GAL/TAN軸
板橋 作内さんとは最近70年代から80年代のヨーロッパの政治変容について共同研究したことがあって、その研究成果を網谷龍介先生(津田塾大学教授)の編纂で『戦後民主主義の革新 ─ 1970~80年代ヨーロッパにおける政治変容の政治史的検討』という一冊の本にまとめたことがあります。
この共同研究は、戦後ヨーロッパはリベラルデモクラシーを築いたと言われているが、実際は戦後直後はそれほどリベラルでも民主的でもなかったのではないかという問題意識が出発点にありました。では現代の自由民主主義の起点はいったいどこにあったのだろうか、という話になり70年代に焦点を当てることになったわけです。
今の作内さんのお話しでも、オランダでも70年代以降、「柱」が崩れていったことが現代の政党政治が始まる一つの重要なポイントになっていました。柱状化は日本人にはちょっと想像しにくいのかもしれませんが、それぞれに異なる世界観を持つ人々の集合(柱)があって、柱ごとに政党を持っていました。そうした各政党が妥協を通じて政治を運営していたのが、「多極共存型民主政」と呼ばれる、戦後ヨーロッパの合意の政治の一つのかたちでした。
有権者のアイデンティティに応じて政党が分かれているが、各政党が市場経済とリベラルデモクラシーの枠内である種コンセンサスの政治を行ってきました。そこに極右が活躍する余地はなかったのですが、70年代に入って柱状化が崩れてくると、先鋭的な政党が出てくることになる。
オランダ以外でもスイス、オーストリア、ベルギーなどが多極共存型民主政の典型的な国ですが、これらの国々でも脱柱状化が進むとやはり右翼ポピュリズム的な傾向を持った政党が登場ないし復活してくる。スイス国民党や、オーストリアの強力な極右政党である自由党の台頭などは典型的な例です。
「柱」の解体は、結局のところ個人主義化の進展を意味していますよね。そして既成政党でも、この個人化に対応できたところとできなかったところが分かれてくる。(西)ドイツの中道保守のキリスト教民主同盟(CDU)──いまの首相のメルツが所属する政党──は、うまく対応できた事例だと言えます。ここは一つの分岐点だったのだと思います。
さらに重要なのは、個人主義化と並行して進んだ、70年代以降の争点の多様化です。戦後は経済的な対立軸が重視されてきましたが、この時期から経済には還元されない脱物質主義的な争点が新たに浮上してきます。アメリカの政治学者のロナルド・イングルハート(ミシガン大学教授)はこの現象を「静かなる革命」と呼びました。
最近の政治学では、いわゆるGAL/TAN軸がよく使われるようになっていて、一般のメディアにも普及してきました。GALはGreen(環境)、Alternative(価値観の多様性)、Libertarian(自己決定)の略です。Alternativeは最初フェミニズムから始まりジェンダーなど多様な生き方を許容する立場の人たちを意味します。特に環境運動とフェミニズムの推進力は大きかったのだと思います。ドイツではそこから緑の党へ結実するような動きが出てきます。
当然それに対する反動も出てきます。それがTAN軸でTraditional(伝統主義)、Authoritarian(権威主義)、Nationalist(国民主義ないし民族主義)です。伝統的な社会を強調し、権威的な価値をもう一度掲げ、国民の価値も強調するというイメージです。のちにイングルハートは、「右翼ポピュリズムは文化的バックラッシュだ」という言い方もしています。つまり70年代以降に進んだ文化や価値観の変容に対する反動として、右翼ポピュリズムが伸びているというわけです。
作内 右翼ポピュリズムが吹き出したのは、GAL的な価値観の反動でもあると。
板橋 さらに言えば、冷戦の終焉が欧州各国の内政にも影響を与えたことは間違いありません。ドイツは何と言っても東西に分かれていた国が統一されましたから、大きなインパクトがありました。そして、後段でお話しするように、旧東ドイツの地域でAfDが根付いている。
イタリアの場合は、共産主義と戦うという保守政党のレゾンデートルの一つが消え失せたことで、政党システム自体が壊れてしまうことになった。そうした中で、行き場を失った保守が移民・難民といった争点に目を付けるようになった側面もあります。
中・東欧は民主化していきますが、しっかりした組織をもつ政党がなかなか根付かない中で、オルバーン首相のハンガリーの「フィデス」あるいはポーランドの「法と公正」のような右翼ポピュリズム政党が一方で出てきます。
作内 こうして見ていくと冷戦の終焉はやはりインパクトがあったことがわかりますね。
EUは「人民の敵」?
板橋 それから決定的なのがEUの存在ですよね。ここは日本と比較して大きく違う点です。ポピュリストは国際機関やグローバル・エリートを「人民の敵」として攻撃しますが、ヨーロッパではブリュッセルのEU官僚が格好の標的となります。ポピュリズムは常に「われら人民」とは異なる外部の敵を必要としますが、EUはとてもわかりやすい敵として存在しているわけです。実際にEUは加盟国の主権を制限する強い権力体ですので、何でもかんでもEUで決められていくことには我慢がならない、「あいつらがダメだ」というレトリックをとることができる。ドイツでも、おそらくオランダでもそうだと思います。
作内 ありますね。その点ではオランダのほうが影響は大きいのかもしれません。最近一番、問題になっているのは農業です。オランダは農業のとても盛んな国で、金額ベースではアメリカに次ぐ世界第2位の農産品輸出国です。いろいろな農業が盛んですが、畜産は特に大きな産業に成長しています。
畜産が問題になっているのは、飼育している牛や豚たちの糞尿やゲップによって温室効果ガスである窒素酸化物を排出することです。EUはこの排出量を制限しなければならないと言っているので、畜産業の人たちと鋭く対立している。
板橋 ドイツでも一昨年あたりから農業従事者がトラクターを繰り出して道路を封鎖する、EUないし政府の環境規制に抗議するデモが起きています。
作内 オランダは日本と対照的ですけれども、農業の規模の拡大と合理化をずっと進めてきましたから、一つの農場で大量の牛や豚を抱えているんですね。その分たくさんの窒素酸化物が排出されています。それを今度はEUの基準に合わせるために、飼っている家畜の数を減らしましょうという話になるわけです。国策に従って無理やり増やさされてきたところに、今度は減らすことを求められている。それに対する補償も十分でなければ、畜産農家は当然強く不満を持つことになります。
こうした背景から「農民市民運動」という新しい政党が出てきました。この政党はEUに対して懐疑的な立場を取っています。ただしEUから離脱すべきだという立場ではありません。畜産業者からすれば、EUから恩恵を得ていますから立ち位置は微妙なところがあります。
農民市民運動に投票するような層は、ポピュリスト政党にもある程度つながりやすい傾向があります。先ほどの「高齢者の党」のケースと同じように、他の何かに責任を転嫁するほうに向かうわけです。
オランダでは農業自体が社会のなかで広く浸透しているので、利益が拡散してしまっています。さらに拡大したい農家もいれば、それは限界だから有機農業や観光農業で食べていくべきだと考えている人もいます。なので今は、農民という一つの括りで何か共通の主張をするということ自体がほとんど不可能になっていて、曖昧なことしか言えなくなっている。そうすると何かが実現できるわけもないので、敵をつくって攻撃するという方向に行きやすくなるのだと思います。
EUの温室効果ガス規制は、オランダ社会の至るところに影響を与えています。いま住宅が本当に足りていないことが大きな問題になっていますが、不足している一つの理由がEUの温室効果ガスの規制でした。この制限があるために住宅建設が滞っていたので、それもまたEU懐疑主義に結び付く。もちろん、移民が入ってくるために自分たちの住宅が不足しているという話にもなる。住宅不足はまさに他責的になりやすい課題ですから、右翼ポピュリズム政党が伸長する要素の一つになっているのだと思います。
板橋 EUの存在がポピュリズムに影響を与えているという点で、もう一つ付け加えておきたいのは、EUが文化的なことにも口出しするようになったことですね。たとえば、近年ヨーロッパでの生活が大きく変わったことの一つに、EUの規制で公共施設や飲食店の中ではタバコが吸えなくなったことが挙げられます。外ではプカプカ吸っていますけどね。昔は大学では教授も教室でタバコを吸っていたりしましたが、今は教室でもレストランでもタバコを吸うのは厳禁です。
つまりEUは強固な政治体になるにつれて、文化的な面にも口出しするようになってきた。私は「おせっかいなEU」と表現していますが、いまやEUは各国の歴史認識など、いろいろな点に口出しをするようになっているので、それに対する反発が高まっています。今では欧州議会選挙をやるたびに、逆に欧州懐疑主義政党が伸びるきっかけになるという皮肉な状況になっている。
旧東ドイツのコミュニティに根ざすAfD
作内 先ほど「ドイツのための選択肢」は旧東ドイツで支持を拡大しているというお話がありましたが、その理由には何があるのでしょうか?
板橋 AfDは今年2月の連邦議会選挙ではドイツ全体で20・8パーセントの得票率でしたが、旧東ドイツ地域では32パーセントです。旧西でも18パーセントぐらい取っていますから、西でもずいぶん支持を拡大しているのですが。24年には旧東で三つの州議会選挙がありましたが、そのうちチューリンゲン州では第一党になり、他の二つの州でも第二党になっています。
1990年に東西ドイツが統一して35年経つわけですが、なぜ旧東ドイツ地域でAfDが強いのか。いろいろな説明がされていますが、依然として東西間の格差があることが大きいです。失業率や実質的な賃金などはずいぶん差が縮まったのですが、ステータスをめぐる格差は未だに大きいのが現状です。ドイツの大企業やエリートが就くような仕事には東の出身者が少なくて、西側出身の人ばかりになっている。本社の所在地を見てもだいたい旧西側に集中しています。そもそも旧東は労働者が多い社会主義国でしたから、資産の保有にもかなり格差があります。
びっくりする数字としては、統一後30年に国が採ったアンケートによれば、旧東地域の住民の半数以上が自分たちを「二級市民」だと感じているという結果が出ています。AfDはこうした劣等感を煽り、利用することに成功しています。彼らの多くは西側出身なのですが。
その背景には、旧東ドイツでは既成政党の怠慢もあり、政党政治がなかなか根付かなかったことがあります。もともと東ドイツ(ドイツ民主共和国)は社会主義統一党の独裁で、その後継政党として民主社会党(PDS)がありました。統一後しばらくはこの政党が旧東の代弁者でしたが、なかなかうまくいきませんでした。他方、もともと西側の政党であるキリスト教民主同盟や社会民主党は、東で組織化することをサボってきた。
そうした中で、旧東側に浸透を図ったのが「ドイツのための選択肢」に連なっていく極右でした。いまや旧東の地方部では、事務所を構えている政党がAfDだけという町も多くなっているそうです。つまり地域社会をケアしてくれる政党としてAfDは存在感を増しているのです。そこはかなり自覚的にやっていて、地域の催しに出席するようなこまめな活動を怠らない。それからドイツの地域社会で重要な組織に消防団があります。日本の消防団と似ていますが、ドイツの組織率は日本の倍以上あり、青年部はとても充実しています。AfDはここにも浸透を図っています。また、ドイツのPTAにあたる「父母会」組織にもAfDは積極的に関わろうとしているようです。
このようにAfDはすでに旧東ドイツ社会に根差し始めており、これからCDUやSPDが挽回していくことはかなり難しいのではないか。もちろん頑張らねばなりませんが、もう手遅れなのではないかと思わせるところがあります。AfDへの支持は今後も増減はするのでしょうが、岩盤の支持層を旧東で得てしまっている。根付き方という点では、おそらくポーランドやハンガリーでの右翼ポピュリズム政党と同等か、あるいはより深いかもしれない。
作内 AfDは地域をケアする人材をどうやってリクルートしてくるのですか?
板橋 このあたりの正確なデータや調査はとても少ないです。ただ、政治家レベルだと圧倒的に西出身の男性が多いのですが、草の根でAfDを支えているのは、年配の人が多いのではないかと思います。旧東では政治活動をやっている人たちが既成政党に所属していないことが多く、そういう中からAfD支持が拡大していきました。中には1989年の平和革命で頑張った人たちもいます。最近観たドキュンタリーでは、年配の男性が「自分は平和革命では街頭に出て政治活動をしていたが、既成政党にはもう期待できない。だからAfDの支部で頑張っている」と話していました。89年に街頭に出た人たちがAfD支持者となるのは多くはないとは思いますが、そういう人たちもいるということです。
もう一つ、旧東ドイツは街頭で政治的なメッセージを発することを好む人たちが多いという特徴があります。代議制民主主義に対する不信があるときには、街頭に出て訴えるわけです。
旧東ドイツのドレスデンから生まれた反イスラーム系移民・難民の社会運動として、ペギーダ(「西洋のイスラーム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」の略称)という団体があります。彼らは「月曜散歩」として月曜日に街頭でデモをするのですが、これは89年の市民革命時に行われていたことの模倣ですね。
右翼ポピュリズム政党の支持者が孤独な人たちとは限らない?
作内 最近の関心で言えば、旧東の若者へのSNSの影響はどうでしょうか?西に比べて強いのでしょうか?
板橋 西に比べて強いかはわかりませんが、旧東の地方部は娯楽が少ないのでスマホばかり見ている若者やもう若者とは呼べないような人たちがたくさんいます。ドイツだと若者に一番影響力があるのはTikTokなんですよね。実は前回の選挙では東ドイツの社会主義統一党の後継政党である左翼党にも票が集まったのですが、これもSNSの影響が非常に大きかったと考えられています。
作内 SNSは都合のいい部分しか見せないという問題が指摘されていますよね。見る側のほうとしても、そこにのめり込んでしまう要素があるのですかね。
板橋 そうですね。私もAfDのTikTokばかり見てしまいます(笑)。
作内 娯楽の少なさもあって、見続けてしまうと。聞いていて、とても興味深いと思ったのが地元の消防団やPTAなどにも入り込んでいるというお話です。
よく言及されていますが、市民社会や人との繋がり、関わりがあると、右翼ポピュリズム政党には投票しにくいという説があります。つまり排外的な政党に入れるのは、社会から孤立している層ではないかという見方ですね。ヨーロッパの研究だと、そうした傾向が見られることが多いという話でした。一方でアメリカの研究だと、むしろそうした地域での活動に積極的に関わっている人たちのほうがトランプに投票しているという研究もあります。
旧東ドイツにおけるAfDは、孤独な人たちに支持を広げているというより、社会との繋がりが濃い人たちのほうがAfDに投票しているのかもしれませんね。アメリカ型に近い印象を受けました。
村に一軒しかないパン屋がAfD支持者
板橋 ここは政治学的にも重要な論点ですよね。戦前のドイツでなぜ人びとはナチを支持するようになったのかというテーマについては、今に至るまで長く議論が続いています。ドイツの社会心理学者エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』が代表的な古典ですが、伝統的な社会が解体して個人主義化が進む中、「孤独な人たちがナチに走った」という言説はずっと前からありました。その一方で、シェリ・バーマン(米コロンビア大教授)のような政治学者は、活発な市民社会、濃密な各種組織・団体のネットワークこそが、ナチの急速な拡大を可能にしたと論じています。このようにナチについても2つの説があるわけですが、今の社会を見ていると、おそらくその両方なのだろうと私は考えるようになっています。
この点で、社会学者の森千香子さん(同志社大学教授)が『世界』2024年9月号に寄稿された「『まともな人間の証』を求めて──フランス、農村の極右支持を読む」はとても勉強になりました。フランスの農村部の若者は国民連合(かつての国民戦線)支持者が多いのですが、トマ・ピケティたちは農村の人びとの孤独からそれを説明します。けれども、最新の研究によれば、農村における「つながり」や相互扶助のネットワークの強さが重要で、そこで極右への支持が「人間関係の潤滑油」として機能しているようです。一部の農村では、国民連合支持が「まともな人間の証」にすらなっていると。
旧東ドイツでも似たようなことが起きています。ちょうどドイツの社会学者シュテッフェン・マウ(フンボルト大学教授)の『統一後のドイツ』の日本語訳が出版されたばかりですが、この本では旧東ドイツのコミュニティの中には、もうフェイストゥフェイスでAfDを批判すらできない地域が出てきていることが紹介されています。例えば、村に一軒しかないパン屋の主人がAfDの支持者だったりする社会だと、AfDに反対する声を上げることはとても難しくなってしまう。ライプツィヒのような大都市なら可能でも、地方だと反AfDは自分の人間関係すべてを壊しかねない。いろいろな地域で同じようなことが起きているのではないかな。
人とのつながりこそが右翼ポピュリズムの票田になっているケースと、孤独な人が、例えばTikTokの世界にのめり込んでアルゴリズムでどんどんAfDの動画を供給されて支持者になってしまうようなケースと、おそらくその両方があるのだと思います。
作内 民主主義のある種の場所の取り合いが起きているのかもしれません。党が主張に一貫性がないとか、事実無根のことを言っているといったマイナス要素より、どれだけコミュニティで汗をかいているのか、あるいはその場の空気のほうが、投票行動にとって重要な意味を持っている。
板橋 そうなんですよね。「それは間違っています」とこまめに訂正していくことは大切なのですが、それが気楽にできない社会がすでに登場しています。そういう意味ではとても難しくなってきた。
太陽光パネルが故郷の美しい景観を損ねている
作内 先ほどGAL/TAN軸という文化的な左右軸の話をしましたが、東京大学の中井遼さんがよく指摘されている通り、必ずしもそう単純に分かれているわけではありません。入れ子のようになっている側面もあるし、実際はもっと複雑です。オランダの右翼ポピュリスト政党の場合だと、もちろん反移民・反難民という点ではある程度は共通しています。ただ自己決定という点でいくと、例えばジェンダーについては他の国の右翼ポピュリスト政党と比べてかなりリベラル寄りだったりします。AfDもいわゆるTAN政党なのですか?
板橋 難しいところですね。彼らのスローガンに「父、母、子ども」というものがあり、基本的には伝統的な家族観を打ち出しています。その一方で、共同党首で前回の選挙で首相候補だったアリス・ヴァイデルは同性愛者で、スリランカ出身の女性と事実婚関係にあります。
AfDがジェンダー争点をもち出すときは、とても恣意的です。伝統的な家族観を掲げる一方で、イスラームを排撃したいときは、「女性や同性愛者の人権を侵害するイスラームは、西洋の民主主義や自由に適合しない、だから出ていけ」といった論法となるわけです。他の西欧諸国の右翼ポピュリズムにも見られますが、リベラリズムを反イスラームの論拠として利用する。このようにAfDは、ジェンダーに関しては二通りの使い方をしています。
作内 環境についてはどうでしょうか?今の文化軸で言えば、左の争点になっていますが、実は昔は、環境争点は保守派の争点だったこともあります。ですから、環境争点は時代に拘束されていて、必ずしも立場が定まった問題ではないわけです。AfDのスタンスはいかがですか?
板橋 環境争点は、ある意味でAfDという政党の根幹にあるのではないかと考えています。やはりドイツでは緑の党の存在がとても大きいわけです。ドイツの緑の党は国政与党の経験が複数回あり、ヨーロッパにある環境政党の中ではおそらく最強ですよね。こうしたなか、AfDは2016年に原則綱領というものを定めているのですが、すでにこの時点で反「環境保護政策」を打ち出しており、この点では現在まで一貫しています。AfDはつねにメルケルと緑の党を攻撃してきたわけですが、今はメルケルがいなくなりましたから、緑の党に矛先が向いています。特にSNSではとにかく緑の党を罵倒する。
右翼ポピュリズム政党にとって、気候変動問題それ自体を否定することが一つの売りになっていますよね。AfDにも、そもそも気候変動などないという完全否定派から、気候変動は人為的なものではない、あるいは人為的な対応ではどうにもならないといった議論まで、さまざまな気候変動否定論があります。ドイツでは環境問題が争点になりやすいがゆえに、AfDもこうした議論を展開する。
作内 夏の参院選で躍進した参政党の党員の方が、郷土の豊かな自然を守るためにジャンボタニシを稲作に用いることを提案していました。ジャンボタニシは外来種で日本固有の生態系を破壊する存在ですから、言っていることはかなりおかしいわけです。ただ、郷土の自然を守りたいという意識があることはわかります。AfDにも郷土愛的な側面があるのでしょうか?
板橋 AfDのTikTok動画を見ていると、風力発電や太陽光発電は故郷の景観を破壊する存在だと強く批判しています。「我が祖国、我が故郷(ハイマート)」の美しい景色を台なしにしていると。日本でも太陽光パネルを敷き詰めたことで、山の景観を破壊してしまったという意見はよく聞かれますよね。
参政党の場合はスピリチュアルな要素も感じます。
作内 ヨーロッパだとスピリチュアルな人たちは緑の党に投票しているという研究があります。
板橋 わかりますね。ヨガとか好きな人たちは、確かに緑の党を支持している感じがします。ミュンヘン大の学生寮に半年間だけ住んでいたことがあるのですが、その寮に住むドイツ人学生のほとんどが緑の党の支持者だったこともあり、何となく雰囲気はわかります。
ドイツの緑の党は先ほどから出ているGAL/TAN軸のGALの典型といった感があります。アメリカの文脈で言えばいわゆる「ウォーク(woke)」に近いですし、日本で言えば──この言葉は好きではありませんが──「意識高い系」でしょうか。
作内 オランダでは「民主66」が近いですね。経済的には右ですが、文化的にはGAL側です。
オランダに緑の党ができたのは1990年代ですからかなりヨーロッパでは遅いほうです。
板橋 冷戦終焉で行き場をなくした共産主義者が緑に向かった感じですか?
作内 冷戦の終わりがどのぐらい影響しているのかはよくわかりませんが、そのタイミングで70年代から運動していた人たちと、共産党が結び付いてできたのが緑の党、厳密に言うとグリーンレフトです。
板橋 オランダの緑の党には、リバタリアン的な要素もあるのですか?
作内 リバタリアンにはならないですね。リバタリアンは民主66に近いですね。
板橋 民主66はドイツだと自由民主党(FDP)に近いのですかね。そこまで企業べったりではないのだろうけど。
作内 企業のほうを向いているのは、マルク・ルッテ元首相がかつて所属していた自由民主人民党ですね。
板橋 そこも欧州議会ではリベラル系の会派に属していますね。
作内 彼らは保守的な人たちではありますが、一応リベラルです。リベラル・コンサバティブと表現されることが多いですね。
板橋 こうして見ていくと、やはりGAL/TAN軸できれいに分類できるわけではないですね。それに本日は立ち入れないのですが、リベラルという言葉の意味を定義することが本当に難しくなっている。ヨーロッパとアメリカでも意味が違いますし、日本でもリベラルという言葉には独特な色が付いてしまっていますよね
