カラオケ外交の時代【鈴木一人】

B!

『公研』2023年5月号「めいん・すとりいと」

 4月末に行われた米韓首脳会談では、北朝鮮の核開発に対抗すべく、アメリカの核による拡大抑止の確認が主要な論点となり、バイデン大統領はユン・ソギョル大統領に対して「鋼鉄の抑止」を約束したと報じられている。もしアメリカが拡大抑止を確認せず、北朝鮮の攻撃に対して曖昧な態度を取るようなことがあれば、韓国世論は一気に独自核の保有を求める声が高まり、核不拡散体制が危機に陥る可能性すらあった。その意味では、今回の会談の成果は東アジアにおける秩序の安定にとって重要な意味を持つだろう。

 しかし、米韓首脳会談で話題になったのは、拡大抑止だけではない。ユン大統領が晩餐会の余興として、バイデン大統領に促されるかたちで、ユン大統領の学生時代の思い出の曲である、『アメリカン・パイ』を歌ったことも話題となった。検事総長から大統領になった優等生であり、首脳会談でも頑なに通訳を入れて韓国語を喋り続けたユン大統領が、滑らかな発音で見事に歌い上げたことに喝采が送られた。曲の強弱や節回しなども完璧で、単なる余興として付け焼き刃で練習したものではなく、学生時代に相当歌い込んだことが忍ばれる名歌手ぶりだった。

 さらに、選曲が素晴らしかった。『アメリカン・パイ』はドン・マクリーンという歌手の曲(のちにマドンナがカバーして世代を超えて知られるようになった)だが、マクリーン自身はそれほど知られている歌手ではない。しかし、この曲はアメリカ人なら誰でも知っている曲であり、まさにアメリカ人のソウルフードならぬソウルミュージックである。タイトルに「アメリカン」が入っていることもあり、「パイ」は、アメリカ特有の言い回しで「As American as apple pie」という表現があるように、アメリカ人にとって象徴的な食べ物である。

 しかし、この曲は悲劇を語った曲でもある。1959年の飛行機事故でロックンロールの英雄だったバディ・ホリー、映画のタイトルソングにもなった『ラ・バンバ』を歌ったリッチー・ヴァレンス、そして「ビッグ・ボッパー」の名で知られたJ・P・リチャードソンが同時に亡くなったことにショックを受けたドン・マクレーンの心の叫びのような曲である。こうした悲劇を描いた曲は、北朝鮮の核兵器によってソウルが、そしてワシントンが攻撃された時の悲劇に思いを至らせる効果があったであろう。

 ユン大統領の狙いがどこにあったのかは知るよしもないが、彼のパフォーマンスがアメリカ人の心をわしづかみにしたことは確かだ。ただ、拡大抑止では成果を挙げたものの、韓国が懸念している、アメリカのインフレ抑制法による電気自動車の補助金制度に韓国車が選ばれなかったことや、半導体輸出規制により、韓国の半導体メーカーが中国に追加投資をすることが困難になったことなど、経済的な問題では解決どころか、対立が目立つ結果となった。アメリカにとって、安全保障の問題と経済問題は別の次元の話であり、2024年の大統領選挙に出馬宣言をしたばかりのバイデン大統領とすれば、ここで「ミドルクラスのための外交」の本丸である、アメリカの製造業の保護で譲るわけにはいかない、ということだったのであろう。

 大統領の見事なパフォーマンスも、アメリカ人の心を揺さぶる選曲も、今のアメリカにとっては郷愁を誘うものではあっても、経済問題を解決するものではない。今のアメリカにとって重要なのは、その曲が歌われた時代のような豊かさを取り戻すことであり、3人の歌手が亡くなっても前に進む強さである。ユン大統領も歌った『アメリカン・パイ』の歌い出しは以下のような歌詞で始まる。「A long, long time ago, I can still remember how that music used to make me smile...

東京大学教授

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