『公研』2017年9月号「めいん・すとりいと」

三浦瑠麗

 北朝鮮が6度目の核実験を行いました。北朝鮮の突き付ける脅威が、アメリカにとってもレベルアップしたことは確かです。しかし、ここで論じてみたいのは、北朝鮮の急速な軍事力向上と裏腹に、ここ15年の議論がいかに進歩していないかということです。

 2002年に北朝鮮がアメリカのケリー国務次官補に対して、HEU(高濃縮ウラン)の開発を事実上認めた時から、第二次核危機は続いています。第一次核危機では米国が軍事オプションを断念し、1994年の枠組み合意ができました。しかし、合意は北朝鮮によって放棄され、終わりました。その後、それに代わりうる枠組みを6者協議で検討しましたが、もはや核放棄の前提で北朝鮮がテーブルに戻ることはありませんでした。

 2002年時点、北朝鮮が核開発を行う意図は二つあると論じられていました。核抑止のための核開発か、交渉カードとしての核開発かです。私は、北朝鮮の矢継ぎ早なエスカレーションに着目し、彼らの意図は核抑止のための核開発であるという論文をその頃に書きましたが、当時からおよそ15年経って、いまだに北朝鮮の意図はどちらか不明であるという人が多いようです。あれは交渉カードだと言い続けているうちに、北朝鮮は水爆と思しき規模の核実験を行い、核弾頭の小型化と軽量化におそらく成功し、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発を精緻化させてきました。

 北朝鮮が核兵器とICBMの開発をしたことによる効果は何だったでしょうか。①米国に侵攻されにくくなり、②韓国(や日本)を蚊帳の外におき、米国に直接相手してもらえ、③交渉の主題は核やミサイルとなり、国内体制を含めた包括的交渉はされにくく、④国内向けの求心力が高まる。極めて合理的な動機です。開発をしなければ、①体制転換目的で米国に侵攻される可能性があり、②韓国や日本もプレーヤーとなって自国の要求が通りにくくなり、③体制への内政干渉が進み、④国内支配が崩れる可能性が高まるのですから。

 もちろん、経済支援を捨て、厳しい制裁を受けることは損です。だからこそ、拉致問題では当初拉致被害者の一部に一時帰国を許すなどの対応を取ろうとしたわけです。しかし、北朝鮮の思惑は裏目に出ました。しかも、第二次安倍政権以降、同盟の絆は強化され、日米間に楔を打ち込むこともできなくなりました。そうしたなか、経済の安定より体制の存続を選ぶのは当然のことです。さらに、現状あまり機能していない制裁を何とか強化しようと試みたところで、中国が北朝鮮を本当に追い詰める可能性は限りなく低く、また開発を進める「時の利益」は北朝鮮の側にあります。

 日本政府は「北朝鮮が対話に応じる気がないのは明らか」であるとトランプ政権に伝えたようですが、当たり前です。時の利益がこちらにないいま、あるべき解はさらなる制裁強化ではなく、現状の固定化を図るための外交努力とこちら側の抑止能力の強化です。制裁は万能ではありません。制裁措置だけで満足してしまって、効果の検証を怠るならば、さらに危険です。抑止も、万能のものではありません。抑止力とは、北朝鮮にある核兵器を含めた軍事力を使わせないための能力であって、抑止で核やミサイル開発を放棄させることはできません。仮にあるとすれば強制=軍事オプションですが、それを実行することは、日本含め北東アジアにいる多くの人々の命を奪うことになるでしょう。果たして、核を放棄させるために戦争をすることが人間の文明に今求められているのか、胸に手を当てて考えてみるべきです。国際政治学者

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