『公研』2025年9月号「めいん・すとりいと」

 将棋の公式対局には「持ち時間」が存在する。対局者各自に与えられ、手番で思考して時間が過ぎるにつれ減っていく。持ち時間がなくなったならば、秒読みと言われ1分以内や30秒以内に次の手を指さなければ反則負けとなってしまうのだ。

 江戸時代にはこうした持ち時間の設定はなく、昭和の時代に囲碁や将棋のプロ制度が整備されるにつれ発展してきた制度のようだ。昭和初期は持ち時間も現代と比して非常に長く、将棋においては「南禅寺の決戦」と言われる一人30時間の持ち時間、実に7日間の対局が記録に残っている。将棋の歴史上、最も長い持ち時間制の対局である。

その当時の一番の権威ある棋戦とされた名人戦の持ち時間が各15時間、3日制だったのだからとびぬけた長さだ。

 当時はこうした長さが話題を呼んだのだろうが、スピード社会の現代においてはここまで長い対局は好まれず、対局の持ち時間は減少傾向にある。現在における一番長い対局の持ち時間は、名人戦の各9時間(2日制)である。またこうしたタイトル戦を除くと一般の棋士にとっては6時間が最も長い持ち時間となっている。もっとも1日で指し切るので、その持ち時間でも午前0時を回ることも多々あるのだが。

 一方、早指し戦は15分+持ち時間が切れたら一手30秒といったものから、フィッシャールール(持ち時間に一手指すごとに何秒か加わり、初期の持ち時間+追加時間が切れたら負け)というように、早ければ一時間もせずに終わってしまうものもある。

 同じ将棋なのだが、持ち時間が長いと短いとでは当然頭の使い方も準備の仕方も異なる。短時間の将棋においては、棋士は対局中はずっと集中状態にある。短距離走のようなもので、脳が動いたならその思考を緩めず、最後まで働かせるのが重要となる。それ対して、長時間の将棋ではなかなかずっと集中状態にあることは難しい。将棋は最終盤でのミスが最も勝負に響いてしまう競技なので、夜中の時間帯にも集中力を残せるように工夫しなければならないのである。

 昭和の時代は現代と違い序盤研究なども進んでいなかったため、朝対局が始まってからしばらくは緩やかな雰囲気で、序盤を過ぎて読み合いとなる中盤からが本番だ、という空気もあったのだと聞く。しかし、現代の序盤研究が進んだ時代では、序盤から形勢を苦しくしてしまうとそのまま勝負にもならず終わってしまうことも少なくない。事前にお互い研究を持ってくるのは当然で、その上で様々な駆け引きが行われている。勉強してきた局面から一手でも外れれば、何処に陥穽があるかわからない。

 こんな集中力を要求される状況の中、棋士はいろいろな対策を取っている。昼食休憩中に昼寝などをするものや、水や冷却用具を使って頭を冷やす光景が流れることもあるが、いずれも集中を必要とされる中で、ヒートアップした脳を必死にリフレッシュさせている姿なのである。

 一方、集中できる時間を長くするトレーニングも欠かせない。棋士は若いうちから詰将棋と呼ばれる将棋の駒を使って相手の玉を詰ますパズルを解く者が多いが、これは単純に詰ます技術を高めるだけでなく、頭の中で考える修練となっている。パズルを解くこと自体だけでなく、難しい問題を考え続けられる脳を作ることが目的なのだ。

 時間の限り集中するだけではなく、致命的に集中力が切れないように長時間戦い続けることが必要とされるのがこれからの時代なのだろう。

将棋棋士

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