『公研』2026年9月号「めいん・すとりいと」
九段下駅の二番出口を降りて坂道をのぼっていくと、大きな田安門をくぐったあたりで本当に「光る玉ねぎ」がみえた。
本当に、というのは爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」の歌詞の通りに、ということだ。もっとこう、雰囲気で歌っているのかと思っていたが、かなり正確な順序で玉ねぎは現れる。
八月、同バンドの武道館コンサートをみてきた。彼らの武道館公演は35年ぶりの開催だという。当時の彼らは何度か武道館でやっていて、天皇崩御で中止になったこともあると聞く。
何度も武道館で公演できたのだから当然、人気バンドだったわけだ。「Runner」が特に有名だが、先に挙げた「大きな玉ねぎ~」のほかにもヒット曲がたくさんあり、当時はテレビの歌番組で何度も彼らをみたし、アルバムも買った。
特に人気絶頂のころ、僕が暮らしていた北海道の室蘭までコンサートに来てくれた。室蘭まで来てくれたバンドなんて、他にはハウンドドッグとチューブくらいしかいない(アルフィーも来ていたよ、と最近同窓生に指摘されたが)。
その室蘭のコンサートも僕はみにいけなかったが、なんだか(来てくれたことへの)恩義のようなものを抱いていた。
爆風スランプは僕にとって不思議なバンドでもあった。先述の通りヒット曲が「複数」ある、つまり「一発屋」ではないバンドなのに、なぜだか「ファン」と出会わない。同時期に活動していた聖飢魔IIなんかは、誰もが知るようなヒット曲はさほどないもののネット時代になって熱いファンと出会い、魅力を語り合えるようにもなったが、爆風スランプを「実は大好きでした!」と語る人にはまるで遭遇しない。ヒット曲が複数「ある」ことが徒になっているのか、ファンの不遇感が薄く、熱く語られにくいのかもしれない(「実はいい曲あるのに!」という熱弁が起きにくいのだ)。
活動の後期からは人気が落ち込んでいるのが傍目にもみてとれた(雑誌の「オリコン」をめくると、好きなバンドの順位や売り上げはだいたい分かってしまった)。
音楽性を担保しつつ、面白おかしい見た目のパフォーマンスや歌詞ではしゃぐ彼らのスタイルは、ユニコーンとか電気グルーヴといった「より面白い」後進たちに塗り替えられてしまい、みるみる陳腐化していったと思う。
僕はラストアルバムまで買い続けた。「恩義」があったからだろうか。「好きになるのをやめる」という「やめ方」が分からなかったのでもある。
バンドは九九年に活動休止。それからたまにテレビでみるサンプラザ中野くんをみても心惹かれることはなかったし、もうバンドをみる機会もないのだろうと思っていた。
だが昨今のベテランバンドたちの活躍をみてなのか、一昨年に彼らも再結成した。そのときは「へえ、よかった」くらいの気持ちだったが、今年の武道館発表にはハラハラした。彼らの人気と話題性で、あのキャパを埋められるのか? 失礼ながら、勝手に心配になった。もちろん(?)「即日完売」ではなく、バンドはYouTubeで宣伝を繰り返した。
大きな玉ねぎを横目に曲がると、果たして雨の武道館前には中年たちの行列ができていた。本当に(失礼ながら)ほっとした!
ほぼほぼ埋め尽くされた武道館で、一曲目が「大きな玉ねぎの下で」だったことで客席がどよめいた。同窓会的に、最後のほうで合唱すると踏んでいたのだ。予定調和を壊してこそロックだ、僕はおおいにぐっときた(最後にもう一度やったので今度はズッコけたのだが、それもまあ彼ららしいか)。
また「不思議なバンドだな」と思いながら気にかけていくつもりだ。あと、ラストアルバム『Hard Boiled』収録の「オクトパス サマー」が名曲だから、みんな聞いてくれ! と、こんなところで「ファンの熱弁」をふるっておこうと思う。
作家
