『公研』2023年3月号「めいん・すとりいと」
ロシアのウクライナ侵攻を巡り、この1年間、日本国内では様々な言説が飛び交ってきたが、筆者が違和感を覚える言説の一つに、「ロシアが悪いのは当然だが、冷戦後にロシアを追い詰めてきた米国やウクライナにも問題がある」という主張がある。この主張は、表面上はロシアを批判しているように見えるものの、「とにかく諸悪の根源の米国を批判したい」「少しでもロシアの肩を持ちたい」といった発言者の心情が見え隠れしているように思われ、論点が巧みにすり替えられているように感じてきた。
侵攻開始直後の2022年3月、和田春樹・東大名誉教授ら「長老世代」のロシア研究者ら14人がロシア・ウクライナ双方に即時停戦を求める声明を発表したところ、現役世代の研究者から「空想的な左翼日本人」などと批判の声が上がったことがあった。
和田氏は2022年5月18日の『毎日新聞(電子版)』で、「私はロシア史を研究してきた者として、ロシアを愛しています。だからといって、ロシアの主張がすべて正しいとか、そんな幻想は持っていません」と断ったうえで、「若い世代は、ロシアが攻め込むに至った歴史を考えないのです。今回の戦争は、ウクライナが聖人君子で、突然ロシアが攻め込んできたというわけではない」と逆に現役世代の研究者を批判した。
確かに戦争に至る経緯を歴史的に考察せずにプーチンを悪者と決めつけるだけでは、事態の深い理解には到達できないだろう。侵攻に至った背景を歴史的に考察し、その一環として米国の対外政策を検証すれば、数々の教訓が得られるに違いない。
しかし、そうであったとしても、筆者は当時、声明に強い違和感を覚えた。この戦争は、ロシア軍がウクライナの子どもを殺しているのであり、NATO軍とウクライナ軍がロシアの子どもを殺しているのではない。したがって、求めるべきはロシアの全面撤退のはずだが、なぜ戦争の初期段階でウクライナに「即時停戦=自衛の放棄」を迫り、領内に居座る侵略者との交渉を求めるのか? その理路がどうしても腑に落ちなかった。
それから1年。岩波書店の『世界』2023年3月号に掲載された現役世代の研究者による座談会で、ロシア近現代史を専門とする池田嘉郎・東大大学院人文社会系研究科准教授が「長老世代」のロシア研究者について次のように発言しているのが目に留まった。
「日本のロシア史研究は、ある程度上の世代を中心にして、アメリカ中心の資本主義・国際秩序システムへの対抗システムとしてソ連・ロシアを捉え、そこに自分自身の姿を重ね合わせすぎてきたと言わざるを得ません。それが開戦後のいくつかの研究者の動きにも表れているのだと思います」──。
地域研究者は一つの地域に人生を捧げる。筆者も30年以上アフリカと関わってきたが、南アフリカ在住期間中に当地で子どもが生まれたことなどもあり、アフリカには深い愛着を感じてきた。当地の人々と長く交われば交わるほど、欧米に翻弄される彼らに同情し、国際システムの中心である米国の二重基準やご都合主義への反感を共有することもある。
だが、一つの地域に関わり続けてきた者の一人として、ロシア、中東、アフリカなど非欧米世界に長くかかわった研究者やジャーナリストは、研究対象地域への「愛」や「情」が「反米」「反近代」「反西洋」といったパターン化した思考に堕落するリスクに自覚的であるべきだと思う。
「アフリカを愛していると、気を付けないとアフリカを見る目が曇るよ」──。この春、学界からの引退を宣言したアフリカ研究の偉大な先達が筆者に残した言葉である。
立命館大学教授