、卓越大として認められる見込みは薄い」ということでもある。しかし何でもかんでも「ガラガラポン」するやり方が本当に正しいのでしょうか?
たとえばイギリスのオックスフォード大学では、制度の「建て増し」はしても、古い制度をむやみに潰してしまうようなことはしていないと言います(苅谷剛彦・吉見俊哉『大学はもう死んでいる?トップユニバーシティからの問題提起』集英社 2020年)。有名な例だと、オックスフォードの卒業試験は今でも自筆(ハンドライティング)だということです。良し悪しはさておき、一つの制度が中世の頃から今に至るまで連綿と続いているわけです。そこへ時代に応じて新しい制度が適宜導入されていくという、過去と現在のハイブリッド方式ですね。
こうした例を踏まえると、既存の価値をすべて入れ替えない限り新しいものとして認めない、予算もつけない、という卓越大の制度設計は、アカデミアにおいてはマイナスに作用する側面が非常に大きいのではないでしょうか。ある程度なら目標を定めてもいいけど、裁量はこちらに握らせてほしい、というのが大学側の本音ですね。
ただ、日本は欧米と異なり大学の歴史が浅い国です。大学の設立契機や過程に関しても、海外大学のそれとは大きく異なります。そういう意味で、今回の卓越大制度は国と大学を巻き込んだ壮大な「歴史的実験」と言えるかもしれません。吉と出るか凶と出るかはまだわかりません。
増谷 海外大学とはあらゆる事情が異なるというのはその通りだと思います。それを踏まえて制度設計していく必要がある。たとえば日本は資金力でも欧米や中国に劣るわけですから、各大学が自由に使える共同利用機関のようなものに集中的に投資するのも一つの手ではないかと思います。
競争か共同か
山本 国大協在職の時、広報誌『国立大学』(2018年夏号)の取材で元国立天文台の海部宣男さんにインタビューしたことがあります。そのとき海部さんは、ノーベル物理学賞受賞記念の京都大学湯川記念館(現基礎物理学研究所)での設備の共同利用についてこう述べています。「敗戦から間もない時期で、研究を支える資金が乏しかったが、共同利用という形で一カ所に重点的に装置を整備するのは、非常に効率的だった」と。ところが国立大学が法人化されたことで、「大学は独立した組織、互いの競争が激化し、共同利用はその個別の檻の中で機能を失ってしまった」のだと。
私流に解釈すれば、小国が世界の最前線を走ろうとする場合、二つの道があります。一つは競争の道。大規模投資のできるアメリカ、中国のような超大国であれば競争はかなり有効でしょう。競争によって何かが潰れても、そもそもの母数が多いので痛くも痒くもないわけですから。もう一つは海部さんの言う共同の道。つまり互いに協力しながら目標を達成していくという道ですね。日本は歴史的に見ても本来共同の道のほうが有効なのではないかと思います。
単純に言えば、財務省の価値観(=競争)と海部さんの価値観(=共同)のどちらで学術や高等教育の制度設計をするのかが問われている状況であるということです。
増谷 宮城県仙台市の東北大の敷地内に「ナノテラス」という放射光の実験設備があります。ここは国の施設ですが、大阪公立大学など全国10大学が実験を行っています。非常に特殊な設備なので、ここでしかできない実験も多いんですね。
東北大は日本初の卓越大であるわけですが、国から集中投下された資金で設けた設備などを、このように他大学にもどんどん開いていってほしいですね。地方大学や海外大学とうまく連携していくほうが、多様性の確保にもつながり、中長期的には大きな研究成果にもつながるでしょうから。
大学の企業化 教員の反応は二極化
山本 しかしここで思い出したいのが、卓越大に課される「毎年3%の事業成長を上げ続けなければいけない」という目標です。東北大や科学大は極端に規模の大きな大学ではないので、支出の3%の利益は上げやすいでしょう。一方で東大や京大は非常に支出が大きい。年に何千億円もの支出がある中での3%ともなれば、非常に大きな額になります。そこばかりに注意を向けるようになれば、他大学との連携を考えている余裕はなくなってしまいかねません。
そもそもこの3%という目標自体が漠然としています。放っておいたら大学がサボるんじゃないかという憶測から、ただなんとなく「毎年3%成長しろ」と言っているかのようです。だから大規模な大学であればあるほど、増益が最優先となって周囲との協力関係がおざなりになるのではないか、と心配になります。
官僚や大学外の民間企業経営者出身の大学経営者たちは学術事業体に対する解像度が低い方が多い。企業的な経営手法がそのままアカデミアにも通用するはずがありません。私立大の理事長に企業の社長が就任することがありますが、そうした「敏腕経営者」が即時的な利益を生まない研究をバサバサ切っていき、その結果内部から反発を受けて退任したという話も聞きます。反発で済むならまだしも、研究者たちがこぞって大学を去ってしまうという最悪のパターンもありますからね。
研究者側にしてみても、自分の専門分野に閉じこもり、その他のことには無関心を決め込んでしまう方が最近は多い。2015年の学校教育法改正で、教員同士の学術教育組織問題の議論を封じたことが、研究者の無関心をいっそう助長したと私は考えます。
和歌山大学長の頃、私は教員に「みなさんの好奇心に基づく研究は永久不滅です」と繰り返し伝えていました。しかし併せて、「自分の研究が、自分の属する教育組織にどういう貢献ができるかという自らの答えをもち、大学という組織、そして学生に説明する責任がある」とも問い続けました。私は教員を管理し、方向付けしたいという発想は持ちませんでした。組織全体としての目標を示したおおまかな地図を提示しただけです。地図はここにあるから、そのどこに位置取るかは皆さんで考えてくださいね、と。
しかし、近年では、大学側が研究者に金銭的なインセンティブをちらつかせることで、どうにか組織運営への意識を高めようとする動きも出てきています。
増谷 たとえば東北大には、卓越大になる前から成果連動型の給与体系がありますが、これを駆使して毎年何千万円もの収入を得ている教員もいるのだと、冨永悌二総長がおっしゃっていました。どこの国立大学でも学長の収入は学内トップクラスですが、冨永総長は11番目だそうです。総長よりも収入の高い教員が学内に10人もいらっしゃるということです。
とはいえ従来型の給与体系のまま勤務されている先生が大多数です。彼らが一部のトップ教員を見てギクシャクしないように気を配っていると冨永さんはおっしゃっていました。
山本 大学教員の減少も由々しき問題です。和歌山大学も、私がいた頃は最大で330名いた教員が、今や210名にまで激減している。少子化や運営費交付金の減少等の原因で財務状況が悪化しているので、大学側も定年退職した教員の後釜を取らないといったかたちで段階的に人員を削減しています。
和歌山大は、学部学生が1学年約900人、全部で約4000人おり、それに対して教員は330人。教員を210人まで減らすのであれば、本来は学生定員も1学年600人程度に抑えなければ教育の質を担保できません。
増谷 教員(Teacher)1人に対する学生(Student)数を示すST比という指標があります。大規模私立の特に文系学部は、ST比が1対50~60のところが多く、問題視されています。しかし、このままでは、国立大のST比が大規模私立大に近づいてしまいかねません。
山本 昔の国立大は先生1人に対して学生20~30人程度の比率だった。しかし法人化され、組織を維持する経費が10数年にわたり削減されたことで、支出の大半を占める人件費の確保も困難となり、教員の総数を減らさざるを得なくなりました。加えて研究費の削減ですよね。聞いた話では、年間に5万円程度しか研究費をもらえない例もあるといいます。こんなもの、国内出張しただけで飛んでいくような端金ですよ。
人件費、研究費ときたら次は設備費ですかね。図書館の蔵書数なんかが減っていくかもしれません。
増谷 実際、蔵書数を減らしたり、購読するオンラインジャーナルを減らしたりする大学も多いんですよ。ただ、有力なオンラインジャーナルを手がける会社が世界で数社しか存在しないので、価格を吊り上げられてしまっている問題もあります。正規雇用の教授を簡単に解雇することもできませんから、細々とした経費削減でどうにか経営を維持しているような状況です。
