二十世紀の終わりに書いた僕の初めての小説『アサッテの人』を舞台化したいという打診が今年の正月にあり、その公演がこの六月初旬、調布の劇場で行われる。未だ練習も見ず劇団にも会わずだが、いったいどんな芝居になるのやら、独りで楽しみにしている。

 『アサッテの人』とは、主人公の叔父が意味のない不可解な言動を故意に繰り返す話である。

 二十代、いや十代の頃から五十代の今日まで、僕が長く大切にし続けてきた生き方の核心が、すなわち「無意味」ということである。

 例えばこんなのだ。若い頃、僕は周遊券や青春18きっぷで何度も寝袋持参の長い一人旅をした。その際、名所旧跡に行かず旨いものも食わず土産も買わず、ただ行って放浪して帰ってくる。が、旅の途で何らかの無意味を思いつくと、万難を排しそれを遂行する。

 淋しい町にあるただの石ころを拾い、全く別の遠い町に置いてゆく。岩手花巻の北上川のほとりで拾った小石を、渋谷のハチ公像の足元に置いておくとか。後日、大学帰りに度々石を見に行き、二週間ほどは変わらずあったが、その後どこかへ片づけられていた。でも、こういうのが僕の旅の醍醐味である。決して人様の害にならない秘密の単独任務。

 料理も景勝も温泉もない。気が向いたらたまに深夜の無人駅でわざと降りてみる。金も時間も使うが何の利得も意味もない無宿の旅。でもその意味のなさが何かくすぐったいように嬉しい。

 弟が始めたのだ。いや、その後自覚的に始めたのは僕だが、本当は弟が始めた。ある時、僕の青春18きっぷの余りで独り、弟が実家のある名古屋から仙台まで行った。弟は僕らが小学時代を送った仙台の燕沢(つばめざわ)、その全應寺(ぜんのうじ)の山門下の階段の脇に一つだけ手で持ち上げられる大きめの石を見つけ、その下にカメラのフィルムのケース、あの透明な円筒型のプラスチックケースに封入した手書きのメモを埋めてきたと僕に教えた。

 可愛い年子(としご)の弟である。僕は弟がどんな思いでそのメモを独り書き、円筒ケースにパックし、幼少時に住んだ家の近所の寺の石段の脇に隠したかと切なく想像した。そして十九歳のあの頃に僕は悟ったのだ。「秘かなる独りきりの無意味」。これ以上にわが血を滾(たぎ)らせ、「生きている」実感をうる方途は恐らくあるまい、と。

 しかしこの後が失敗談で、僕は数か月後、堪らず仙台へ行き、寺で弟のそのフィルムケースを石の下から発見し、あまつさえ名古屋の実家へ持ち帰ってきてしまったのである。

 弟は静かにいった。「持ち帰っちゃったら面白くないだろ」。そうだった。僕と弟の想像の中にだけ存在し、酷暑酷寒、雨水の侵食にも耐え、そのまま幾星霜、誰にも存在を知られず石の下で息づき続ける弟の文字。そこには若い弟の孤独、生の逡巡が眠り続けたはずなのであるから。

 弟が何を書いたか、僕が再び石の下にメモを戻しに行ったか、それは書くまい。が、この随筆で語るべきは、意味ある世界にとっての真空である無意味・無価値への偏愛こそが、これまで四十年にも近い歳月、僕を生かしてきたという事実だ。今はタイパやコスパ、私利や国益に皆が傾倒しすぎる余り「本当には生きていない人生」「実入りや効率に隷従するだけの人生」「タメになり役に立つだけの人生」の瀰漫(びまん)した時代なのである。

 むろん僕も働いて食っている。が、食う以外の金や時間は全て「無意味」に捧げたい。

 そして、文学こそ最高の無意味であれかしと願い、有益で売れそうなタメになる書籍を敢然と黙殺し、絶対に誰も読みたがらない無意味な小説を書くため、僕は、今も死なずに生きている。

作家

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