ウクライナだけでこの悲劇を留めることができるのか
松田 ロシアの行動が酷すぎたというのはおっしゃる通りで、これによって多くの国が侵略への見方を変えましたね。ブチャをはじめとした民間人への痛ましい拷問と虐殺の数々、民間のインフラの破壊や略奪など、ロシアが残した傷あとは計り知れません。私も一度ポーランドに退避したのち22年8月にキーウに戻ってきましたが、惨状が生々しく残っていたことを覚えています。
22年4月にキーウ州からロシアが全面撤退した後、最初にフォン・デア・ライエン欧州委員長、次にイギリスのボリス・ジョンソン首相と、続々と西側の指導者がウクライナを訪問します。惨状を目にして、ロシアがやったことは許されないと感じたのでしょう。さらに、これはウクライナだけで止めることができるのかと強い問題意識がヨーロッパの国々で生まれます。
中でも最初に問題意識を持ったのは、バルト三国、北欧、ポーランドといったロシアに近い国々でした。彼らの声は必ずしもNATOやEUの中で大きくありませんでしたが、22年における議論を相当程度リードすることとなりました。
鶴岡 そうなんですよね。エストニアの人口は130万人です。ウクライナからロシアの占領地に拉致された人の数は、正確な数字は把握できていませんが、70万~130万人と予想されています。
松田 エストニアからすると、とんでもなく恐ろしいことですね。
鶴岡 当時エストニアの首相で、現EU外交安全保障上級代表のカヤ・カラスさんは「ロシアによる占領を一時的にでも許したらエストニアは地図から永遠に無くなってしまう」と警戒感を繰り返しあらわにしていました。
そして、この警戒感がNATO防衛計画の転換に繋がります。当時、バルト諸国の防衛計画では、有事の際にバルト諸国だけでは守り切れないので、一旦占領を許して退避したのち、再上陸して解放をめざす想定だったと言われます。しかし、ウクライナから拉致された人数を考えると、たとえ半年後に奪還してもエストニア人は全員いなくなっている懸念があります。それでは奪還に成功しても意味がありません。時すでに遅しです。そこで、バルト諸国が中心になって、NATOの防衛計画の転換を求めたのです。
その結果、前方防衛に転換することになりました。その基本は、一時的な占領も許さず、侵攻を受けた場所で戦い、領土を徹底的に防衛するということです。NATOでは前方防衛において、「defend every inch」という言葉が頻繁に使われます。意訳すると、1インチたりとも手を出させないでしょうか。というのも、「defend every inch」を徹底しないと、ブチャのような悲劇を防げないんですね。これは非常にリアルな議論だったと思います。
リーダーが戦地を訪れるパフォーマンスの重要性
鶴岡 松田さんは2023年3月21日の岸田総理のキーウ訪問を現地で迎えられました。そこで一つお聞きしたいのは、一国の指導者が特にブチャのような現場を実際に見ることの効果をどう評価されるのかです。というのも、日本国内では「行けば良いというものではない」といった懐疑的な意見がかなりありましたよね。ここについて、どうお考えでしょうか?
松田 いろいろな議論がありましたね。一つ言えるのが、指導者が現場にいるということは、どれだけ強調しても強調できないほど重要な政治的メッセージを持つということです。総理がブチャを訪れ、虐殺の際に遺体を弔った神父さんなど関係者の話を聞き、ウクライナメディアや人々が見守る前で記念碑に花を手向ける。この一つひとつが日本やウクライナ、そして第三国に向けてとても大きなメッセージになります。
鶴岡 「パフォーマンスにすぎない」といった批判もありましたが、このパフォーマンスが重要なんですよね。
松田 おっしゃる通りです。また、印象に残っているのが、総理がキーウを訪問してゼレンスキー大統領と会った同じ日に、習近平さんがモスクワを訪問してプーチンさんと握手を交わしたことです。中国と日本の立ち位置のコントラスト、これが印象的でした。誰が正義の側に立つ勇気と能力を持っているのかを、ここまではっきり示した構図があるのかと思いましたね。
鶴岡 これだけロシアへの連帯とウクライナへの連帯という対比が明確なかたちで出てきたことは、欧米にとってもかなり驚きだったのではないでしょうか。日本国内でも、若干驚きの部分があったと思います。
また、意外にもウクライナ侵攻に関する日本の一般の人たちの関心が、非常に高い状態で続きました。これはなぜなのか。私はまだ答えは出ていませんが、松田さんはどうお考えでしょうか?
松田 私も結論が出たわけではないのですが、もし理由があるとすれば、過去数百年にわたって築き上げられてきた「ロシア的なもの」に対する、不安や恐怖が日本人の根底にはあるのかもしれません。ある人は本や映画で見た日露戦争、ある人はシベリア抑留など、そういった普段はまったく思い出さないロシア的なものに対する恐怖が、戦争がきっかけで心の奥のほうからワーッと噴き出してきたのではないかと思います。
少なくとも、私や私の周辺にいる外交官の同僚やJICAの職員、あるいは民間の方でウクライナを何とか支援したいと思った人たちに共通しているのは、そういった感情であったと思います。特に、私の地元である福井の友人は、開戦を受けてすぐに「明日は我が身だ」と言っていました。やはり日本海側に面する地域では、親の世代がサハリン等から命からがら逃げる過程で何があったのかなど、知識として持っている人が多かったからだと思います。
鶴岡 世論調査を見ると戦後の日本人のロシアへの感情が良かったことは一度もありませんでした。ロシアとの関係強化に前のめりだった安倍政権は、むしろ逸脱だったと言えます。
ただ警戒心は持っているにも関わらず、外国に占領されるということが何なのかが日本ではあまり理解されていないようにも感じます。その表れが、22年頃に頻繁に見かけた即時停戦論です。これはウクライナが降伏するという意味での停戦です。政治家の方でも言っている人がいましたよね。
なぜこんな議論が生まれたのか。それは、日本人が通常考える占領が、第二次世界大戦後のアメリカの占領だけだからなのではないでしょうか。あの占領は、歴史上稀に見る「幸せ」な占領でした。第二次大戦後にソ連に占領された中東欧の国々と比較すると、日本はマイルドな占領だった。もちろん占領下で辛い思いをされた方々もいますが、日本の多くの一般市民にとっての終戦は、占領と同時に軍国主義からの解放を意味しました。このように、占領が日本の特殊な経験に基づく比較的ポジティブなものとして捉えられてしまったが故の即時停戦論だったのかもしれません。
松田 そうですね。近代日本において外国に占領された経験はこの1回だけですからね。ですから、私はいろいろなところで話をするときに、自分の国が侵略され、自分の国土が戦場となるのはどういうことかを強調してお話しています。
総人口が約4200万人のウクライナで、最も多い時期には800万人の国外避難者が出て、加えて800万もの人が国内避難民として家を追われています。さらに、占領地に残った人のうち多くの人が殺されるか連行され、ペンペン草も生えないほどの破壊と略奪の跡が残ったのです。ウクライナの人々が直面する現状が占領の真実だと、日本のジャーナリストや専門家、ましてや政府関係者はしっかりと受け取らないといけません。
さらに、そこから教訓を引き出し、きちんと国民に共有をすべきだと思います。そうでないと、岸田総理が言った「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」といった言葉だけが妙に薄っぺらに残り、その後の国づくりに反映されないのは、少なくとも私は怠慢だと思います。
鶴岡 外国に占領されると何が起きるのか、日本人が今からリアルに考えるとしたら、外国の事例を学ぶしかないわけですね。
昨年、ポーランドのワルシャワとエストニアのタリンに続けて行く機会があったのですが、両国ともドイツとロシアによって順番に占領された過去を持ちます。例えば、エストニアだとまずソ連が「自分たちは解放者だ」と言ってやってきます。ただ、蓋を開けてみると恐怖政治が始まる。次に、ナチスドイツがやってきて、ソ連よりかはマシかという期待も一部にあったのですが、蓋を開けるとさらなる悲劇が待っていた。戦争が終わるとまたソ連がやってきて、ソ連崩壊まで支配されることになります。
異なる外国が順番に占領にやってくることは、島国からすると想像を絶する世界です。ただ、ロシアとドイツに順番に占領された国はヨーロッパにいくつもあります。大陸という地続きの恐怖を島国の私たちはリアルに学ばないと、ウクライナの考えやバルト三国の恐怖、なぜポーランドが国防予算にGDP5%も使うのかといった本質が見えてきません。
その上で日本は、ロシア、北朝鮮、中国に囲まれる、世界で1番と言っていい程軍事的な脅威に囲まれています。領空侵犯の問題でも、ロシア軍機と中国軍機が順番にやってくる国は世界で日本だけです。だからこそ、侵略や占領をよりリアルに考えなければならないのだと私は思っています。
トランプとの口論で雨降って地固まる?
鶴岡 ウクライナは冷戦終結後30年以上にわたり、西側諸国とロシアの間で、いわば宙ぶらりんの状態に置かれてきました。現在ではヨーロッパがウクライナへの連帯を当たり前のように表明していますが、30年、20年前からついこのあいだまで、誰もそんなことを言っていませんでした。しかし、ウクライナの将来とヨーロッパの将来が切り離せない状況にある今、この連帯はかなり強固なものになっています。今年2月28日、ゼレンスキーとトランプの会談が口論に発展し、決裂した後のヨーロッパの反応はすごかったですよね。次々と各国がウクライナへの連帯と支援の意思を強く表明しました。
他方で、どこかで関与の線引きをしたい誘惑がヨーロッパにはまだ残っていると思います。これに関連して私が1番に気になっているのは、ウクライナ側が持つ米欧へのフラストレーションの高まりです。口で約束した支援がすべて実施されるわけではない、会談でのトランプとヴァンスの言動が酷い、結局米欧に頭を下げても報われない部分がある、ウクライナのプライドが傷つけられている。こういったウクライナのフラストレーションが高まると、ヨーロッパの関係にも影響しますよね。この懸念を最近感じています。
松田 そうですね。侵攻前、そして侵攻後もウクライナ人の気持ちの中には様々なものがあり、その様子を私はキーウで見てきました。例えば、具体的なヨーロッパの国を挙げて「あそこは口だけで実は支援を送ってくれない」「あそこは小国だけど一生懸命やってくれる」といった話です。ある意味、愛憎半ばする気持ちがウクライナには存在していたし、今でもあるかと思います。
しかし、複雑な感情を抱えるウクライナですが、それでもアメリカとヨーロッパの協力、そして確固たる担保は欲しい。たとえトップ同士がテレビの前で口論することになったとしてもです。そして、それを手に入れるためには、ウクライナとして何ができるのかをきちんと戦略を立てているのです。その一つがウクライナとアメリカ間の、ウクライナの鉱物資源開発に関する協定です。
ですから、後から振り返って口論がきっかけとなり、ヨーロッパとウクライナの関係が雨が降って地が固まったとなればいいと思っています。というのも、あの口論によって、ヨーロッパでは「アメリカはウクライナのみならずヨーロッパの安全保障から手を引く可能性もある」といった懸念が広がりました。そして、ヨーロッパはアメリカが手を引く場合に備えて、自身の国防努力を強化すると同時に、ヨーロッパの安全保障の防波堤として戦っているウクライナを軍事支援するといった動きが強まっています。この二つが、いま議論の中では表裏一体になっているのです。この状態はウクライナからすると結果的にあの口論の怪我の功名となることもあり得るかもしれません。