社交というグレーゾーン【砂原庸介】

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『公研』20244月号「めいん・すとりいと

 

 派閥から議員へのパーティー券収入の「キックバック」告発に始まる政治資金スキャンダルは、自民党政権への信頼を損ね続けている。世論調査によっては、政権交代を望むとする人が増加し、現状の枠組みでの政権継続を上回ることもあるという。

 疑惑の発端となった「キックバック」だが、どの部分が悪いかはわかりにくい。もちろん、政治資金収支報告書の不記載というルール違反があり、検察の捜査もそれに沿って行われている。しかし当初問題の所在がわかりにくかったことで、論点が事務的なルールに従わなかったということを超えて、様々な角度から政治資金そのものを問う形で拡散することになったのではないか。

 政治家が利用する政治資金は、最終的には多くの人々にかかわる政治に関係して使われる、ということで公的な性格を持つとされる。だから、税金を原資とする政党助成金が交付されるし、政治家への寄付に対して税の優遇措置も認められている。それとは別に、もし政治家が自分のために使うお金であれば、税とは切り離されたものでないといけない。つまり、政党助成金を使うべきではないし、所得なり贈与なりが発生したときに、ルールに基づいて納税しなくてはいけない。

 ここでは、公的なものと私的なものは厳格に分けられるべき、というのが建前だ。しかし実際はグレーな部分が多い。そもそも、問題の中核である寄付の扱いは難しい。政治家が、支援者から政治のために使っていいとして託されているお金なら、「公的」には見えなくても自分の判断で利用していい部分はあるだろう。このようなグレーゾーンが問題を不透明にしている。

 正面から論じられることが少ない気がするが、焦点となるのは、飲み食いの問題ではないか。「社交」という言い方をするのが良いのかもしれないが、政治を含めた様々な活動に必要なネットワークを作り出すときに、食事の席を共にすることは非常に重要だ。他方で、これは外から見ると極めて私的なものに見えるのも間違いない。ネットワークは最終的に人に付くし、そもそも美味しい食事や酒である必要があるのか、と。

 現状の制度は、公的資金で私的に飲み食いしてはいけないことと、しかしそれでも政治には社交とそのための資金が必要ということを、無理やり両立させたものになっているところがある。マジックワードとしての「政策活動費」を経由して、公的資金がいつの間にか私的な寄付に近い性格を強めていく形式である。これでは納税者から見れば、書類上はともかく、実質的には政治家が公的な金を好きに使っているようにしか見えない。

 もし政治に社交が必要なら、やはり公的な資金で認められる社交、について整理しておくべきではないだろうか。私的な飲み食いに公的資金を一銭も使うべきではない、という批判もあるだろうが、必要なものについて、その必要性を正面から議論したうえで、具体的な使用状況を公開して選挙での人々の判断に委ねるのは、民主主義社会でこの問題を扱う方法のひとつだろう。

 これは決して他人ごとではなく、研究者で言えばおそらく大学の研究費なども共通する部分がある。今は、そんな社交は一切必要ないということで、たとえば相互主義的な国際交流などでは身銭を切る慣行が続くが、一歩間違えれば危ないリスクは潜んでいる。真に公的に発展させるべきものに関わるならば、慣行を嘆くだけでなく、社交の必要性を真摯に説明するところから始めなくてはいけないだろう。

神戸大学教授

 

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