ヘイトスピーチとクルド人擁護報道

 三好 そのような中で、昨今問題になっているのはヘイトスピーチ(増悪表現)です。「クルド人は全員でていけ」といった右の政治活動家からのヘイトスピーチ。反対に主流メディアでは、「クルド人はヘイトの対象となっている弱者」といったクルド人を擁護する報道が主流です。

 しかし、それぞれ極端です。在留資格を持って正規に在留しているクルド人もいます。他方、川口市、蕨市内の地域によってはクルド人がたくさん住んでいて、地域住民が迷惑を受けていることも事実です。殺人未遂やひき逃げ死亡事件もあったし、暴走行為、騒音、ゴミ出しルールを守らない、といった迷惑行為も頻繁に起きています。その実態はきちんと報道して対策を考え、事態を少しでも改善しないと、逆にヘイトを力づけてしまいます。

 取材すれば、難民該当性のあるクルド人はほとんどいないことがわかるはずなのに、難民認定しないのは日本人が閉鎖的で人権意識が低いから、といった報道をする。その多くに偏向性を感じます。難民申請した人はおしなべて弱者、難民認定しない入管はひどい組織。こういった、ステレオタイプの報道は、そろそろ変わるべきです。

 福山 私もいずれの点も本当にそう思います。さらに、ヘイトスピーチには、無内容な反面、単純でわかりやすいだけに、訳のわからないまま暴発的に支持を得てしまうという怖さがあります。

 特にヨーロッパ諸国では、人気取りの手段として排外感情を利用した大衆迎合勢力が、実現の意思も能力もない公約を掲げるのみでおよそ政権担当能力があるとは思われないにもかかわらず、政権を取りかねない状況、または連立政権に参加している状況にあります。

 これまで欧米諸国の様子を見聞きした印象では、「反外国人」「排外国人」の人たちを勢いづかせている責任の一端は「親外国人」および「拝外国人」の国会議員、報道、弁護士、研究者、活動家の人たちにもあるように感じます。相手に対する政治的正当性(political correctness)の押付けです。建前や綺麗事を繰り返し、現実への対応策を示さず、自らの正義を振りかざして相手の主張を差別主義の一言で片付け、時として相手を自分より低く見ようする態度です。本音の議論ができず、貶められていることに嫌気がさし、日常生活の中でも世の中への不満を増幅させてきたところに巧みに付け込んできたのが極右排外主義的大衆迎合勢力のようです。過度なむき出しの本音が多くの支持を集めているのは実に危険な兆候で、そのうち引き返すことすらできなくなるのではないかと危惧します。

 日本がこのような状態に陥らないためには、最後に述べるとおり、現実的かつ理性的な議論が必要です。それを欠いた議論では日本でも社会の分断と政治の混乱を招くだけです。また、不法滞在者減少のために査証免除の停止または査証勧奨措置も考えるべきです。

 

移民受け入れ先進国ドイツから学ぶ

 三好 最後に、移民受け入れ先進国のドイツの現状を例に、移民の受け入れがこれからの日本社会にどのような影響を与えるのか、という問題を考えてみたいと思います。

 現在ドイツは人口8300万人のうち、ほぼ3人に1人が親または本人が移民の移民系住民となっています。中でも大きなグループであるトルコ系は、1960年代からガストアルバイター(契約終了で帰国する外国人労働者)という形で入ってきました。しかし、イスラム教徒が大半のトルコ系は、ドイツ人とは価値、習慣、宗教の隔たりが大きく、文化摩擦、第2、第3世代のドイツ語能力不足や、ドイツ人社会とは交わらない移民の「並行社会」などの問題が指摘され、対策が模索されてきました。

 そうした下地があったところに、問題が先鋭化したのは、2015、16年のメルケル首相による移民受け入れ政策、いわゆる難民危機からです。シリア、イラク、北アフリカからのアラブ系やアフガニスタン人が100万人以上入ってきて、これらの人による犯罪やテロが起こり、ドイツの社会も政治も大きく変わりました。

 私がドイツの特派員をしていた十数年前では、右派ポピュリスト、あるいは右翼、極右と言われる政党がドイツの国会で議席を得るなんてことは想像もできなかった。今でもドイツ政治はナチス・ドイツの歴史が深く刻印されていて、右の政治勢力に対しては非常に拒否反応が強い。そういった芽が兆せば、すぐにメディアや政府機関がこぞって摘む雰囲気がありました。

 しかし、2015年の難民危機以降は、移民排斥を掲げるAfDが支持を伸ばし、世論調査によっては、AfDが、中道保守のキリスト教民主・社会同盟の支持率を上回り、第一党になってしまい、政治が非常に不安定化しています。

 文化的な背景が違う人たちをたくさん入れることが、国や社会にどれだけ大きな影響を与えるかを示していると思います。そういう前例がありますから、日本もそれをよく見た上で移民・難民政策を考えるべきです。

 

「今のドイツは30年後の日本の姿」36年前に感じた危機

 福山 確かに、移民政策は特にドイツの前例などから学ぶべきことは沢山ありますね。

 私が36年前にドイツでその外国人法・政策に関する研究を始めたとき、「今のドイツは30年後の日本の姿」との予感を抱きました。1990年の外国人法全面改正の前年で、改正作業の真最中であった当時も、その約20年前にある憲法学者が指摘したとおり、政治家たちには問題を解決しようという意思も能力もないため、立法府は世論を統合する役割を果たせず、行政府も次の選挙のことばかりで適切な政策を打ち出せず、全てを司法府、特に連邦憲法裁判所に押し付けていたのです。行政府と立法府が機能不全に陥ったため裁判官政治になってしまいました。2004年全面改正法でも同じことが起こりました。

 他方、日本における現状、36年前の予感が当たりつつあるようで、気になります。

 三好 西ドイツの場合、すでに1970年代から死亡者が出生者を上回っていたので、その後も人口が増加しているのは、移民導入によることは否定できません。しかし、減った分が置き換わった結果、3人に1人が移民系という人口構成になったわけです。

 

移民受け入れは少子高齢化対策になるのか

 福山 日本でも少子高齢化対策を移民受け入れの論拠と考える人がいますよね。少子高齢化は本当に解決すべき問題なのか、そうだとしても、移民受入れの問題解決への寄与度をまず検討すべきです。移民を受け入れたことのある国の例を調査して、少子高齢化対策に有効だったのか、その後何が起きたのかを確認した上で議論しなくてはなりません。

 ドイツその他の欧州諸国の現状を見る限り、外国人受け入れが少子高齢化対策として有効であるとは到底思えません。むしろ負の面が大きいように思われます。

 すでに1989年5月13日のNHKスペシャル『外国人労働者・激突討論 開国か鎖国か』で電気通信大学教授(当時)の故西尾幹二さん(ドイツ哲学専攻)が次のように仰せでした。

 「ドイツは、外国人労働者を受け入れる結果、若年層の増加により年齢別人口構成が理想的なピラミッド型に戻ると期待したが、実現しなかった。受け入れられた外国人自体がドイツ人同様少子高齢化したためである」──。

 実際ドイツの統計を見ると当時も今もその通りなのですが、いまだに同じ議論が繰り返されています。

 実は、ドイツの少子高齢化対策は、現状肯定しか選択肢のない中で採られた数少ない論拠の一つでした。同国の憲法には、東ヨーロッパ諸国からのドイツ系移住民を受け入れ、ドイツ人として処遇する義務が規定されています。その結果、1989年の東欧民主化以降これらの国々からドイツ系住民が数十万人単位でドイツにドイツ人として入ってきたのです。実際はドイツ語を話さず、生活習慣も異なる人々の大量流入で住宅難がさらに悪化し、地域住民との軋轢が高まる中で、ドイツ政府はその受け入れを事後的に正当化するしかなく、人口ピラミッド回復という言説を半ば強引に論拠にしていたのです。加えて、社会主義体制を嫌ってドイツに「引き揚げた」これらの住民が保守党の支持基盤で、当時の連邦与党保守党にとって都合が良かったという事情もあったようです。

 なお、類似の事後的正当化の論理は、非ドイツ系の移民・難民にも流用されています。

 さらに、少子高齢化対策であれ、労働力不足の解消策であれ、外国人の受け入れでそれを補うという解決策は短期的なものでしかありません。受け入れた後のことを考えれば、期待どおりの単純計算とは行かないことは他国の実例から明らかなはずです。

 ドイツで私が憲法と外国人法を教わった中のお一人は、当時のドイツの置かれた外国人問題を前にして、ドイツでは1960年代外国人労働者導入には、ドイツ産業界からの労働者不足の声に対応したい保守政党と労働組合員の増加を期待した革新政党が、それぞれの支持基盤への配慮から外国人労働者受け入れという点で奇妙な利害関係の一致をみていたという背景があったところ、日本がドイツの実態を検討した結果外国人労働者導入の代わりにロボットを導入(オートメーション化を推進)したのは、賢い選択であったと、著書及び講義の中で繰り返しておられました。

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