適正な移民受け入れの規模とは

 三好 私も少子化対策、労働力不足の解消策として、移民をむやみに受け入れることには反対です。ただ、特に地方の企業は労働力が決定的に不足しています。漁業、農業は技能実習生に頼っている現状があります。全く外国人を入れないのも、非現実的だと思います。

 私がドイツにいた1998年に、コール政権から交代したシュレーダー政権は左派政権で、ドイツを移民国家にする政策を進めました。国籍取得の条件について、血統主義に出生地主義の原則を加味する、二重国籍を一部認めるなど、様々な外国人政策を実施に移したのです。

 移民が自分の言語や文化を維持する多文化主義がいいのか、移民はドイツ社会に統合していくべきなのか、という議論が起こりましたが、ドイツ語習得とドイツの基本的価値(人権や多元性)の順守、という2点で、移民をドイツに統合していかねばならないことでは、コンセンサスがつくられていきました。

 当時、「移民の受け入れは、社会の統合能力を超えてはいけない」という議論がありました。つまり、社会への統合を十分にできるように、移民の流入数を一定の範囲内にとどめるべきだという認識がドイツにはあったのです。しかし、2015、16年の受け入れ数は明らかに多すぎたわけです。

 帰国を前提とした外国人労働者としてか、あるいは、永住を前提とした移民として受け入れるかで違いはあると思いますが、受け入れの適正な規模というのがあるのかどうか、あるとすればどのくらいなのか、福山さんはどう考えますか。

 福山 私はその件に関して参考になる数字は持っていませんが、受け入れには慎重であるべきだと思っています。排外主義極右勢力の伸長と外国人襲撃殺害事件が問題となり始めた約30年前のドイツの全人口に占める外国人住民の割合が約9%であったことから判断すれば、遅くともその時点では社会混乱の可能性が存在していたと考えます。ただし、それは、受け入れられた外国人の文化圏とも関係していそうです。

 ドイツの例のとおり、外国人を受け入れるとの選択に関して、人手不足解消を目的とする立場と、それとは本来異質な人道主義を主張する立場が偶然同じ結論に至っただけなのに、いつの間にか外国人受け入れが人道主義的対応であるかのような奇妙な多数意見が形成されました。近年流行している、定義もなく曖昧なままの「多文化共生」や「多様性」もその延長上にありそうです。「多文化共生」「多様性」のために外国人を受け入れるとの議論は、本来の趣旨を取り違えた「多文化共生」「多様性」を自己目的化した議論です。

 昨年、これまであった技能実習制度に代えて育成就労制度を導入する法律が成立しました。これによって企業に課せられる責任、義務が拡大され、明確化されることになりました。そのことによって、外国人を受け入れるとはどういうことなのかを、受け入れる側も自発的に考え、対応せざるを得なくなりますので、その点では非常に良い法律だと思います。しかし、このような内容の法律は本来時限立法とすべきです。このような対応は本質的解決策ではなく、本来の策が功を奏すまでの短期的暫定策に過ぎないからです。法律の趣旨からは、育成就労制度が少子高齢化の暫定的な対策であることを前提としているようもありますが、長期的展望は不可欠であり、当初から明確にしておくべきだと考えます。

 

日本の出入国管理の現在地

 三好 福山さんは長年、出入国管理行政に携わりました。過去には在日韓国・朝鮮人の問題が大きかったし、イラン人や日系南米人の問題が大きく取り上げられた時期もありました。移民・難民を巡る様々な出来事は、常に大きな社会問題だったといえると思います。長期的視点で見た場合、日本の出入国管理行政は今どんな段階にあるとみていますか。

 福山 やはり「ドイツ化」してきたというところですね。立法と行政がいろいろな声、実際よりも大きく聞こえる特定の声に翻弄されやすくなっていると感じます。皆がそれぞれ自分の正義を振りかざすだけの主張をするだけでは立法府と行政府の機能不全と裁判官政治の到来というドイツの二の舞です。行き着く先は、社会の分断と世の中の混乱です。それを止めるためにも、特に世の中のオピニオン・リーダーと言われる方々には賢慮(prudentia)と熟議(deliberation)を求めたいところです。

 もし日本が移民のことを本気で考えるのであれば、そのような議論に参加しようとされる方々それぞれが、議論の前に議論の仕方を学ぶことが近道であるように感じます。

 三好 具体的に、どのような議論の仕方が必要だと思われますか。

 

建設的な移民政策を議論するために

 福山 今後の移民政策を考える際、次の10のことを前提に議論すべきだと思います。

 1.事実確認を怠らず、捏造・歪曲はしないこと。

 2.議論の目的は、相手を打ち負かすことではなく、現状の改善であることを認識すること。

 3.何かを述べるときは、感想ではなく、意見を述べること。

 4.自らの立場を明確にし、その論拠を示すこと。

 5.その時々によって主張内容を変更しないこと。

 6.議論を自己の個人的利益のために利用しないこと。

 7.相手の意見を傾聴すること。

 8.意見の批判はしても人格批判はしないこと。

 9.研究者においては、単に新聞記事や訴訟の際の弁護士の主張を羅列するだけでなく、自らの知見に基づいてそれらの論証に努めること。

 10.他人事ではなく自分事として考えること。

以上を前提として初めて外国人政策についての熟議が可能になるのだと思います。今からでも遅くはありません。

 三好 何を議論するにあたっても重要な心構えだと思います。入管行政、移民難民問題に関する議論はとかく感情的になりますが、福山さんの「10原則」に則って建設的な議論をしたいものです。

 

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