AIには動かせる手足がない
──生成AIのお話に戻ります。歴史の専門家から見て、生成AIはどれだけ有用なものであるとお考えでしょうか? そもそも全くお話にならないのか、あるいはプロンプター次第なのか。
平山 ある程度キーワードを打って、条件をどんどん限定していくという方法であれば、多少はまともな答えが返ってくるかもしれませんが、歴史学に関して言えば、初めから自力で文献を漁ったほうが早い。
歴史学の世界って厳しいのですよ。はっきり言って、AIが歴史学者に取って代わって歴史を記述できるようになるという未来予想は甘い幻想です。たとえば、AIは古文書の調査に行けますか? 行けませんよね。歴史学者というものは、地道な史料調査を積み重ねていくことが仕事です。どこそこの家、寺、神社、博物館、図書館に何かがありそうだと見当をつけ、許可をいただいてお邪魔する。お目当てのものがあれば写真に撮ったり書き留めたりして、それを論文等で発表していく。こうした一連の行為はAIには代替できません。AIは所蔵者宅を訪問することも、そこに住んでいる人々に頭を下げることもできません。実際に動かせる手足がないのですから。
今回の一件を通じて、私はAIの有用性よりもむしろ危険性を強く感じました。設計上に決定的な欠陥がある。歴史学においては、現状の情報では明確な判断を下すことはできないという事例が数多くあります。にもかかわらずAIは、情報の断片をそれっぽくつなぎ合わせて勝手に「結論」をつくりだす。あり得ないことです。
ですからAIの設計者や開発者は、明確な情報を担保する仕組みをきちんと組み込むべきです。学問上結論の出ていない問題を投げかけたときに「ここまではわかりましたが、これ以上はわかりません」と答えるようなAIに設計しなければいけない。「わかりません」と堂々と回答できる、知的に誠実なAIこそが必要です。そうでなければ、歴史学をはじめとした学問は、ますます混乱する一方でしょう。
私には生成AIの浸透によって専門家が疲弊していき、一般人が暴走していくという未来が見えます。そうすると、人々は何を信用していいのかわからなくなってくる。これがかたちを変えた全体主義をも生み出す可能性は十分あるでしょう。
どうしようもないAI時代
──生成AIが数秒ででっち上げた嘘を、専門家が多大なコストを払って尻拭いしていく、という非対称性はこれからもネットの至るところで散見されそうです。
平山 そうだと思います。現在、NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』が放送されていますが、秀吉と秀長の描写に対して、生成AIの意見を「エビデンス」にしながらイチャモンをつける人たちがこれから何人も現れることでしょう。今回の大河ドラマの時代考証を務めた方々は私と違ってSNSをやっていませんから、私のようにXやFacebookで反論するようなことはないでしょうけれど、それをいいことに言いたい放題、という可能性も考えられます。
──言論空間における生成AIの存在感は、これからもますます強まっていくかと思います。我々はこうした生成AIの進化にどう向き合っていけばいいのでしょうか。
平山 正直言って、もうどうしようもないです。昨今は文系学問を軽視する風潮が政界や財界ばかりか、一般人にも蔓延しています。そればかりか、今や理系学問の方々の中にも歴史学をはじめとした文系学問を馬鹿にしている方がいる。そこには、自分たちのやっている研究のほうがはるかに高尚であり、世の中の役に立ち、お金にもなる、というある種の優越感があるのでしょう。
ですが、ただでさえ生成AIの進化によって人々の思考力・理解力が低下しつつある状況の中、文系学問が退潮すれば、ますます人間の頭の中身は空っぽになっていく一方です。世の中にこれだけ文系学問を軽視する風潮がある中で、我々が生成AIに対して警鐘を鳴らしたところであまり意味はないでしょう。
それでも私は、相手が人間である以上は、相手の良心を信じて対話を試みてきました。自分に得がなくても私が「アンチ」に対して反論を展開するのは、私の中に多少なりそうした信念があるからです。ただ、会話のキャッチボールはできても、こちらの話がまったく通じない方は残念ながら多い。とりあえず何らかの返答をする能力と、文章を正確に理解する能力はまったくの別問題ですからね。私は基本的にX上でブロック機能は使わないことにしているのですが、あまりにも話が通じない方や、執拗に攻撃を続けてくる方に関しては仕方なくブロックさせてもらっています。
そもそも研究者が減っている?
──歴史学は「今ここに存在しないもの」を扱う学問ですよね。したがって明確な答えがある学問よりも異論や反論への対処が難しいように思います。
平山 そうですね。今回争点となった弥助問題や戦国時代の侍身分問題も、非常に難しい問題です。中世社会では、身分が下に向かって曖昧に拡散しているのですよ。昔は一定の階層以上の身分の者しか侍とは呼ばなかったのですが、時代が下るにつれて侍の定義の幅が徐々に広がっていきました。ですから織田信長も武田信玄も侍でしたし、足利将軍は侍の主と呼ばれました。また、村町にも侍衆と呼ばれる村人たちがいました。しかし秀吉~家康期を通じて身分制度が整理されていき、百姓と侍の境界が明確に分かれていくことになります。このあたりの事情については細かく研究が進んでいない部分もあります。そこが「アンチ」の付け入る隙となったのかもしれません。
近年はこうした中世の身分問題について研究する方も少ないので、仕方がありません。
──研究者が減ってしまったことには何か理由があるのでしょうか。
平山 昔は社会経済史といって、社会の経済構造から歴史の移り変わりを読み解いていくという研究にそれなりの人気がありました。マルクス主義の影響がまだ色濃く残っていた頃でしたからね。しかし東西冷戦の終結によるマルクス主義の世界的な退潮もあり、そうした研究をする研究者がほとんどいなくなってしまいました。現在、中世日本の村における身分制度について研究している方は、数少ない印象があります。そもそも、研究者の絶対数が減少しているのですよ。歴史学は、とにかく就職ができないので。ゆえに大学院まで行く学生もガタッと減りました。東京大学をはじめとする主要大学でも、今や大学院生は留学生が多くなっているそうです。
たとえば今、20代を代表する戦国史研究者といえば誰かと問われたら、私は答えに窮してしまいます。以前は20代でもそれなりに著名な若手研究者がいたものですが、今はいませんね。パッと名前を思いつく「若手研究者」も今や軒並み30代ですしね。現在、歴史学分野の主要なプレーヤーは40~60代の研究者たちです。本を出し続けているのは大体この年代の方々ですからね。はっきり言って、今の50代があと20年で70代になり、研究の表舞台からいなくなってしまったら、歴史学は一体どうなってしまうのだろうと真剣に思います。そこへ今度は生成AIの曖昧な情報がドバッと流れ込んでくるわけですから。最近は卒業論文やレポートにも生成AIを使う学生が増えてきたと聞きます。研究者として実に由々しき事態だと思います。
利便性に甘えず「肉体労働」を積み重ねる
──「研究者の卵」としてのポテンシャルを秘めているはずの若い学生たちが、生成AIに頼りきってしまっている現状に危ういものを感じると。
平山 便利なツールを使って楽をしたいという気持ちは私も理解できます。しかし生成AIの主張を一つひとつ裏取りしていく手間を考えたら、自力で文献に当たるほうがむしろコスパもタイパも一番いいのだということは先に述べた通りです。若い世代にはそのことを理解してほしいですね。
それに、あらゆる調べ物や判断を生成AIに頼るという安易な道を辿っていれば、人間として、あるいは仕事人としての力量と資質が落ちていきます。人には苦労をしなければいけない時期が必ずあります。学問に関して言えば、辞書を引いたり文献を調べたり、大量の論著を読んだりといった作業のことですね。私の恩師はそれらの地道な作業のことを「肉体労働」と呼んでいました。辞書を引き、文献を調べ、それをメモしていく。そうした「肉体労働」によって血肉化した知識を蓄え、それらを脳内で回転させていくことで、自分の考える力や議論する力、文章の構成能力などが徐々に向上していきます。
「肉体労働」を経由せず、生成AIによって一気に階段を登ろうとすれば、人生のどこかで必ず躓きます。これは何も研究者をめざしている方だけに対する警鐘ではありません。どんな仕事に就くにせよ、何かを調べたり論理的に考えたりするスキルは必須ですからね。
たとえばある問題についての調査レポートを書けという仕事に対して、生成AIに書かせたレポートを提出したとしましょう。上司に「このデータは間違っているのではないか?」「いったいこの主張の根拠となるデータは何だ?」と突っ込まれても、生成AIがどのような理屈に基づいてレポートを書いたのかがわかっていなければ、再検証のしようもありません。自力で調べたうえでデータを積み上げていれば、レポートの記述の根拠はすぐに提示できるでしょうし、記述のどこにウィークポイントがあるのかを突き止め、修正していくこともできます。
私見ですが、10~30代中盤くらいまでは「肉体労働」をコツコツ積み重ねていく必要があると強く感じます。それを怠れば、研究者としてもビジネスマンとしても使い物にならないでしょうね。
──最後に一言お願いします。
平山 生成AIを使って専門家と議論しようとするのはやめたほうがいい。絶対に勝てません。それに、かえって自分が恥をかくことになります。これがネット上の「アンチ」の方々にも伝わってくれれば本当に嬉しいなと思います(笑)。
──ありがとうございました。
聞き手:岡本滉太
