『公研』2026年10月号「めいん・すとりいと」
過日、NHKでETV特集『戦争の時代と東京大学 平賀譲から南原繁へ』を視聴したが、終戦記念日にふさわしい番組だった。大学人としては南原のほうが遙かに有名だが、私は海軍造船中将から総長となった平賀のほうに強く共感した。映画にもなった『アルキメデスの大戦』の「平山造船中将」のモデルである。「外部権力と大学の関係」は永遠の課題であるが、限られた選択肢の中で力を尽くそうとする平賀の姿には、こころに沁み入るものがあった。
当時の東大の内情をさらに知りたく思い、ちょうど手元に届いたばかりの北康宏編『大学の自治と日本近代史』(勉誠社)を繙いて、長らく東大法学部長室に厳重に秘蔵されてきた「中田薫懐旧夜話」(1958~59)を秋霖の中、就寝前に毎晩少しずつ読んだ。
冒頭、商法学者・鈴木竹雄が「私どもが今後、東大を守り、東大法学部を守っていく場合の教えにさせていただきたい」と聴き取り(全8回)を始めたものだが、法制史の大家・中田薫の36年間にわたる東大法学部在職期間の「裏面史/暗黒史」とも言うべき内容である。
「解説」にもある通り、中田自体が「信頼出来ない語り手」ではあるのだが、あけすけに記された「裏面史/暗黒史」は、筒井康隆の『文学部唯野教授』(1990)を彷彿とさせるものだった。唯野教授、30年以上前に読んだ時には、「幾らなんでも誇張だろう」と思っていたが、今や「その通りだったね」、若しくは「それ以上(以下)だよ」という感想しかない。心ある大学人は、おそらく皆そうではないだろうか。
太宰治の「徒党について」という短い文章の中に次のような一節がある。「最も苦痛なのは『徒党』の一味の馬鹿らしいものを馬鹿らしいとも言えず、かえって賞賛を送らなければならない義務の負担である」と。SNSの発達により、「馬鹿らしいもの」たちがあられもなく世間に可視化されてしまった結果、「学問の自由」や「大学の自治」は現在、歴史上もっとも厳しい目に晒されているといっても過言ではないだろう。そのような中、大学と学問を守るために黙々と自らの任を果たす人びとに思いを致す日々である。
平賀総長誕生の経緯が気になったので該当箇所(前掲書、637頁~)を読んでみたところ、選挙のやり直しなど混乱を経ての誕生だったようだ。当時の工学部は平賀を総長に推すのに余り熱心でなかった。その理由は、平賀は軍艦づくりの神様みたいなもの、いうなれば「国宝」なのであり、国宝にこの難しい時局での総長などをさせて傷を付けたくなかったからだ。
冒頭の番組の放送日、現代の東京大学も総長選のただ中にあったが、平賀以来初の造船出身だった藤井現総長の後任である第32代東大総長は、九月末に駒場・教養学部の藤垣裕子氏(科学論・科学技術社会論)に決した。大変な逆転劇を経て誕生に至った初の女性総長である。
番組放送の翌日、多磨霊園を訪い平賀の墓所を展墓して来たが、前日にでも縁者が来たのか、綺麗に掃除され新しい花が供えられていた。霊園内は大きな墓所でも縁者が絶えたのか荒れ果てた墓も少なくないので、少し安堵し、手を合わせて来た。
◆追記
東大総長選は9月28日に意向投票の結果が公表された。染谷隆夫教授が1,107票で1位、藤垣裕子教授が553票で2位となったので、28日段階では原稿にも「染谷新総長」と記していたのだが、念のため翌日の総長選考監察会議からの公式発表を待ってから原稿を送ることにした。一夜明けた翌日に蓋を開けてみると、圧倒的な得票差が覆されて「藤垣新総長」の誕生となり、驚愕したのだった。慌てて書き直して編集部に原稿を送った次第である。仄聞するところでは結局、今回の問題の根底には、いわゆる「第2工学部」の存在が深く関係しているようであり、その点、今回触れた平賀総長自身が、第2工学部の創始者であるのは皮肉としかいいようのない奇妙な符合となってしまったのだった。事態は未だ流動的であるが、泉下の平賀譲は何を思うのであろうか。(2026年10月18日記)東京都立大学教授




