改革の方向性と可能性

 小熊 1960年の「所得倍増計画」の報告書をみても、日本政府が資格や技能を評価する労働市場に変えて
いくという方向性を追求していた時期はありました。ところがそういう改革が進まなかった。その理由の一つは、企業側がそういう評価基準を導入したがらなかったことです。

 その理由としては、第一に、社外で通用するような技能資格を従業員が取ってしまうと、他の企業に移動してし
まう可能性があったからです。また企業の一存で賃金や人事異動、処遇などを決められなくなってしまうことを、経営者たちが嫌ったこともあったようです。もともと特定企業の勤続年数にもとづく年功賃金制度は、高度成長期には企業が人材を囲い込む目的で導入された側面がありました。

 しかし今となっては、逆機能ともいうべき弊害が多くなっている。専門職をはじめとして、人材の流動化を進めたほうが有利だという考え方があるならば、企業の枠を超えて通用する基準を整備するべきではないでしょうか。

 私はそのモデルになり得るのが福祉・介護分野だと思います。介護は市場原理だけで成り立っている産業ではなく、公的資金によって支えられています。だからこそ政府が職種ごとの技能基準や賃金の目安を示しやすい。例えば、介護労働者の資格等級や経験年数によって賃金を決める基準を政府と業界が協力して導入すれば、介護労働者でも技能を身につけるほど待遇が向上するキャリアパスを示すことができます。介護は人手不足がいちばん激しい領域の一つですが、キャリアパスが示されれば、人材は集まりやすくなる。

 濱口 キャリア段位制度のように、すでにそういう試みはいろいろやってはいるんです。私も、介護分野で職種別最低賃金を導入してはどうかという提案をしたことがありました。しかし現実にはなかなか進んでいません。

 一つには財源の問題があります。介護・福祉は公的予算に依存しているため、賃金を上げるには国民的な負担増への理解が必要です。また、「介護や福祉は生産性が低い」「実業ではない」と考える人も少なくなく、社会的な合意形成が難しいのが現状です。

 個人的には共感するところは多いのですが、今の日本では結構むずかしい感触があります。

 小熊 たしかに合意形成がむずかしいのはわかります。しかし反対する人には、こういう考え方も提示できるのではないでしょうか。

 第一に、働き方に多様性が生まれます。高度な技能を持つ介護職員が年収800万円を得られるキャリアパスが示されるようになれば、大企業正社員として長時間労働や単身赴任をするよりはそちらを選ぶ、という人も出てくるかもしれない。少なくとも、「そういう働き方でも年収800万円は確実に可能なんだ」と明確に示すことは、社会の雰囲気を変えます。

 第二に、地方に雇用が生まれます。どんな過疎地に行っても、介護の仕事はある。他に産業がなく、介護と町役場が安定した雇用の供給源だという地域もあります。介護で年収800万円が得られるキャリアパスが明確になれば、大都市の大企業正社員にならなくても確実に高収入が得られて、過疎地域でも若い人が定着する。だから私は、介護で高賃金が得られる評価基準を導入することは、最高の地域振興になると考えているのです。それで財政負担が多少増しても、公共事業や工場誘致より、地域振興の税金の使い道として効率的かもしれない。

 たしかに日本では、職種を基準に人材評価や賃金という考え方は定着していない。そこはギルドなどの歴史がある西欧とは違う。私がドイツの大学で客員教授をしていた時、宿舎の鍵が壊れたから修理工を頼んだところ、「資格を持った技能者を呼ぶか、技能資格はないが安い修理工を呼ぶか」聞かれました。資格がある人を呼ぶと料金が高いのですが、それが当然だと考えられているわけです。こういう価値観を、日本の社会にいきなり求めるのはむずかしい。しかし日本では、地域が大切だという気持ちはとても強い。だから介護・福祉から職種別の人材評価基準を導入するのは地域振興になるという言い方は、日本の社会の持っている価値観に訴える手段になるかもしれない。そこをきっかけにして、職種による人材評価基準が導入されれば、もう少し日本の働き方も、変わってくるのではないでしょうか。

 濱口 実際、地方では工場の撤退や建設業などの公共事業の縮小によって雇用の受け皿が減り、現在はそれに代わって介護・福祉が地域経済を支える重要な産業になっています。しかし地方の生活水準でなんとかギリギリ動かしているのが実態なんです。小熊先生はその現実を前提に、よくしていけば地域が豊かになるとおっしゃっているんですよね。ただ、現状では「介護は大変な仕事なのに報酬が低い」というイメージが社会に定着してしまっています。だから、教育の段階から含めてその認識を変えていく必要があり結構大変なことです。

 小熊 実際にはそうです。そのためには福祉分野の資金の流れを透明化して、社会福祉法人にいく介護報酬などの公的資金が、確実にそこで働く労働者の待遇改善につながるようにする仕組みをつくることとセットでしょう。しかし個々の社会福祉法人にとっても、まったく人材が定着しない状況を続けていくより、透明化して人材評価基準を明確化したほうがよいのではないでしょうか。

 福祉・介護分野でそうした制度が先行的に実現すれば、それが他の職種にも広がっていくこともあり得る。技能や経験が企業の外でも評価される、本来のジョブ型社会に近づく一つの道筋かもしれないと思います。

 濱口 私が「ジョブ型正社員」を提唱したのは10年以上前ですが、その際にはむしろ労働組合からは消極的な反応が多かった。背景には、エリートとノンエリートの区別のなく、みんなが平等で同じように階段を上がっていくという感覚が、とりわけ日本の大企業正社員型の労働組合には牢固として強くあるんだなと改めて感じています。

 そのため、技能や職務によって評価する制度の必要性が語られながらも、実際の制度改革はなかなか進まない。そこに、日本の雇用システム改革の難しさがあるように感じています。

職業教育への価値観

 編集部 『公研』の会員にはインフラ系の企業が多く
いますが、「若い人の採用がむずかしくなった」とよく聞きます。電気事業で言えば、送配電系を担っている会社などは、工業高校を出た人材などを採用したくても入社に至らないことが増えたそうです。本人がやる気を見せて内定を出しても、親御さんに「大学をめざしてほしい」とか「危険ではない仕事に就いてほしい」と反対されて辞退することがあると。電力インフラを担うことは誇らしい仕事だと思いますが、今の親世代は違った受け止め方をしているようです。また、私立高校は無償化されましたが、職業系の高校を増やすという考え方があっても良い気もします。

 濱口 1970年代前半に、日本教職員組合(日教組)が「日本の教育改革を求めて」という膨大な報告書を出しました。特徴的な内容は、職業高校に対して非常に否定的であることです。つまり「まだ10代の若いうちから将来を限定するような教育はおかしい。職業教育というのは、大学や専門学校で学べばいいのであって、高校までは専門のベースになるような総合高校であるべき」ということが書かれていました。これがある意味、日本の教育界が受け取った、戦後日本の平等主義というものの表れなんだと思います。その心は、やはり差がないことがあるべき労働の姿だ、という感覚からきているのだと思います。

 その結果生み出されたのは、普通科に行くのがあるべき姿で、職業高校に行くのは落ちこぼれだという感覚です。こういった平等主義がもたらしたある種の差別意識みたいなものが、70年代以降に確立してきてしまったと思います。

 ただ、90年代末から21世紀にかけて、これを見直そうという動きは出てきてはいますし、文部科学省自身も専門高校を見直すための政策をしている。しかし、おそらく子供を高校にやる親の世代の意識に、20世紀後半に確立した感覚がまだ残っている気がします。

 本来から言えば、専門的なジョブのスキルを身につけることによって、他の同世代の人間にはない職業人生が開ける、といういい話のはずなんですが。当時全体の4割ほどあった職業高校は今は、もう1割台まで減ってきています。

 小熊 教職員労働組合にその傾向があったことは確かです。しかし国の中心部も同じ傾向がありました。例えば占領改革では、公務員の職種区分とそれにもとづく給与体系がめざされたのですが、職種区分をなくすことに積極的だったのは官庁の上層部、とくに大蔵省給与局でした。そのほうが人事異動をやりやすく、従来の官僚制度を変えなくて済んだからです。その結果、職種の区分がなくなって、ほとんどすべて一般行政職になった。

 もう一つ指摘しておくと、日本には職種と熟練度で賃金を決める慣行がないというのは、そんなに昔からではないということです。たとえば日本でも、明治から大正時代までは、左官や大工など職人では、職種ごとの熟練度で報酬を決める慣行がありました。明治時代では、石工や左官が一番高収入の職種でした。逆にその時代では、大企業であっても製造業の工員は賃金が低かった。

 つまり、日本にも職種による人材評価の仕組みはあったわけです。そうした発想が完全に消えたのは、もしかしたら現在の親世代からかもしれません。大工や左官の職種による評価基準が消えていく一方、大企業の正社員であれば職種を問わず年功賃金が得られるという慣行が広まっていったのは、60年代から90年代ぐらいまでの時期です。その時代はちょうど、入学難易度の高い大学に行けば大企業正社員になれるという慣行が広まった時期でもあった。その時代に人格形成をしたのが、いまの50代から60代です。子供が送配電の職人になることに反対するのは、ちょうどこの世代かもしれません。

 しかし社会の価値観というものは、変わっていくものです。私の親の世代ではまだ、大学に行くより手に職をつけろ、と大人に言われていたそうです。次の時代には、どういう価値感が広まっているかわかりません。しかし変化を促すためには、工業高校を出て送配電の職人になって熟練すれば、就職先が大企業であろうが中小企業であろうが年収1000万は確実だ、という評価基準が社会で定着したほうがいいことは言うまでもありません。でもそういう価値感が広まったほうが、ライフコースの多様性のためにも、また地域振興のためにも、よいのではないでしょうか。

(終)

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