今回のエネルギー危機に打つ手はあるのか?
橋本 エネルギー市場の安定という観点では、すでに各国で石油備蓄の放出が始まっています。備蓄放出は本来、物理的な数量不足に対応するための手段のはずです。しかし、それが今回は価格抑制のためにも使われている。もうそこまで来ているわけです。これから先どんな手が残っているのか、正直先が見えません。
辻田 通常、石油備蓄の放出はIEAやG7の国際協調のもとで発表するのが慣例ですが、今回は日本が単独で先に発表し、その数時間後にIEAが推奨を出すという異例の展開でした。G7としての声明はありませんでした。高市総理の判断は早かったと思いますが、単独での先行発表が、焦りと受け取られるリスクもあり、評価が難しいところです。もちろん国民を落ち着かせるためという目的が大きいと思いますが。
池内 一方、トランプ大統領は当初備蓄放出に消極的でしたが、突然やると言い出しましたよね。
橋本 ガソリン価格の上昇への焦りが大きかったのでしょう。さらにアメリカはロシアへの制裁も緩和する方向に動き出しました。
池内 最初はインドへの許可からでしたが、今後は全体に広がっていく可能性があります。気になるのは制裁緩和の中身です。ヨーロッパはロシア産石油に価格上限を設けてきましたが、今回アメリカが「買っていい」と言ったのは、その上限も無視していいということなのでしょうか。
橋本 そこへの言及はなかったようです。
池内 量だけの問題なのか、価格上限も含むのか、保険の付与まで面倒を見るのか、その中身次第で影響は大きく変わります。ヨーロッパ自身はまだ自主規制をやめていませんが、制裁の実効性を支えてきたのは結局アメリカの後ろ盾です。今回アメリカが緩めたことで、レピュテーションリスクをそれほど恐れなくなったヨーロッパの民間企業がロシア産石油を買い始める可能性があります。
橋本 それによって価格や供給の逼迫が緩和されれば、短期的には市場の沈静化につながります。長期的にもある程度我慢しやすい状況にはなるかもしれません。
池内 ただそれは同時に、アメリカの指導力そのものを揺るがすことにもなります。「アメリカが認めたから市場が安定した」と安心するのか、「アメリカは当てにならない」という印象が広がるのか、両面があって難しいところです。
橋本 両側からの要請を受けて、アメリカがやむを得ず動いているという側面もあるかもしれません。
池内 先ほど触れたように急激にイランの体制崩壊が進んでいると仮定するならば、4週間程度で沈静化する可能性も見えてきます。ゲリラ的なリスクは残るものの、安全を確認しながらホルムズ海峡を通れる日が来るかもしれない。しかしその場合でも、以前のようなフル稼働にはすぐには戻すことはできません。
6割稼働でも3割稼働でも、とにかく動き出せればという状況ですが、それはエネルギー供給上の大きな欠損を意味します。その穴を中長期的に誰がどう埋めるかという問題が残り、湾岸はエネルギー源としてリスクを抱えたエリアであり続けることは間違いありません。
橋本 そして何より懸念すべきなのが、これがエネルギーにとどまらず経済全域に及ぶ問題であることです。例えば中東の安い天然ガスを原料とした肥料が世界市場から激減すれば、食糧危機にまで波及しかねないわけです。仮に混乱が数カ月で落ち着いても、こうした分野への構造的な変化は長期にわたって残ってしまうことが心配です。
池内 これは、GCC諸国がここ数十年取り組んできた経済の多角化戦略にとっても、大きな打撃ですよね。原油をそのまま売るだけでなく、精製や石油化学、肥料などに加工して付加価値をつけて売る、その取り組みがようやく実を結んできたところに、今回の事態が直撃したというわけです。
出口の見えない中東混乱の行方
池内 では、先行きが見通せない中でこの戦争はどう終結するのか。アメリカには「議会の承認なしに軍事行動を続けられるのは60日間まで」と定められた戦争権限決議がありますが、今回トランプ政権は「戦争」ではなく「軍事作戦」と位置づけているため、これを無視してずるずると続けることもできるわけです。民主党政権時代も同じやり方をしてきたので、アメリカ国内で異議を申し立てることもそれほど正当化できない、ただ内政上、ある程度のところで勝利宣言をしたいという考えはあるはずです。
辻田 やはり中間選挙を意識すると、どこかで勝利宣言をせざるを得ないです。ただ、弾圧されてきたイランの人々にアメリカはここまで道を開いたというような、どこかやっつけ感のある宣言になるだろうと思います。しかし、勝利宣言をしたところで、その後の湾岸地域において本当の意味での安定化や事態が収束に向かうのかどうかは、全く不透明と言わざるを得ません。
池内 GCC諸国が最も恐れているシナリオがあります。それは自分たちが参戦した途端にアメリカが引き、続いてイスラエルも引くというものです。結局、ボロボロになってより獰猛になったイランの前に自分たちだけが残される。「どうせ最後は我々だけが残される」という不信感が湾岸側にはあるのでしょう。
この感覚の根っこにあるのが2019年9月14日のアラムコ攻撃です。フーシ派がサウジアラビアの基幹石油施設を攻撃した際、アメリカはイランの関与を断定しながらも軍事的な大規模な反撃はしませんでした。これがGCC諸国にとっての「9・14の教訓」として今も生きているわけです。
辻田 その不信感は今回さらに深まっているかもしれません。アブラハム合意でアラブ諸国がイスラエルと手を結んだ背景には、アメリカが安全を外部からの攻撃に対して保証してくれるという前提がありました。しかし昨年のイスラエルによるカタール空爆では、アメリカは同盟国カタールへの攻撃を止められなかった。今回これだけの攻撃を受けてもなお、GCC諸国が安全保障へのアメリカのコミットメントをどこまで信頼し続けられるのか、今後の情勢を注視しなければなりません。
池内 おっしゃる通りで、9・14以降は終わり方のパターンが毎回同じなんですよね。GCC諸国がアメリカに「なぜ守ってくれないんだ」と怒りをぶつけると、アメリカはより大規模な武器取引を持ちかける。強力な兵器を導入したんだから安全になったはずだ、という論理で幕引きするわけです。
同時に水面下ではGCCがイランのところに走って「ごめんなさい」と言いに行くか、中国に仲介を頼みに行く。去年のカタール空爆の後もそうでした。またアメリカに「もっとコミットメントを」と言いに行って、「じゃあ今回はこれとこれを買いなさい」で終わる。途中でイスラエルが「うちと仲良くしているとアメリカの支持を得られますよ」と囁きかける。結局この繰り返しなんですね。
辻田 しかし今回も同じような終わらせ方に落とし込むのは難しいです。GCC諸国に実際の被害が出ているわけですから。
サウジ主導の中東秩序
池内 そうなのです。そこで注目されるのがサウジアラビアの存在です。イラン政府高官との議論での印象では、戦後秩序について、サウジとは話し合う意思があるという姿勢でした。逆に言えば、GCCの小さな脆弱な国は交渉相手としない。サウジがGCCを取りまとめるのであれば話をする、という姿勢です。今回の攻撃でもイランはサウジへの攻撃を行ってはいますが、慎重に標的を選んでおり、サウジからの反応も、言葉を強めつつ行動は抑制的です。将来の交渉を見越してのことと思います。
一方でサウジを中心に、トルコ・エジプト・パキスタンという軍事大国・核保有国を集めてアメリカ以外にも頼れる安全保障があるというアピールも始まっています。ただし実効性という意味ではまだ怪しく、どちらかというと見せかけの部分が大きい。
構造的に見ると、UAE・カタール・バーレーンなどの小国は、イランが本気でインフラを攻撃すればひとたまりもありません。水も食料も外から持ってくる根本的な脆弱性があり、今回それが明らかになってしまいました。普段は無駄に見えるサウジの広大な砂漠が実は攻撃を防ぐバッファーになっており、いざとなれば小国はサウジの懐に逃げ込むしかない。リヤドの縦深性と安定性が今後改めて見直される可能性があります。
UAEはまだ「自分たちが地域の秩序形成を主導している」という姿勢を崩していませんが、構造的にはサウジがGCCとイランの関係を仕切るようになっていく、というのが現実的な見立てです。
辻田 今回を経て、サウジの地位がさらに向上するということでしょうか。中東秩序はどこへ向かうのでしょうか。
池内 そうなった時に一番割を食うのがUAEです。イランから最も直接狙われているにもかかわらず、サウジ主導のGCC戦後体制ができあがると自分たちの存在感が大きく低下してしまう。それを何とか避けたいというのがUAEの本音でしょう。
そこで懸念すべきがUAEが独自行動に出る可能性です。イランが十分に弱体化したと見れば、思い切ってイスラエル側に完全につくという選択肢です。サウジがイランとの関係を維持しながらGCCをまとめようとする中で、UAEだけがその路線から外れてイスラエルと組む。そうすることで少なくとも一定期間、自分たちが主導権を握り独自のポジションを維持しようとする、アメリカとイスラエルの全面勝利に終わった場合に戦勝国として大きな利益を得ることに賭ける、そういう動きに出かねないと思っています。
つまり今後の中東秩序は、「サウジの再評価と地位向上」と「UAEの独自行動によるかく乱リスク」という二つの動きが同時に進む可能性があります。サウジが安定の軸として存在感を増す一方で、UAEがその秩序の中で抜け駆け的な独自行動、あるいは地域秩序の形成に抗したかく乱戦術をとる、そういう複雑な構図になっていくかもしれません。
ただその前提として、この戦争がどう終わるかがすべての鍵を握っています。イスラエル側は「発射拠点を大規模に破壊したから撃ってこれないはずだ」という立場ですが、イランは「兵器を温存している」と言っている。どちらが本当かはわかりません。イスラエルの防空施設もかなりダメージを受けており、前回の12日間戦争のようにほぼ完璧に守れるかどうか、まだ検証できていない。
辻田 中国は今回も行動面ではほとんど表に出てきていません。ただ原油価格が上昇してからは、水面下でいろいろ動きがあるようです。
積極的にオブザーブする中国
池内 中国の姿勢について、トルコの分析者が面白い表現をしていました。「積極的にオブザーブするのが彼らの政策だ」と。単なる傍観ではなく、自分たちは巻き込まれないよう中立を保ちながら、情報・教訓・国際規範の変化まで含めたあらゆる利益を取りにいく。そして、自分たちは関係ないという顔をする。トルコ自身も湾岸の混乱について似たような立場にいる、少し距離を置いたところから重大な関心を持って見守る大国なのでそう見えるのかもしれませんが、なかなか鋭い分析だと思いました。
橋本 中国はイランをはじめ中東各国でビジネスを続けたいわけですから当然ですね。物を売るだけでなく、インフラやエネルギーへの投資という形で中東への経済的影響力をじわじわ拡大してきた。
辻田 米中首脳会談も予定されていますが、準備はあまり進んでいないようです。ただ、トランプ大統領が訪中するまでにこの軍事作戦は終わっているという見方もあります。この鼎談が掲載される頃には、その答えが出ているかもしれません。いずれにせよ、今後2週間が本当の分かれ目です。
池内 シナリオは二つに分かれます。一つは、イランが想定外の反撃をしてきたことを受けて、イスラエルが内 心は「計算が違った」と認めて停戦に動くケース。これ なら4週間程度の大混乱で終わります。もう一つは、イスラエルが「新たな脅威が見つかった、除去するまでやる」として戦争を継続するケース。この場合は長期化し、日本を含む各国がその長期間のエネルギー・燃料・材料物資の供給寸断に耐えられるかどうかという問題になってきます。
